愛国無罪の狼藉日々雑記
20120918
暴行、略奪、破壊行為が大手を振ってまかり通り、警察は見てみぬふり、お役所は日本製品の不買運動をあおり、港では1,000隻の「漁船」が出港準備とか。まったくよくやってくれますわ。
格差社会への抗議やら思うようにならない生活へのご不満やら、いろいろあるのでしょうけれど、当て馬にされるわが国こそいい迷惑です。子供の頃から反日教育を刷り込まれている連中に言ってもどうしようもないのでしょうけれど、お膝元の秩序もまともにコントロールできない(いや、実はコントロールしているのか)当局者のおかげで、身の危険にさらされている在留邦人の方々が心配です。日本人学校とか、大丈夫なのでしょうか。
2年前の漁船衝突事件のあと、日本のビジネスマンが公然と人質に取られたことを教訓にしなくては。私どもの商売に関して言えば、短期的には食品など輸出品にさまざま妨害があるかもしれず、品物によっては供給に影響が出るかもしれません。中国からの旅行者が激減することで、観光関連のお客様もきっと不安があるだろうと思います。
ここで彼らの馬鹿げた挑発に乗って、同じことをやり返してはもう泥沼です。日本国民の理性と品格が問われてしまいます。相手は身体ばかりが大きくなった自らの未熟さをこうして世界に宣伝しているのですから、上手に受け流しておけばいいのです。現実いろいろな面で、損をしているのは本当は彼らの方では。
しかし、島の領有権に関しては譲るわけにはいきません。フィリピンやベトナム、マレーシアなど、同様の問題を抱えた国々が、固唾を飲んで日本の対応を注視しています。政府は挑発や恫喝に屈することなく、毅然とした対応をしてもらいたい。野田さんにできるかな。自民党も、これまで先送りして逃げてきた問題がこうしてついに顕在化したのですから、政府与党の足を引っ張るのでなく、一丸となって事に当たっていただきたいです。
海上自衛隊の戦力は、現時点では中国海軍をはるかに凌ぐと聞いています(十年後はわからんとか)。いざ本気になればそれなりのことができるわけで、ここはどっしり腹をくくるしかないでしょう。下手に手を出したら大火傷をするという理性と冷静さが、かの国にも働くだろうと期待します。
シャープペンシル日々雑記
20120915
あまりにも身近な文房具。
これを日本で本格的に製造し売り出したのが、いま経営難で話題の電機メーカー「シャープ」だったとは。日経の「春秋」欄で今朝初めて知りました。みなさんご存知でしたか?
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(同社ホームページより)今日では誰もが知っているシャープペンシル。独創的な芯の繰り出し装置を発明し、世界に先がけて実用に耐える金属製にしたのが早川創業者です。
当時、繰出鉛筆と呼ばれるセルロイド製の筆記具がありましたが、太くて見かけが悪い上に壊れやすく、実用にはほど遠いものでした。早川創業者は、得意の金属加工技術で構造や外装を変えることに熱中し、ついに堅牢で美しいニッケル製として完成させました。1915年(大正4年)のことです。
これを早川式繰出鉛筆と呼んで特許を申請し、あらためてスクリューペンシル、プロペリングペンシルの名で売り出しました。
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のちに品名をシャープペンシルと名付け、順調に売り上げを伸ばしましたが、関東大震災で工場が壊滅。創業者は妻子を失い従業員も被災し、シャープペンシル工場の再建を断念することになってしまったのだそうです。創業者早川徳次は大阪に会社を移し、わずか3人で今度はラジオの製造をゼロからはじめ、国産ラジオ第1号機を作ります。こうして同社は電機メーカーとして走り始めるのです。
社名の由来は、この鉛筆から来ているのだそうです。同社が金属加工業として創業しベルトのバックルを作り始めたのは、ちょうど100年前の今日。どうだろう、せっかくの記念日ですが、苦いものになってしまったのでしょうか。
学生時代には筆記作業のほとんどすべてにシャープを使っていましたが、現在会社で使うのはボールペンがほとんどで、シャープを手にする頻度はかなり減りました。引出に1本入っていますが、たまに何かメモしようと思うと、力が入りすぎて何度も芯を折ったりする始末です。
自宅でも、子供たちの使いかけの鉛筆が何十本もゴロゴロしているので(何でこんなにあるんだろう)あまりシャープを使うことはありませんね。私の頃の小中学校では、きちんとした筆圧で字を書くにはシャープは不向きだとして推奨されませんでしたが、今ではそんなことも言わないようですが。
時々お取引の方からノベルティ品を頂戴します。消しゴムを使いながらの作業に当たっては、やっぱり重宝しています。B系の、少し濃いめの芯が使いやすいかな。
関連リンク: 社史 (シャープのホームページ)
雨ほしい日々雑記
20120913
本格的な雨が最後に降ってから、これで何日たつでしょう。
残暑といっても朝晩は寒いくらいなのですが、日中は真夏同様とはいかないにしても、日が照りつけると結構な熱気を感じます。時折涼しい風が吹く瞬間もあるのですがね。
首都圏では飲料水にも影響が出ていると、ニュースで干上がったダムの映像が出ています。このあたりでは飲み水まで心配するような話まではありませんが、秋の味覚「松茸」の話題には、暗い顔をする方が多くなってきました。まだ断定的なことは言えませんが、少なくとも例年をかなり下回ることは、もう確実になってしまったのでは?
一方で田んぼのコメは順調そうです。もう一部では稲刈りも始まりました。
写真は、あちこちの休耕田で作られている蕎麦の花です。今の時季、白く可憐な花を一面に咲かせている様は、大変美しいものだと思います。中には赤い花のものもあります。
松茸は仕方がないとして、新そばを楽しみに待つとしましょうか。
コーンポタージュ味の…食べもの
20120911
こんなものが売れて売れて、新発売、即売り切れ、生産が間に合わず販売一時休止だというのですから、面白いものですね。
赤城乳業の人気アイスキャンデー「ガリガリ君」の「コーンポタージュ味」、なさそうでなかった珍フレーバー、いったいどんな味でしょう?。
幸いに田舎のことで、近所のお店にまだたくさん店頭在庫がありました。ただちに家族4人の分をゲット。
早速食べてみますと、うん、まぎれもなくコーンポタージュの味そのものです。コクさえも感じられます。甘さもしっかりありますが、私には菓子としてだったら全然違和感なく、ぴったりのように思えます。ポツポツと入っている乾いたようなコーンの粒は、何だか歯に挟まりそうで気になります。これはアクセントなのでしょうが、なくてもいいかな(実際には何か工夫があるのでしょう、そうは挟まりません)。じゅうぶんおいしいと思いましたぞ。
妻はちょっと甘すぎると首を傾げました。次男は私が知らないうちに食べ、もう要らないと言いました。長男は、買ってもう何日もたちますが、勧めてもいまだに食べようとしません。この商品を評価するのは、我が家で私だけ?
こんなものが商品化されたってことが愉快です。思い付いた人は、これまで業界にはたぶん何人もいたでしょう。しかしこの珍アイデアを本気になって考え抜き、試作を繰り返し、社内を説得し、発売にまでこぎつけた人の熱意が、この冷たいアイスの中に満ち満ちているような気がしてならないのです。
それに、これがハーゲンダッツでなくて、ガリガリ君だというミスマッチが楽しいではありませんか。大いに評価したいです。
しかし我が家の評価を見るに、一時の話題でバカ売れしたものの、半年後にはあえなく消滅…なんてことも?アイスの王道をゆくフレーバーでないことは確かです。今のところ市場に少なからぬインパクトを与えているこの商品、はたして今後の動向は、お試し消費で終わってしまうのか、一定のリピーターがついて定着するのか。いささか気になっています。
広島アンデルセンお店紹介
20120909
広島へ行くことが決まったとき、ぜひ行ってみたい店がありました。
全国にその名も高きベーカリー「アンデルセン」の本店が、広島にあるのです。(青山が本店じゃないんですよ)前に雑誌でこの店の素晴しさを書いた記事を読んでから、一度この目で見てみなきゃ、と思っていました。
お店は繁華街の中にありますが、店構えからして実に堂々たる、まるで昔の銀行みたいな建物です。と思っていたら、同社ホームページによると、元々は本当に銀行の建物だったのですね。1925年に建てられ、被爆による破壊、修復を経て今日に至っているそうです。商店街アーケードのために全容が見られないのが残念。
中に入ってみますと…
ティールームの並びに、ガラス張りのパン工房。それに続いて巨大な石窯が。その前に並ぶ、パン、パン、パン…凄い品揃えです。数えてみたら82種類ありました。
しかし面白いのはここからで、コーヒー紅茶、ジャム、焼き菓子、洋生菓子。チーズ。ワイン(下手なデパートのワインコーナーよりよほど充実)。ハム、ソーセージ、デリカテッセン。食器と雑貨。花。およそパンに関係するあらゆるものが、ぎっしりと集められています。
2階は吹抜けを利用した開放感のあるレストラン。
3階は、クッキングスタジオ、フラワースクール(授業中でした)、製菓材料と製菓用グッズ、北欧関連のリビング用品、レゴ(デンマークだからね)などなどのショップ。
とまあ、何時間いても飽きないような、食のワンダーランドといった趣きで、まったく驚き感心しました。行きませんでしたが4階から6階は、食事はもちろん講演会や展示会までできるパーティーフロアだというのですから、もう言うことがありません。
旗艦店というのはこういうもの、どうせやるならここまでやらなきゃ、と思いましたね。もちろんこれを支えている顧客あってのものです。この店の価値を認め大いに楽しんでいる(であろう)広島の人々にも感服しました。
関連リンク: 広島アンデルセン
ジャム作りを体験しごと
20120908
はるばる広島へと出張。
「アヲハタ・ジャム工場」を見学に行ってきました。
工場は広島県の竹原市というところにあります。瀬戸内海に面してたくさんの島々を望む、私たち信州人にとってはなかなかお目にかかれない美しい環境に立地しています。
周囲は柑橘類の大生産地です。ママレードやみかんの缶詰を作るのには、原料調達に絶好の場所ということで、80年前この地に工場を設立しました。現在は広く機械化された衛生的な工場で、一日15万本のジャムを製造しています。
敷地内には「ジャムデッキ」という施設があり、ここは一般の人たちがジャムの歴史や製法を勉強したり、実際にジャム作りの体験ができたりするテーマパークになっています。私たちもここでブルーベリージャムを作らせていただきました。
工房はSF映画に出てくる宇宙船のコックピットのようなモダンなスタイルです。一人に一台IH調理器が置かれ、30人くらいが同時にジャム作りを体験できます。
家では女房がときどきジャムを作ることがありますが、もちろん私は初めて。至れり尽くせりのご指導のもと、材料を火に掛け、ペクチンや砂糖を加えかきまぜ、糖度を計り、できたジャムを瓶詰めして空気を抜き、と全工程を滞りなくこなすことができました。「砂糖の甘さ」が加熱に従って「ジャムの甘さ」に変わっていく様子が興味深く思いました。
それでも加熱時間やかき混ぜ方など、微妙なタイミングが味に影響するようで、同じテーブルで作った4人のジャムが見事に味が違うのはちょっと驚きました。(もちろん自分が作ったのが、一番おいしかったですとも!)
このほか関連工場の「芸南食品」さんでさまざまな加工食品の製造を見せていただいたり試食をしたり。やはり現場を知ることは大事です。商品に愛着も湧きますしね。お世話になった皆さんありがとうございました。
関連リンク: アヲハタ/ファクトリーガイド
メープルシロップ泥棒食べもの
20120902
こんなこと、どうやったら可能なのか?ルパン3世にも簡単にはできそうにありませんが。。
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〔AFP=時事〕カナダのケベック州でこのほど、倉庫に保管されていた大量のメープルシロップが盗まれる事件があった。業界団体は、盗まれたシロップが闇市場に出回れば業界全体に影響が及ぶと警告している。
倉庫には約4500㌧(約23億5000万円相当)のメープルシロップが保管されていた。犯行グループは倉庫のたるからシロップを別の容器に移し替えて持ち去ったとみられる。
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4500㌧ですよ!「別の容器」って、タンクローリーか何かですか?それだって何台用意すればいいのでしょう。もちろん一日二日でできることではありませんよね。何日もかけて少しずつ抜き取ったのか。
カナダは世界のメープルシロップの85%を産出する大生産国で、2001年には1560ℓを生産しているようです。重量だとどのくらいだろう?4500㌧を、メープルシロップの比重で計算すると、手元の数字では「3383ℓ」になるようです。こりゃすごい、全世界の生産量2年分に近い量を、まるまる盗られちゃったわけですか。これ、ホントですか?
あまりにも数字が大きすぎてうさんくさい気もします。内部犯行で横流しがあったとか、いろいろ可能性がありそうです。だいたい石油じゃあるまいし、そんな巨大な量を一箇所で保管しているものなのですかね。世界の市況が変動するほどの量を盗んで、いったいどうするつもりなのでしょう。
大人になった今ではそう食べる機会がありませんが、ホットケーキにかけるメープルシロップは、いい歳をしてと思われるかもしれませんが、まったくおいしいと思います。アイスクリームなどのメープル風味のものもいいですね。まあ高いもの安いもの、製品によってかなり味は違うとも思いますけど。
子供の頃読んだローラ・インガルス・ワイルダーの「大きな森の小さな家」に、すごくおいしそうなエピソードが載っていて憧れました。さとうかえでの木に小さな傷をつけて、バケツを引っ掛け、樹液を集めます。そして…
「ばあちゃんは、真ちゅうの鍋の前に立って、大きな木のスプーンで、熱いみつを、みんなの雪のはいったお皿につぎます。みつはひえて、やわらかいあめのようになり、それをすぐみんなは食べるのでした」
やってみたいね!これ。できたてのメープルシロップで。
ああ、どんな味がするんだろう。
納涼床食べもの
20120829
京都の夏の風物詩、鴨川の納涼床で晩御飯。。
納涼床とは言ってもここ数日の残暑からみて、相当暑いのではと危惧していました。店を決めた張本人としては、同行者たちにも「悪いけど、ガマン大会みたいになるかもよ!」と予防線を張っておきましたが、私たちが京都に着く少し前に夕立があったようで、意外と過ごしやすく、何よりでした。それでも団扇を持って行ったのは正解でした。
(だいぶ前ですが、社員旅行で6月に川床で宴会をやったことがあります。この時はまた、もう寒くて寒くて。風がピューピューと吹く中、震えながらの食事でした)
行ったお店は「うしのほね本店」という和風ダイニング?で、川床としてはお値打ちな価格でおいしく料理や酒をいただきました。
少し遅めの時間の予約だったので、始めたときにはもう日はとっぷりと暮れ、夕景から夜へと移りゆく風情ってわけにはいきませんでしたが、それでも鴨川沿い一帯に灯りがともる光景はやはり幻想的です。等間隔に並ぶアベックたちは、ちょっと少なかったかな。
歴史を見ると、鴨川の川床は秀吉の頃からのものらしいですね。三条、五条大橋の架け替えをきっかけに、鴨川の河原は見世物や物売りで賑わい始め、それにともない茶店ができたり、富裕な商人が河原に席を設けたりするようになったのが始まりだとか。
先斗町の通りからお店の暖簾をくぐり、鰻の寝床のような細長い店内を通り抜けて床に出たときの開放感がいいですね。浴衣を着た女性も多く、また外国人観光客の姿もたくさん見られ、それぞれ京都の夜の楽しさを満喫していたようです。
ところで…伊那市内を流れる小沢川にも、かつて川床もとい、川に張り出した飲食店が何軒もあったのですよ。テラスではなくれっきとした屋根も壁もある箱型のものでした。(いかにも危なっかしく、つっかい棒で何とか支えられているように見えました)私が子供の頃は何軒もあり、平成になっても残っていた店もひょっとしてあったかな。床下をせせらぎが流れる中で、風流な気分を当時の人も味わっていたのでしょうか。
関連リンク: 京の風物詩 京都鴨川納涼床への誘い
善意の傑作日々雑記
20120827
最近あまり楽しいニュースにお目にかからないのですが、これには多くの人がお腹を抱えて笑ったことでしょう。。
スペインの教会。100年前のキリストの壁画が歳月を経てぼろぼろに傷んできたのを見て、あるおばあさんが「何とかしなきゃ!」と立ち上がりました。彼女は教会の許可も得ることなく、塗料と筆を手に黙々と修復に取り組みました。作業が着々と進み、明らかになってきた修復の実態を見て、人々は凍りつきました…
凄いです、この画。強烈なパワーですな。
このおばあさんにどの程度の絵の心得があったのか、興味深いですね。ひょっとしてご自分では傑作だと思っているのに、いわれなき非難?を浴びて憤然としているのか、あるいは途中で「これはまずい!」と思いつつも、始めてしまったからにはどうしようもなく、ここまでやらかしちゃったのか。
善良なバカほど始末におえないものはない、と北杜夫も言ってますぞ。いや、失礼。
このニュースが世界中に広まって、最悪の修復と称される珍品をぜひ見たいと、教会には観光客が押し寄せているそうです。私はこれを見て、絶対あちこちでパロディのネタになる、と思いました。案の定、世界中のネットユーザーから投稿や関連グッズが発表されているとか。(下記のリンク先をご覧下さい)
絵画の修復が本来、どれだけ細心の注意を払って行われるものか。ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」が有名ですね。15世紀に描かれたこの壁画は、完成まもなく劣化が始まり、過去何度かのずさんな修復によって原型からどんどん遠ざかってしまったと言われます。それらを決算すべく行われた20世紀の修復は、何十年もかけ、それこそミリ単位以下の絵具の一片一片を貼り付けていくような、気の遠くなる作業でした。
私はかつてミラノの教会でダ・ヴィンチの本物を見たことがありますが、作業中で壁には足場が組まれ、修復の終わった箇所と手付かずの箇所がまだらに存在していました。あと何年たったら、ちゃんとした完成品を見られるのやらと思いましたが、意外と早くできてしまったようです。
しかしそれに比べたら今回の「修復」なんて、…いや、これだけ笑わせてくれたのなら、それはそれで「あり」なのかもしれませんね。んなわけないか。
関連リンク: 数々のパロディ作品群
和歌山ラーメン食べもの
20120826
PTAの大会で関西方面へ行く機会があり、大阪→和歌山→京都と移動してきました。
和歌山は知る人ぞ知るラーメンの名所です。98年に放送されたTVチャンピオン「ラーメン王選手権」で、石神秀幸氏が推薦した「井出商店」が全国№1のラーメン屋さんに認定され、それまで全国的にはほとんど話題にも上らなかった和歌山のラーメンは一気にブレイクし、今日に至っています。
以下受け売りですが、和歌山のラーメンには「車庫前系」「井出系」の大きく二つの系統があります。前者はいわゆる醤油味、後者は濃い目の豚骨しょうゆ味です。いずれもスライスかまぼこが具に載っていること、卓上に「早寿司」なる鯖の押し寿司が置かれていること(会計は客の自己申告)などが特徴だとか。ちなみにラーメンとは呼ばず「中華そば」と呼んでいます。
井出商店は2年ほど前、新横浜ラーメン博物館で食べたことがあります。こってりした味わいでなかなかのものでした。お店に漂うにおいが少々ケモノ臭い感じがしましたが…
今回は井出系の「山為食堂」という店に行ってみました。十人ほど行列がありましたが、そう待つこともなく店内に入ります。ラーメン専門店ではなく普通の大衆食堂ですが、お客のほとんどはラーメンを注文するようです。店内はコンクリートのタタキの床にデコラのテーブル、天井の首振る扇風機と、まことにホントに昔ながらの食堂でした。(早寿司は置いてなかった)
出てきたラーメンは写真の通りです。どろりと濃厚だが嫌味のない、見た目よりはずっとスッキリした味。真直ぐな太麺。厚くて柔らかいチャーシュー(煮豚)が4枚ほど。お約束のかまぼことナルト。コクはあっても臭みはゼロ、前に食べた井出商店のものよりマイルドで、大変おいしくいただきました。
隣のテーブルの若い女性二人連れは、二人ともご飯を頼んでラーメンライスにしていましたが「こんなの普通ですよ~」ですって。このスープなら、ご飯にも良く合いそうです。スープを飲んで丼の底が見えてくると、細かい骨粉?が泥のように沈殿しています。これにはちょっとびっくり。
これが一杯800円。うどんを350円で出しているようなこの安い店にあっては飛びぬけて高いメニューなのですが、「すべて国産原料を使用しています」と貼り紙があり、そういうものかな、と思いました。いや、旨かった!同行の皆さんの評判も上々でした。和歌山、また行く機会がありますかね。
関連リンク: 和歌山ラーメン(wikipedia)