「おいしいことなど徒然と」

社長ブログ

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分別ごみの回収日々雑記

20110512



この日(11日)も朝から雨。
地区の分別ごみ回収当番でした。


今年は隣組長ということで、2~3ヶ月に1回当番が回ってきます。朝7時に回収ボックスなどを準備し、次々とゴミを持ってくる近所の皆さんをお迎えし、分別不十分な場合はその場でご指導申し上げ、回収車が来るのを待って引渡しをして解散。2時間くらいですね。


駒ヶ根の分別ごみは、瓶(色別)、スチール缶、ペットボトル、食廃油、乾電池、蛍光管です。別の日には「資源ごみ」として、新聞雑誌や段ボール、アルミ缶、古着などを集めます。


隣組の世帯数が少ないので、任期一年の隣組長はあっという間に回ってきます。前々回(だったかな?)の時、環境美化推進の担当だったので、月2回のごみ回収に一年間ほとんど全部立ち会いました。


その頃は今のようなごみ回収の有料化と分別が始まって間もない頃で、出されるごみもアルミ缶とスチール缶の区別がついていない、ペットボトルの中に油の容器が入っている、など、なかなか分別ルールが周知徹底できていないなと思う場面がたびたびでしたが、今ではほとんど問題ないように思えます。


あの頃とても困ったのは、空き瓶の紙ラベルを洗って剥がせ、といわれたこと。輸入ワインなど、簡単に剥がれないのですよこれが。一晩水に漬けておけ、とか言われましたが、糊の材質によって、どうしても剥がれないものはありましたね。


今では回収後機械で洗浄するから、ということでラベルはそのままでいいことになっています。我が家はどうやら町内一のワイン呑みらしいですが(回収に出される空き瓶を見る限り、ダントツと思われる)まったく助かりました!



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GW終わるしごと

20110510



朝からすごい雨降りです。南の海では早くも台風1号が発生したとか?


当社にとっての年間の大きなヤマ場である、お花見からゴールデンウィークが終了しました。


4月上旬の売上は、まったく暗澹たるものでした。高遠のお花見需要が大きく打撃を受け、お話を聞くところでは例年の三分の一程度しか集客がなかったとか。


思えば去年の4月は、諏訪の御柱祭にかなりお客を取られてしまった感のあるお花見でしたが、それどころではない激減ということですから、地元の方々もさぞガッカリだったことでしょう。


高遠に限らず、今年は中国からの観光客がほぼ全滅に近かったことも大きく影響した様子です。日本中が海外客から敬遠されている状況では、当地もご他聞にもれません。


しかし4月も下旬に入ってからは徐々に持ち直し、心配されたGWも天候に恵まれた後半戦はそれなりに人も動いた様子です。正直どうなることかと思っていましたが、少しほっとしました。


本当はこれからが、当地ではとてもいい季節だと思うのですよ。5月の新緑の美しさと山菜のおいしさは、じゅうぶん観光のお客様を楽しませることができると思っています。お花見に来そびれた人、ぜひお出かけをオススメします。また木曽はもともと5月が観光の主シーズンでもありますし。


でも6月から、休日の高速千円割引が終わってしまうようですね…仕方がないとは思いますが、観光的には、とっても、とっても痛いものがあります。ちょっと前には平日も上限二千円、って話もあったのにね。


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ユッケは食いたし、…食べもの

20110508



この出鱈目な店の肉を食べ、食中毒で亡くなったり苦しんでいる方々は、本当にお気の毒なことだと思います。。


私は以前からユッケは好物で、焼肉屋さんに行くと、しばしば注文します。今回の騒ぎを受けて多くの店がメニューから外しただろうから、しばらく食べられないでしょうね。タルタルステーキやカルパッチョなど、西洋料理にも生肉を使う料理はいくつかあります。これらは、どうなんでしょう。


ナマのものを食べることには、それなりのリスクがつきものです。生牡蠣でもサバでもホタルイカでも、ウイルスや寄生虫による食中毒の危険はあり、読者の中でこれらに「当たった」経験を持つ人もいらっしゃるかと思います。私も以前に海外旅行で、卵(生ではなく加熱されていましたが)に当たって苦しんだ経験があります。


生肉にも、他の食品に比べると高いリスクがあると考えられます。(言うまでもなくリスクがゼロの食べものは、地球上に存在しません)


ではそのリスクがどの程度高いのか?これにはいろいろ考え方があると思いますが、ご参考までに厚生労働省の食中毒情報統計にリンクを張っておきました。たとえば平成22年度は、肉類に起因する食中毒の発生は全体の3.4%で、死者はいません。


ユッケを供するときの安全管理のイロハもわきまえていなかったエセ焼肉店(トリミングを怠ったり、前日の余りものを出したり、もう論外)が存在したことは残念なことです。ただ、これを受けてすぐに「危ない!規制!規制!」と叫んでみせるメディアには、いつものことながら、いささか閉口します。一つの企業が起こした不祥事で、待ってましたとばかりに規制強化を唱える人たちを見て、本当にそれがベストの選択なのかな、とも思います。


今回の食中毒事件を受けて私たちが教訓とすべきは、生肉を日本の飲食店から追放することではなくて、食べたい人はこのリスクをきちんと認識した上で、食べる食べないを自ら決めることではないでしょうか。(小さい子供やお年寄りに食べさせないことは勿論ですが)


何でもかんでも消費者の自己責任というつもりはありません。私たちにできることは、「リスクの高いものは、信頼できるお店でしか食べない」という原則を守ることなのでは。


信頼できるお店…私たちが直接お店のバックヤードまで把握することはできませんが、お店のご主人やスタッフの衛生観念や仕事に取り組む姿勢、ひいては人間性を信頼するからこそ、安心していろいろな料理を食べることができるのだと思います。


仕事上でお付合いしている飲食店の方々は、皆さん真剣に食の安全に取り組んでいます。何と言ったって飲食業の基本です。勿論保健所による定期的な検査も受けています。しかし消費者の立場に立てば、そのことを担保し安心してもらうために、あと何が必要なのだろうかということは、業界側も考える必要がありますね。


だいたい、和牛ユッケが一皿280円ってのはねえ…いくらなんでもありえないでしょう。極端に安いものには、それなりの理由がありますよ。


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英国王のスピーチ読んだり見たり

20110503



ゴールデンウィーク真っ最中。前半戦は雨にたたられましたが、今日からの後半戦は今のところ何とかお天気も保っています。県外車も目立ちます。


ロイヤルウェディングでイギリス王室がホットな注目を集めています。ちょうどタイミングよく、話題の映画を少し前に観てきました。アカデミー作品賞をはじめ、7部門を受賞しています。


(ネタバレあります)


幼い頃から吃音と極度のあがり性に悩む英国王子ヨーク公。いろいろな治療を試したがうまくいかず、妻の勧めで、ある言語療法の専門家にお忍びで指導を仰ぐ。最初は彼の型破りな治療に当惑するが、だんだん2人の間に心が通い合い、吃音は少しずつ回復していく。


一旦は王位に就いた兄が、離婚歴のある女性との交際で退位することになり(世に言う「王冠を賭けた恋」事件)ヨーク公は国王ジョージ6世として即位する。その頃欧州はナチスの台頭に脅かされていたが、ついにドイツ軍が侵攻し、第二次大戦が勃発した。王は開戦にあたって国民を鼓舞し、心を一つにするため、絶対に失敗の許されないスピーチに臨むこととなる。


いかにも英国風に、信頼、友情、責任という堅いテーマを品格とユーモアあふれる映画に作り上げています。


よく言われますが、イギリスの王室ってのはフランクですね!こうした内容の映画が日本で撮られるかといえば、もちろん考えられません。国民との距離が本当に近いと思います。ダイアナ妃の例を引くまでもなく、それが良いことばかりでないのはもちろんですが。


さて前評判が大変高かったので大いに期待して観ましたが、俳優たちの演技がそれぞれ素晴しかったと思うのですよ。(ハリーポッターの魔女ヘレナ・ボナム・カーターが、こんなに魅力的な人だとは知らなかった!)しかし、脚本が、いまひとつかな。


この映画のクライマックスは、戴冠式でのスピーチに持ってくるべきだったのでは。ここを肩透かしのようにすっ飛ばして、開戦のスピーチまで引っ張ったのは、どうよと思いました。結婚式の中継でも見られた戴冠式の式場の荘厳さ、素晴しさが俯瞰で見事に撮られていたのに、もったいないな。


ちなみに実際のジョージ6世の戴冠式には、作曲家ウィリアム・ウォルトンが名曲「クラウン・インペリアル」を献呈しています。私が打楽器を始めたときに演奏した思い出深い曲で、これは全く私の我儘にすぎませんが、ちょっとでも聴かせてほしかったね。結婚式では終了後、主役たちが教会を出てパレードに向かう場面で演奏されていました。


そして重々しい開戦のスピーチに重ねられた音楽は、なんとベートーヴェン交響曲第7番の第2楽章。曲調はそれは良いでしょうが、敵国ドイツの曲をここで採用したのは、この曲にドイツの軍靴の響きを重ねたってわけですか?(映画でこんな重要な場面に流れる曲を無頓着に選曲する筈がないもの)それは…ベートーヴェンの音楽に失礼というものでは。


短時間でバタバタと慌しい中でのスピーチ…確かに緊張感あふれ、歴史的にはもちろん重要な出来事ではあっても、物語の組み立てとしては物足りなさを覚えました。


最後の場面での誇らしい笑顔で、国王の務めを見事に果たした堂々たる風格を見せていましたが、調べてみると、王は吃音を完全に克服できたわけではなく、晩年には大事なスピーチを全うできなかったりしたこともあるようです。


ご承知の通り、彼はいまのエリザベス女王の実父です。56歳という若さで亡くなったのは、もともとあまり丈夫でなかったところへ兄から突然王位を渡され、重責に心身ともに疲弊したこともあるのでしょう。誠実で責任感の強いひとだったそうですが、映画でも彼の人間性はうかがい知ることができます。


期待が大きかっただけにちょっと残念でした。繰り返しますが、出演者の演技は見ごたえがあり満足していますので、決してつまらない映画というわけではないですが。





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JC45周年で日々雑記

20110502



駒ヶ根青年会議所(駒ヶ根JC)の創立45周年記念式典にお招きいただきました。5年目ごとの「周年行事」は、いつも厳粛、盛大かつ華やかに行なわれますが、今回は大震災を受けて規模を縮小し、厳粛オンリーでの開催となりました。


以前には「駒ヶ根商工会議所青年部」の創立記念の話を書きました。名前が似ていて紛らわしいですが、もちろん全然別の団体。しかし内容は実際のところ、共通している部分もかなりあります。


JCは世界的な組織で、地域づくりのさまざまな活動、その活動を通した自己研鑽、業種を超えた交流、などを目的としています。私も30歳から10年間お世話になり、西暦2000年という節目の年には理事長をやらせてもらいました。


この10年は、思い出に事欠きませんが、まあ…よくやっていたと自分でも思います。特に役職にあった年は連日連夜の行事や会議、その後での飲み会(これが大事)、会社を空けることも多く、当時社長だった父もよく認めてくれていたものです。


大学卒業後、東京で数年間サラリーマン生活を送り、地元に帰ってきました。ここで思ったのは、良くも悪くも田舎での環境は、同世代での「切磋琢磨」の機会が圧倒的に少ないな、ということでした。(あくまで私自身の話ですし、同業者間での競争とか、そういうのはまた別ですよ)


そんな中で入会したJCは、錚々たる先輩たちが地域づくりに激論を戦わせているエキサイティングな場所でした。自分を鍛え、地元の仲間に加えてもらう場所として絶好だと思いましたし、卒業してからもずっとそう思っています。


式典では今後5年間の活動の指針となる「中期ビジョン」の発表がありました。今の私から見れば大層な「気負い」を感じ、もっと肩の力抜いたらどうよ、とも思いますが、このハイテンションがいかにもJCらしく、良いところでもあるんですよね。


終わってから仲間で一杯やりました。いつまでも熱い気持ちを忘れない人たちの渦の中にいる快さ。


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蕎麦のカリスマ食べもの

20110427



その名声は天下に轟き、全国に千人の弟子を持つ蕎麦の第一人者、「翁達磨」の高橋邦弘氏。彼の打ったお蕎麦をいただく機会がありました。


そば会の主催は、地元駒ヶ根の「養命酒」さん。高橋氏はずっと以前から養命酒が作っている「家醸本みりん」を愛用しており、自らこの品の広告にも登場している縁あって、そば会の開催に至ったようです。私も楽しみにして行きました。(家醸本みりんは、値段は高いですが、大変評判の良い品です。当社でも扱っています)


そば会は養命酒駒ヶ根工場の一角「健康の森」にある、土蔵の中で行われました。


蕎麦打ちの様子を目の前で見せてもらいました。名人の手際の良いこと、さすがです。こねた蕎麦生地の固まりをピザのように手で円く伸ばしてゆくのですが、まとまるのが実に綺麗な真円形で、美しい。めん棒を使って角を出してゆく(丸い生地を薄い四角形に伸ばします)のも、鮮やか。


いただいたお蕎麦の味は…


コシがあって、なおかつ滑らかな蕎麦。ざらつきが全くないのです。変な表現で叱られるかもしれませんが、中華麺を思い起こします。ご本人の言葉によれば「もちもちした感じを目指している」そうです。吸い付くような弾力のある感触が快い。


色は黒からず白からずで、太さも中ぐらいでした(1.2ミリと言っていました)。割合は、二八。蕎麦自体も香り高くておいしいのですが、つゆとの相性が絶妙で、いずれも突出せずに仲良く相乗効果を上げている感じです。


お蕎麦をいただいたあと、短時間のトークがありました。めん棒は野球のバット職人に作ってもらう特注品で直径26ミリ。当たり前でしょうが道具を大切にしており、のし台は30年以上も使っているそうです。


パリにもお弟子さんの店がありますが、例の原発風評問題で日本からの食材がフランスの通関を通らず、困っているとのこと。


食べる人の好みはいろいろ。もっと黒いのがいい、白いのがいい、つゆは辛くしろ、甘くしろ。ですが、私の味は変えません。この味を気に入っていただいた方に来てもらえればいい…
結びの言葉に、自信のほどが垣間見えました。


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さようなら、スーちゃん日々雑記

20110425



元アイドルグループ「キャンディーズ」の一員で、今は女優として活躍していたスーちゃんこと田中好子さんが亡くなりました。特別なファンではなかった私ですが、これまで芸能人の訃報であまり感じたことのない、大きな喪失感があります。


(下の方で映画「黒い雨」のネタバレがあります)


キャンディーズのコアなファン層は私より2、3歳くらい上の方々でしょうか?伝説の解散公演があったのは、私が高校2年の春でしたからね。


私はキャンディーズの歌を熱心に聴いてはいませんが、「8時だヨ!全員集合」のレギュラーメンバーであった彼女たちは、可愛いお姉さん、という感じで毎回楽しんで見ていました。特に体操のコーナーで元気に「はい、ポーズ!」を決めるぽっちゃりニコニコしたスーちゃんは、ほんとに可愛かったな。


解散後、スーちゃんは女優の道を歩き始めました。アイドル上がりの女の子が芝居できるの、と思って見ていましたが、本格女優としてぐんぐん成長していくのを見て、正直感心していました。


代表作で、数々の女優賞を受賞した「黒い雨」。じつはこの映画を観たのは公開よりずっと後のことなのですが、学生の頃読んだ原作以上に衝撃的な映画でした。


彼女はこの映画で裸を見せ、当時の話題になっていますが、それは全然SEXYな場面でのことではありません。


昭和25年。スーちゃん演じる矢須子は、直接被爆をしていないものの、広島原爆の投下直後に降った「黒い雨」を浴びていたため、持ち込まれる縁談も次々と破談になってしまう。矢須子を世話する叔父は、被爆をしていないことを証明しようと矢須子の日記を清書するのだが…


風呂で髪を洗っている矢須子。気がつくと、髪の毛がごっそり抜けている。両手にからみつく黒髪を、魅入られるように見つめる矢須子。


これまで周囲の人たちが次々と被爆の後遺症で亡くなっていく中、ついに自分にも症状が現れた衝撃。放心したような、諦めたような、うっすら微笑んでいるとさえ見える、何という表情でしょう!忘れようにも忘れることのできない場面です。ああ、この人は、女優になった、と思いました。


乳がんに侵されながら十数年もの間、周りに弱さを見せずに病魔と戦ってきたスーちゃんと、この映画は、あまりにもオーバーラップしており、やるせない思いです。まだ55歳、早すぎる死を悼みます。


さようなら、スーちゃん。


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音楽にできること (3)音楽ばなし

20110423

震災後、プロの音楽家の皆さんたちのブログを読むと「こんなときに自分は何ができるのか」と胸のうちを吐露している方が大勢います。。


現実問題として3.11以降、数多くのコンサートの開催が取りやめになっています。歌舞音曲の自粛という、一体いつの時代かと思う言葉も彼らを苦しめているでしょう。演奏活動によって生計を立てている彼らには、私たち以上に生活の不安が降りかかっているはずです。


確かに大災害の真っ只中で音楽家としてできることは、一般の人と何ら変わりなく、ほとんど無力に近い。ですが、破壊と恐怖が一段落し、復興に向けて長い道のりを歩き出す過程においては、彼らの奏でる音楽の持つ力は、社会的にも大きな役割を果たすことができるはず。


これから被災地での彼らの出番も、きっとやってくるでしょう。(そのためには、彼らの生活を支えるさまざまな支援も必要です…本当に)


音楽ってのは、軍楽など一部の例外を除けば、やっぱり平和なときの楽しみであってほしいと思うのです。しかし人々が悲しみに打ちひしがれたり、苦しみの最中にあるときには、心を癒し支えてくれる大きな力となります。今回のメータN響の第九は、それを改めて現実に示してくれたように思います。


メータと同じ頃、やはり世界的なアーティストである歌手のプラシド・ドミンゴも来日し、日本の聴衆に素晴しい歌を聴かせました。アンコールに祈りを込めて日本語で歌われた「ふるさと」には、ファンも一体となった大合唱が巻き起こり、会場中が温かい感動で包まれたそうです。


ひとりのアマチュア愛好家にすぎない私も、音楽から勇気をもらいました。

感謝です。



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音楽にできること (2)音楽ばなし

20110421



コンサートの冒頭。黙祷に続いてメータが聴衆に語りかけます。


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こうしてオーケストラと合唱の仲間たちに迎えられ、
ここにいる皆様と、そしてこのような大きな困難に
立ち向かう日本の方々の姿に深い感銘を受けた
世界中の大勢の人たちと共に、この機会を共有できることを
光栄に思います。まさに桜が満開となる今日、
避難所でいまだ闘っている東北の被災者の方々が、
一年後そしてそれ以降も一生、桜を楽しむことが
できるようになっていることを祈るばかりです。
今日、私たちは被災者の方々、
そしてそのご家族やペットのことを考え、
彼らの無事を祈ります。
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まず追悼曲としてバッハの「G線上のアリア」が拍手なしで演奏され(この曲は、こうした機会では定番といっていいほどしばしば取り上げられますが、抑えた悲しみと安らかな癒しに満ちた、何とぴったりくる曲でしょうか)引き続いてベートーヴェンの第九が始まりました。


何十遍も聴いたこの曲。「苦悩から歓喜へ」を象徴していると言われ、年末には風物詩のようにあちこちで鳴り響き、祝祭的な曲として扱われることが多い曲です。


しかし今回の演奏は(放送では第1、第4楽章しか聴けませんでしたが)とてもストイックな、疾走感のある第九でした。テンポも早めで、終始厳粛な面持ちでさまざまな表現がなされ、こういう第九もあるのか!と思いました。


これは追悼コンサートというシチュエーションから連想されるイメージからだけではなく、実際に私が演奏の中から感じ取れるものでした。メータの演奏は、よくゴージャスだとかグラマラスだとか評されます。外面的で中身がない、などという批評家もいます。とんでもない!厳しく、力強く、本当に感動的な演奏でした。


特筆すべきは合唱で(東京オペラシンガーズ)みなぎる力、確かな発声、会場にいた人はちょっとやそっとでは忘れられないものだったのではないでしょうか。この曲は日本では、プロのオーケストラ公演でも合唱はアマチュア、というケースが大半ですが(実際アマチュアでも一生懸命やれば何とかなるように書かれている)ホンモノのコーラスの凄さを改めて感じました。独唱も良かった。


この公演は、24日の朝6時から、NHKBSプレミアムで放送されます。ぜひ多くの方に見ていただきたいと思います。


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音楽にできること (1)音楽ばなし

20110419

こんなときこそ、人々の心を癒し、元気づけてくれるものであってほしい。。


震災直後は、首都圏で多くのコンサートが中止となりました。余震の影響、停電、交通状況などが考慮され、また「こんな状況で音楽か?」という声ももちろんあったと思います。やむを得ないことでしょう。


中には3月11日の夜に、予定通りコンサートを行ったオーケストラもありました。電車が止まってしまい、予めチケットを購入していた人でもほとんどの人は足を運べなかったようですが、何とか来場してくれた数十人の聴衆を前にして演奏をしたそうです。(来られなかった人には払戻し)


本番前ですから楽員はホールに全員揃っていましたし、演奏会中止の告知をする時間もなく、また楽員も家へ帰ろうにも帰れなかった状況で、とにかくできることをやろう、という判断でしょう。正しかったと思います。


何日かたち、徐々にコンサートは再開され始めました。しかし、福島原発の問題が世界各国で避難勧告などの形で表面化するのにしたがって、来日予定だったアーティストたちのキャンセルが相次ぐようになりました。現に日本に住む私たちには納得いかない部分もありますが、逆の立場だったらと考えると一概に彼らを責めることもできません。


震災当時に来日していたイタリアのフィレンツェ歌劇場も、フィレンツェ市長から帰国命令が出され、公演の全日程を終了しないまま帰国することになりました。


一連の公演を指揮していた大指揮者ズービン・メータは、このことを大変残念がりました。この素晴しい国の人々を何とか音楽で励ましたい、と単身で再び来日し、復興に向けた被災者支援のチャリティーコンサートが開催されることになったのです。


メータはこれまで米ロサンゼルス地震や湾岸戦争など、危機的な状況下でも指揮台に立ってきた巨匠です。4月10日のチャリティーコンサートではNHK交響楽団と共にベートーヴェンの「第九」が演奏され、その一部が17日にTVで放映されました。


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