ドーピング娘。日々雑記
20220216
北京五輪最大の汚点になるかもしれません。選手たちの活躍には心躍るものがありますが、残念にも不愉快なこともいくつかあり、フィギュアのドーピング騒ぎはその最たるものだと思います。
女子シングルのショートプログラム。渦中のワリエワ選手、冒頭のジャンプで着地が乱れ減点があったようですが、そのあとは実に美しいスケーティングで全選手中トップの得点となりました。余計なことを考えずにこの演技を見られたら、さぞ良かったでしょうにねえ。
私の意見を言えば、彼女は五輪に出場するべきではありません。タラ・リピンスキーやキム・ヨナなど歴代の名スケーターたちも、世界の名だたるスポーツジャーナリストたちも、声を揃えて疑惑の選手の出場に異を唱えています。禁止薬物成分が検査で見つかれば、自宅でおじいちゃんの薬を間違えて飲もうが使ったグラスを共有しようが(なんて下手な言い訳!)問答無用であるべきです。
まだ15歳で年少だから将来を考えて目こぼししろとか、何を言っているのかわかりません。年少者ならドーピングをしてもいいのか?逆でしょう。ワリエワ本人がドーピングの実態を知らなかったとしても(そう思いたい)、関係者のやらかしたことで選手本人に責任が及ぶことは仕方がないです。
ロシアは、ソチ大会で組織的なドーピングを行ったとして今回の五輪でも国としての参加ができなくなっている「執行猶予状態」であることは皆さんご承知の通りです。潔白とされる選手が個人の資格でROC(ロシアオリンピック委員会)として特例で大会に参加しているのですから、潔白でなくなった時点で参加できなくなるのは当然ですね。
本当はそんなロシアが、個人ならいざ知らず団体競技に出ているということだって釈然としません。プーチン大統領はいったいどの面下げて開会式に出てきたのでしょうか。ロシアはソチでの不正自体を未だに認めていませんから、何の改善措置も表明していないわけです。これらをすべて有耶無耶にして事なかれ対処をしたIOCとCASにはがっかりです。
本当は樋口新葉や坂本花織の素晴らしかった演技について書きたいのです。坂本は4回転など大技はないものの、持ち前のスピードとジャンプ力でメダル圏内につけました。樋口は何故か日本のスケートファンにはあまり人気がないようですが、以前長野で見たときからいい選手だと思って注目していました。ショートではトリプルアクセルを見事成功させるなど、本当にいい演技で嬉しかった。成長株の河辺愛菜も含め、フリーが楽しみ!
恨みのサブチャンネル日々雑記
20220212
北京では連日、日本選手が活躍を見せています。11日は建国記念日、午前中から平野歩夢選手の金メダルを期待してスノボ/ハーフパイプを観戦しました。オリンピックの時しか見ない競技でニワカもいいところですが。
平野は1回目の試技から世界で彼しかできないと言われる大技「トリプルコーク1440」を見事に成功(ただしその後転倒)。2回目は素晴らしい出来栄えで滑り切り、やったトップだと喜んだのに思いもかけぬ低得点。本人も腑に落ちない様子、何で?と困惑した人も多かったようです。
2回目を終えて二位、この競技は3回滑った中でベストの試技の得点だけで順位が決まります。3回目は少なくとも現在トップのオーストラリア選手の点を上回らなくては勝てません。金メダルに向けて後がなくなりました。
3回目の試技も大詰めを迎え、最終滑走者の平野、いよいよ今大会最後の演技に臨むべくボードをゆっくり滑らせてスタート位置に…
画面は突然切り替わり「サブチャンネルのお知らせ」
大慌てで指示の通りにリモコンを操作するも、画面は反応しません。我が家は多くの皆様と違い電波の関係で、地上波もBSも、すべてのTV放送がケーブルテレビ経由なのです。普段使っているケーブル受信機用のリモコンでは駄目なんだと気づき、ようやく別のリモコンを手に取って五輪中継に戻るまで、2分近くかかったでしょうか。画面はすでに1位になった平野の顔とアナウンサーの喜びの声。なんてこった!
これ以上ない最悪のタイミングでしょう?私のように決定的場面を見損なった人は日本中に1千万人くらいいるのでは(知らんけど)。金メダルのかかった大勝負のまさに直前も直前でこんなことやるなんて、無神経にも程がある。どうかしてます。技術的な問題なぞないはず、甲子園の高校野球は期間中毎日、今回と同時刻の11時55分、切れ目なく教育テレビにリレーしているじゃありませんか。
憤怒がさめやらなかったのですが、平野が勝って嬉しかった気持ちが上回り、徐々に心穏やかになりました。平野は優勝を決めた直後「(2回目試技の)点数は納得いっていなかったけど、怒りが自分の中でうまく表現できた」と言っています。あれほど素晴らしい滑りでの低評価は誰も納得できなかったでしょう。優勝して本当に良かったけれど、ジャッジの主観(思惑?)がモノを言う競技のトラブルは、イヤですねえ。
風前の灯日々雑記
20220207
北京オリンピックが始まっています。昨日はジャンプ・ノーマルヒルで小林陵侑選手が見事金メダル。この競技で長野五輪以来の「金」だそうです。大本命と言われきっとプレッシャーもあったのだろうと思いますが、それも何のその、素晴らしいジャンプを2本揃えた実力は大したものでした。
さて長年の五輪開会式ウォッチャーとしては、これを語らないわけにいきません。世間ではおおむね好評のようですね。著名な映画監督チャン・イーモウ氏が前回の北京五輪(夏)に続いて演出した開会式は、なるほどと思う場面もいくつもありました。
二十四節気の映像によるオープニング。何となく日本独自のものかと思っていましたが、中国由来だとは知らなんだ。考えてみれば当たり前とも言えます。映像は、旅客機が着陸前に流す到着地のプロモーションビデオを洗練させたようなものかな。
緑色の長くしなやかな棒を集め風にそよぐ草を表現したり、青と白で氷雪をイメージさせたりと、ヴィジュアルに訴えかける力はさすがです。半年前の東京五輪がミクロのパーツを並べた(ピクトグラムはその典型)のに対し、会場の広さを生かした演出であったと思います。
私にとっては入場行進の音楽が、今回最大の不満でした。小中学校の鑑賞教材クラスのクラシック有名曲を羅列しただけで何の必然性も工夫もなく、見ていて気恥ずかしくいたたまれない気持ちになりました。中国に、こういう場面で人の心を捉える独創的なオリジナル曲を書ける気鋭の作曲家がいない筈がないのに。
さて注目の聖火。平面的で雪の結晶のような聖火「台」に、点火するのではなくトーチを突き立てたというアイデアに世界中の人が驚いたことでしょう。この灯は聖火台の中にあってあまりにも小さくか細く、「風前の灯」という言葉を連想させます。イーモウ氏は「脱炭素社会のコンセプトを現したアイデア」みたいなことを言っているそうですが、さて、それだけでしょうか。
私は、オリンピックの象徴たる聖火がまさに風前の灯になっているのだ、と感じました。アスリートの祭典、平和の祭典であった筈のオリンピックは、かつてないほど商業主義と国威高揚プロパガンダの場になり、自由や平和が脅かされ分断された世界の中であまりにも無力です。これからの五輪の存在意義、行くべき道が問われているいまを表しているのではないか、と。
イーモウ氏がそんなことを考えたかどうか知る由もありませんし(万が一そうだったとしても、言うわけないですよね)きっと見当はずれなのでしょう。しかし多くの矛盾に目をつぶりながら行われる北京五輪に対する隠れたアンチテーゼ、それが風前の灯なのかなあと勝手に思っています。
豆まき日々雑記
20220204
昨日2月3日は節分。例年なら大きなお寺などで著名人が豆まきするのはこの時季の風物詩ですが、コロナで火が消えているのはご承知の通りです。でも我が家では子供が独り立ちした今も、毎年豆まきをしております。
自宅と母の住む実家両方、すべての部屋と廊下(風呂、トイレ含む)で次々と窓を開け豆をまきますよ。さすがに窓を開け大声で「鬼はソト~」とやるのは気恥ずかしいので、小さめの声ですが。時節柄「悪霊退散!」も唱えましょうか。
しばらく前までは煎り大豆をまいていましたが、最近は殻付き落花生のことが多いです。ラクだもの。
テレビを見ていたら、静岡では「どうぶつヨーチ」なるお菓子を節分にまくと言っていました。堅いビスケットにカラフルな砂糖をコーティングしたものらしい。小さい子供には喜ばれるでしょうね。いくつかのメーカーで作っているようですが、製造元のサイトのよれば、もともとはkindergarten biscuit、すなわち「幼稚」園ビスケットというもので、ヨーチという言葉はそこから来ているらしいとありました。
もっとも今どきのこと、床にまかれたお菓子を拾って食べるなんて、と保護者からクレームが来ているかも。というか、絶対来ていますよね。現場ではどのように運用しているのかな。などと余計な心配をしてしまいます。
落花生をむいてポリポリ食べることは我が家ではあまりありませんが、何年も前にあるところで「ピーナツのガーリック味」に出会って美味しさに驚いたことがあります。妻にリクエストしていますがまだ採用されません。ニンニクのみじん切りとバターか何かの油を少量入れて炒るだけ(たぶん)なので、今年こそ作ってもらおう。
かれこれ2年も世の中に居座っている変な鬼を、そろそろ豆の力で撃退したいものです。どうぶつヨーチも総動員だ。
はんてん日々雑記
20220130
寒い季節、部屋の中はファンヒーターであっためていますが、それでも風呂上りなどパジャマだけでは寒くてもう一枚羽織りたいと思うとき。ずっと昔から「はんてん」の愛好者だったのです。冬の部屋着は何たって、はんてんですよね。あったかいんだから。
妻はこの素晴らしい日本文化の価値を理解しない人で、昔から着ていた私のはんてんは十何年も前からどこかにしまい込まれ、表に出ることがありませんでした。先日、私が「どうしてもはんてん着たい」と駄々をこねたら渋々出してきましたが、裾がほつれたりしてちょっともう使えない。
「私のならあるけど」と言って出てきたのが写真のはんてんです。妻が着ていたのをほとんど見た覚えがありません。「それでもいいからこれ着る」と1月中旬頃から使っています。ちょっと着丈が短いものの保温機能には問題ないです。さすがにこの真っ赤な色、私に似合うとも思えませんが、これを着て外に出るわけじゃないし、そういえば私、いま還暦じゃないですか。
はんてんには受験勉強中などずっとお世話になりました。勉強机に向かっていて睡魔に襲われたとき(つまり、毎晩)はんてんを頭からかぶる格好にして腕組みをすると、厚い生地が自然と引っ張られ頭がいい具合に固定されます。つまり椅子に腰かけ体を起こしたままで居眠りできるのです。勉強しているように見せかけたまま!
今どきの人はこんな場面で何を羽織っているのでしょうか。はんてん、コタツ、ミカンは寒い信州の冬の生活で三種の神器です。最近ミカンを箱で買うことがなく手元にないのが残念ですが、これを着て意外と寒いこの冬を快適に過ごしましょうぞ。
今日からマンボウしごと
20220127
コロナのことを書いてもしょうがない、と一週間前に言ったばかりですが、それでも長野県下にも今日から「蔓延防止等重点措置」が適用されるとあっては、ふれないわけにもいきますまい。こんなこと書きたくないんですよ。
いくらオミクロンが重症化しにくいとはいえ、これほど大勢の新規感染者が毎日発生していては行政も手をこまねいていられないでしょう。医療機関の逼迫度合いをもとに蔓防の適用を決めたと県では言っています。
しかしその対策はと言えば相も変わらず飲食店狙い撃ちがメインで、さまざまな矛盾点には手がついていません。最大のものは休業協力金の不公平感だと思います。売上規模を考慮しない金額の設定、店によっては休んだ方がむしろプラスになる焼け太りの可能性、同時に窮乏する関連業者の存在を無視した制度設計など、一年以上前から指摘されている制度の不備がそのまま放置されていることは、怒りを通り越して驚きです。
繰り返します、医療が逼迫しているなら、まず医療側を何とかするのが最優先でしょうに。飲食や観光業にケツを持ってくるのはその後じゃないですか(品のない表現お許しを)。これを政治の怠慢と呼ばずして何といいましょう。
それでも長野県知事は不必要な規制や自粛を強いることを何とか避けようとしているようには見えます。長野は観光県ですからね。口では経済を回しながらなんて言いながら、やっていることは全然進歩していない人の多いこと。秋から年末にかけて感染が収まっていたとき、何をしていたのさ。
コロナ襲来から2年近くたち、リスク要因については相当の知見が積み上げられているはずです。なのに相変わらず図書館や美術館が規制の対象にされているのは何ででしょう?水族館もダメなんだっていわれて、館内の水槽で泳いでいるマンボウだって呆れているのでは。
私たちの業界にとっては、1月2月はもともと閑散期であることが不幸中の幸い。第6波は広がるのも早いが収まるのも早い、という見方が多いようです。今回の蔓防適用は2月20日が期限、その頃になって「あの時の大騒ぎは何だったんだろう」となることを願っています。
(1/28付記)奈良県荒井知事は、蔓延防止等重点措置には効果がないとして適用を申請していません。これまでの感染の検証から「飲食店の営業時間短縮と酒類の販売停止が感染者数の減少につながっていないと判断した。医療が逼迫するから飲食店を時短するというロジック(論理)が分からない」と言っています。記事をリンクしておきました。
関連リンク: 奈良県荒井知事の談話(産経新聞)
新大関、御嶽海日々雑記
20220126
大相撲初場所でみごと三度目の優勝を飾った御嶽海が、大関昇進を果たしました。ずいぶん待ちましたぞ!優勝翌日の信濃毎日新聞、めくっていくと両面全てを使った巨大な写真が出てきて度肝を抜かれました。信州の相撲ファン皆が待ち望んでいた朗報でした。
鳴り物入りで角界入りしてから目を見張るようなスピード出世を果たし三役に定着、優勝も二度を数えいつ大関に昇進してもおかしくなかったのに、後輩たちに次々と先を越されておりました。稽古不足を毎場所指摘され、また連敗癖や格下の相手にあっさり負けたりと、スタミナやメンタルに問題あり、と何度言われたでしょうか。
初場所前には場所後の大関昇進なんて誰もが想像していなかったのに(伊勢ケ浜審判部長は『全勝優勝でもすればあるかも』みたいな話をしていました)すっかり場所の空気を自分のものにしてチャンスを手繰り寄せました。立ちはだかるはずだった横綱照ノ富士の怪我や大関陣の休場・不振もありましたが。
今場所の御嶽海は何だかいつもと顔つきが違う、と思いませんでしたか。これまでは割合にポーカーフェイスの人だと印象を持っていたのですが、立ち合い前の仕切りでも非常に厳しい表情を見せているように感じました。今朝の新聞には、意識して表情を作っていたのだと。やっぱりそうなんだな、闘争心は顔に出る。2枚目、千秋楽横綱戦での表情をご覧ください。
本人は現代っ子(死語)でサービス精神も持ち合わせているし、受け答えなどを見ても頭の良い人なんだと思います。勝負後、土俵の外に出た相手力士に手を差し伸べる場面も多く、心のやさしさも伝わってきます。その彼が、勝負に本気になった結果です。
長野県からは伝説の名力士、雷電為右衛門以来227年ぶりの大関だと話題になっていますが、あまりに昔のことで実感のしようもありません。だいたいその頃「長野県」などというものはないですし。御嶽海の持ち味を生かした大関像を作り上げてほしいと思います。昇進してもパッとしない大関が残念ながら最近多いですが、安定感に厳しさが加わった相撲を忘れずにさらに上を目指し、私たちファンを喜ばせてほしいですね。
ところでインタビューに答える御嶽海の笑顔を見て思いつきました。この人は「ゆりやんレトリィバァ」に何となく似ています。
寅年ソング音楽ばなし
20220123
Eテレ(NHK教育TV)で毎朝6時55分から、その名も「0655」というミニ番組をやっています。出勤前の5分間、ペット自慢投稿の歌やちょっと気の利いたアニメなどを放映しています。
新年を迎えてからしばらくの間は干支にちなんだ歌を放送していて、今年はもちろん「寅年ソング」が流れています。その題名は「トラ太郎とトラッタラッタオーケストラ」。動物たちのオーケストラで、トライアングル奏者のトラ山トラ太郎が活躍する歌です。軽快なアップテンポで、主役のトラ太郎君が可愛いです。
雨の日も風の日も朝早くから夜遅くまで一所懸命練習し、ついに迎えた本番ではリストのピアノ協奏曲ばりにソロでオーケストラとの掛け合いをカッコよく演じます。(リストの曲は音楽史上初めてトライアングルをソロ的に扱った曲として有名です)
演奏は【トラ太郎とトラッタラッタオーケストラ【歌:堀江由朗+トラッタラッタ合唱団/演奏:藝大フィルハーモニア管弦楽団/パーカッションソロ:早川千尋】とのこと。トライアングルを演奏する早川千尋さんは長野市出身で、小諸高校から国立音大に進み現在フリーで活躍されている方だそうです。彼女によれば、収録ではトライアングルのみならずシンバルなど他の打楽器も(多重録音で?)演奏したとのことですよ。
さてオーケストラで「トラ」といえば、関係者の誰もが真っ先に思い浮かべるのはエキストラでしょう。さまざまな理由で正団員以外の方に助演としてオケに入ってもらうときに、手伝ってくださる方をエキストラと呼びます。メンバーの少ない伊那フィルでは演奏会の都度、何人ものエキストラをお願いしています。N響などプロのオケでも大きな編成の曲ではトラを呼ぶことは全然珍しくありません。
歌詞にも「オーケストラのトラ」とありますがトラ太郎がエキストラであるような描写はありません。トラッタラッタオーケストラはアニメ画面で見ると弦楽器5名、管楽器3名、ハープ1名に打楽器5名というかなり特殊な編成ですから、この曲のために集まった臨時オケなんでしょうなあ。
もう一月も終盤ですから、まだ放送してくれるかな?今のところ公式の動画はwebでは見られないようです。
関連リンク: 早川千尋さんのホームページ
ゴミ箱は景気のカギ?日々雑記
20220120
年が明けてからのコロナ感染者増大が凄いことになっています。駒ヶ根市でも毎日複数の方が感染していてただ事ではなく、師走に久しぶりに賑わった街もすっかり静かになってしまいました。
今回の波は重症化せず、感染力が早い割に収まるのも早いらしいので、何とか早期にやり過ごしたいものです。もう何だか、コロナの話を本欄で改めて書いてみても仕方がないと思うようになりました。
さてネットで読んだ記事のご紹介です。東京メトロ(地下鉄の会社)が駅構内のゴミ箱を撤去すると発表したのは少し前のこと。いよいよ今週から実施されています。
東京メトロはその理由をセキュリティの強化と言っているそうですが、本当の理由はゴミ回収などのコスト削減だろうと記事の筆者は推測しています。まあ、そうでしょうね。最近の列車や駅での大きな犯罪はいずれも犯人が凶器で乗客を傷つけたもので、ゴミ箱が犯行に使われた例は見ません。
鉄道駅に限らず街なかからゴミ箱が消えているのは、私が以前たまに東京を歩いた頃からも明らかです。地下鉄サリン事件を受けてあちこちのゴミ箱が危険視され撤去されました。一般人にとってはまことに不便なことです。たまにしか東京に行かない私だってそう感じます。
記事にあるように歩きながら飲食しようとする場合は、かなり困りますよね。販売したお店ではもちろん出たゴミを受け入れるでしょうが、誰もがその場所にとどまって飲食するわけではありません。面倒を避けようと、無意識のうちに購入行為自体が敬遠されている事例もそれなりにあるでしょう。景気を左右するとまではいかなくても、市民生活の一面を委縮させているとは言えるでしょうね。記事筆者の発言にはふだん賛同できないことも多いですが、この件は同意します。
自分だったら抗議の意を込めて空き缶を地下鉄のホームに置き捨てていく、みんな物分かり良すぎるんじゃないかと有名なツイッタラーが書いて、プチ炎上しているようです。褒められる行為とも思えませんが、気持ちはわからないでもないです。
ゴミを処理するのはそもそも誰の仕事か、を考え直すことも大事でしょう。社会生活の副産物として発生するゴミは、受益者負担で片付ければいいと決めつけるものでもありますまい。街なかや駅や公園など公共の場に、ゴミ箱は必要なものです。それを認めることから、始めなくてはならないのでは。
トンガ大噴火日々雑記
20220118
トンガの大噴火事件。現地では海底ケーブルが破壊され通信途絶、火山灰のため飛行機も飛べないなど、情報が途絶していて被害の様子すらなかなかわからない状況です。27年前の阪神淡路大震災でも、最も状況が悪いはずの震源地周辺だけポツンと情報が入らなかったことがありました。
衛星から撮影された噴煙の写真、関東地方がすっぽり覆われるくらいの広さだそうですから大変なスケールです。噴煙の下はどうなっているのでしょう?まさか「ポンペイ最後の日」みたいになっていやしないかと思うとゾッとしますね。それに加えて津波もあったのです。
噴火のあった日は当初「日本では津波の心配はない」と聞いてそのまま寝たのです。翌朝TVをつけてみると、あちこちで警報が出ていたり岩手県などで実際に結構な津波があったり、訝しく思いました。大地の震動が津波となって伝わるのではなく、衝撃波が大気を通して波を動かすなどということは、気象庁でも経験したことのない新事象だそうで混乱したのも無理はありません。そもそもこれは、津波と呼ぶべき事象だったのかも定かでないというのです。
現地では命が脅かされている人も多いはずです。一刻も早い救援が待たれますし、また義捐金など私たちにもできることがあるでしょう。
さて成層圏まで吹き上がった火山灰が世界に拡散し日照を遮り、農作物の生育に影響が出る可能性が指摘されています。1991年フィリピンのピナツボ火山噴火のときは冷夏の原因となり、日本でもコメが凶作となり緊急輸入を余儀なくされた「平成の米騒動」事件は記憶に新しいところです。慎重に様子を見守らなくてはならないでしょう。
いま書くことかわかりませんが、1883年インドネシアのクラカタウ島の大噴火(有史以来人類が観測した最大の噴火といわれる)で舞い上がった粉塵のため、その年は見たこともないような美しい夕焼けが世界中で見られたのだそうです。七色に輝く夕焼けを見て色鮮やかな絵画を残した画家たちも大勢いるとのことで、トンガの噴火もこのような副産物を生むかもしれません。