勝っちまった…日々雑記
20180619
日本代表、強豪コロンビアに勝利!引き分ければ御の字と思っていたのに、なんと勝ってしまいました。さっき試合が終わったばかりですが、頬っぺたをつねりたくなるような気持ちです。
開始わずか3分、コロンビア選手が一発レッドカードで退場。PKを香川が落ち着いて決め、あっという間に1点先取。試合前に別の場所で飲んでいて、ハメスが退場にでもなれば勝てるかも、なんて馬鹿話をしていたのです。まさか本当に(ハメスではないが)退場してくれるとは。
試合時間90分のほとんどを11人対10人で戦えて、しかも1点アドバンテージをいただけたのですから、これはもう圧倒的優位ではないですか。応援にも力が入りますわ。
FKから同点に追いつかれたときは「ああ、やっぱり…」と萎えかけたのですが(壁に立った皆さん、ジャンプしてるのにゴロで足元を抜かれシュートを決められるなんて、ありかよ)後半になってからほぼ一方的に攻め続け、何度目かのCKを大迫が見事に頭で決めて勝ち越し、そのまま守り切ってみごとに格上の相手を破りました。
みんなよく動いたし、1対1のデュエルでも頑張りました。大迫、原口、乾、柴崎、昌子、長友、良かったですね。恐れていたコロンビアのエース、ハメスが明らかに精彩を欠いていたのにも(事前情報がありましたな)助けられました。
前回ブラジル大会で1-4と惨敗した相手にみごと雪辱を果たし、選手たちの喜びもひとしおだろうと思います。今大会ではドイツがメキシコに敗れるなど、ランキング上位チームの苦戦が目立ちます。日本も下剋上マッチの主役の一つに名乗りをあげました。
それでもこれから、セネガル、ポーランドと強敵が続きます。シュートの精度は決定力不足の烙印を返上できるにはまだまだですし、つまらぬミスも目立ちます。大会を通してどんどん強くなっていくチームというのはありますから、コロンビア戦のいい雰囲気を保ちつつしっかり修正して、ロシア大会の台風の目になってほしいと期待します。
的を得る日々雑記
20180615
風呂から出てTVを点けましたら「プロフェッショナル 仕事の流儀」をやってました。番組はもう終わりに近いところでしたが、今回は辞書を作る人が主人公。後から調べたら「飯間浩明」さんという方でした。
ちょうど今「辞書になった男」(佐々木健一著)という本を読んでいる最中なのです。見坊豪紀・山田忠雄という二人の国語学者の足跡をたどるもので、出版された時は話題になりました。大変面白い本ですが、飯間さんの仕事がこの本の内容とマッチングしていて、これは最初から観ればよかった!と思いましたが後の祭りです。
番組の最後では、新しい辞書を編纂中の飯間さんが「的を得る」という言葉をどう扱うかが描かれていました。
的は「射る」ものであり「得る」ものではない。「的を得る」というのは誤った用法であり、「当を得る」と混同されている…私はこれまで、ずっとそう思っていましたよ。我が家の広辞苑にも、「的を射る」は載っていますが「的を得る」は載っておりません。「得る」を誤用としたのは上記の見坊豪紀氏だそうです。
飯間さんはこれに異論を唱えます。「得る」は「捉える」に通ずる。古い文献を調査して「的を得る」が使われた具体的な用例を探します。そして何と、250年前の用例を発見するのです。由緒正しく使われているのなら、一般的に「射る」が主な使い方ではあるものの「得る」を誤用とまでは言えません。
編集会議ではこの言葉の扱いを巡り、延々5時間にわたり議論が戦わされます。飯間さんはこの言葉の説明を、何度も何度も書いては消し、書いては消します。「得る」も正しいと強調すれば、これまで「射る」を使ってきた人たちの気持ちを損なってしまうかもしれない。
悩んだ末、彼は語釈に「得るは誤用ではない」とは入れず、しかし「『射る』も『得る』も特に戦後広まった言い方」との一文を付け加えました。そして「得る」がこれまで人々に使われ生きてきた言葉だという思いを込めたのです。
うーん、唸ってしまいますね。一つの言葉にこれだけのドラマ。辞書の持つ無機質なイメージが変わってきませんか?
米朝不安なり日々雑記
20180614
何やかやと忙しく更新をサボっている間に、世間では大きなニュースがてんこ盛り。中でも最も注目されていたのが米朝会談でした。
大慌てでセッティングされ、当初から準備不足が懸念されていましたが、私たちにはいったい何が合意されたのかも判然とせず、ただ金正恩がニコニコしているところを世界に見せ、好人物であるかのようにPRできたことがすべてなのでしょうか?
ポンペイオやボルトンがついていながら、北の人権問題もどこへやら、これまでの悪行をすべて忘れたかのように、にこやかに振る舞ったトランプ。気まぐれの権力者は北と何をディールしたかったのか。まさか中間選挙のためにええカッコしたかっただけではないと思いますが、いやありえなくはない、とも思います。
数日前のG7では、主義を同じうする筈の各国首脳の中でただ一人自己中をまき散らし、世界の王のように偉ぶって見せたのとは、まことに対照的でした。誰が味方で誰が敵だと思っているのかわかりませんね。もっともトランプの人物評価などちょっとしたことでコロコロ正反対になりますから、金正恩だって「うまくやった!」などと思っていたら、数か月後にはどう転ぶかわかりませんよ。
この会談を受けて多くの記事が書かれていますが、面白いと思ったのは「今回の合意は北朝鮮を西側に引っ張り込もうとしているのだ」とする、あるネトウヨさんのもの。今回合意の肝は
米国は、北朝鮮に安全保障サービスを提供する
北朝鮮は、朝鮮半島の完全な非核化に責任を持つ
ことであり、ということは北がアメリカの核の傘に入ることを意味するのだそうですよ。米国はビジネスの国だから、米国企業が儲からない国や地域には安全保障なんて提供しない。つまり、今回の米朝合意の本当の狙いは、北朝鮮の“準西側化”なんですと。真実かどうかは分からねど、トランプがホントにこんなことを考えていたら大したものですが…
私たちの最大の関心事である拉致被害者について会談でトランプが持ち出したら、金正恩はいつもの判で押した「解決済み」との返答はしなかった由。今度こそ期待していいのでしょうか。横田めぐみさんを返さない北に、日本がカネなぞ払えるわけがない。
ドイツ・レクイエム音楽ばなし
20180605
今回伊那フィルでチャレンジするのは、ブラームスの大曲。合唱との共演です。
レクイエム=鎮魂曲。モーツァルト、ベルリオーズ、ヴェルディ、フォーレ(これ、前に振ったことあります)ら錚々たる作曲家が名作を残しています。曲名から想像される通り、死者の魂を慰め永遠の安息を願う曲ですから、まあ明るい曲想にはなりにくいですね。
しかしこの「ドイツ・レクイエム」は抹香くさいばかりの曲ではありません。死者を悼むよりも、苦悩から希望、喜びと慰め、復活と救いといった生者へのメッセージがあふれ、変化に富んでいて聴きやすいのではないかと思います。もちろん鬱々とした部分もありますけど。第3曲、第6曲の最後を飾る華麗なフーガはヘンデルの「メサイア」を思い起こさせます。
恥を忍んで白状すると、取り組む事が決まるまで、私自身この名曲を聴いたことがありませんでした。何ともったいないことだったでしょうか。
オケの練習を始めたのは去年の12月ですが、合唱団はそれより一年も前から取り組み始めています。アマチュア合唱団にとっては、ベ-トーヴェンの「第九」よりもはるかに難しい大曲ですからね。どちらも1時間10分ほどの演奏時間ですが、第九は合唱の出番は全体の1/4位なのにドイツレクイエムは全曲通して歌いっぱなしですから、エネルギーの配分も大事です。
オケと合唱の合同練習、初回と2回目を振る機会がありました。初回は信毎さんが取材に来て記事を書いてくれましたが、これを読んだ人は、本番も私が振るものと勘違いするのじゃないでしょうか。取り上げてくれるのは嬉しいですが、名前を呼び捨てにされるのは微妙な気分ですね。ちなみに記事のどこにも「敬称略」って書いてないですぞW。
もう1曲、バレエ「コッペリア」を舞踊団と一緒に演奏します。下の写真は5/27、初合わせ練習の様子。コッペリアにドイツレクイエムとは、まことに不思議なカップリングで戸惑う方もいらっしゃるでしょうが、私も戸惑っています。どちらも素敵な舞台になるよう、本番がんばりますよ!私、コッペリアは小太鼓、レクイエムはティンパニでの参加です。お越しいただければ幸いです。
第1回クラシック音楽の祭典
6月10日(日)14:00開演 長野県伊那文化会館
ドリーブ「コッペリア」より
ブラームス「ドイツ・レクイエム」
横山 奏 指揮、牧野元美(S)、井口 達(Br)
かほく市へ (2)しごと
20180603
友好都市提携締結式を翌日に控え、前夜は懇親会です。かほくは金沢のベッドタウンとして発展してきた経緯があり、ビジネスホテルや大きな宴会場があまりないらしく、今回泊まりは金沢市、懇親会は民宿の広間で行われました。(写真1)
民宿といっても、こちら「やまじゅう」さんは大変おいしい海の幸を食べさせてくれることで有名だそうです。お刺身の舟盛りやらノドグロの塩焼きやら、石川の日本酒何種類かとともにお腹いっぱいになるまで堪能しました。こういうシチュエーションで飲む日本酒は本当においしいですね!
以前駒ヶ根から訪れた人たちが途方もない大酒呑み揃いで、とにかく飲むわ呑むわ、やまじゅうの在庫を全部飲み干してしまったという話です。それ以来駒ヶ根の人には「飲み放題」セットは出しませんという、まあどこまでホントかわかりませんが、私たちはもちろん、節度を守り品よく頂戴しましたよ。
翌日。金沢からバスでかほく市役所へ到着しますと、何十人もの市職員の方々に玄関で出迎えていただきました。(写真2)
締結式の前に両市のPRビデオがそれぞれ上映されました。かほくは農業に力を入れていて、ぶどう、サツマイモ、長いも、柿などが特産物だといいます。
中でもぶどうは「ルビーロマン」という石川県肝いりの新種が特産になっています。初競りで一房100万円の値がついたとのニュースをお聞きになった人もいるかもしれません。特大の赤い粒が特徴で、100万はもちろんご祝儀相場でしょうけれど、一般販売でも何万円もするそうです(写真3)。
意外に思ったのは、PRビデオでは海産物のことは一言も触れられていませんでした。想像ですが、市内に漁港がなく漁獲がないってことなのでしょうか?北陸のこのあたりで魚が美味いのはどこも一緒ですから、別段PRポイントにはならないのかもしれません。
締結式では両市長が書類にサインし(写真4)市役所前には記念碑が立てられました(写真5)。市役所正面の一等地です。
駒ヶ根にとって日本海は距離的にも心理的にもなかなか遠いですが、姉妹都市提携をきっかけにさまざまな交流が始まることでしょう。今回は季節はずれのカニを食べることはかないませんでしたが、駒ヶ根市長は「かほくのカニと駒ヶ根の松茸で交流を!」なんて言ってましたよ。大歓迎をいただいた私たち、次回はお返しをしましょうぞ。
関連リンク: かほく市のホームページ
かほく市へ (1)しごと
20180530
石川県かほく市は金沢市の北、車で約30分ほどに位置するまちです。平成16年に3つの町が合併して今の形になりました。このたび、駒ヶ根市と友好都市提携を結ぶにあたり締結式が行われ、市民団の一人として参加してきました。
かほく市…駒ヶ根市民でもあまりピンと来ない人が多いと思います。駒ヶ根には長野県立の看護大学が平成7年に開校していました。のちに石川県立の看護大学がかほく市に設立されるにあたって、関係者の方々が参考にするため駒ヶ根を訪れたことで、ご縁が生まれました。人口も35,000人規模でほぼ同じ、どちらにも県立の精神病院があるなど、共通点があります。
東日本大震災の教訓から、災害が起こった時に相互支援できるようなパートナー自治体を探そうという動きが国の音頭で始まりました。駒ヶ根は静岡県磐田市、福島県二本松市と既に友好都市になっていますが、有事の場合を考え日本海側のパートナーを探していたところ、かほく市の存在が浮かび上がりました。そして平成25年に「災害時の相互応援に関する協定」を締結することになったのです。
だんだんに交流を始め、この5月22日、友好都市提携を結ぶ運びになったというわけ。
市の用意したバスでわが商工会議所役員団、市議、市職員、さまざまな団体の代表の方々が当地に向いました。駒ヶ根と石川県は直線距離ではそう遠くはないですが、間に北アルプスがどんとそびえており、車では結構な大回りをしないといけません。今回は途中休憩も含めて5時間以上かかって到着しました。なかなか大変だ。
到着して何か所か視察をしました。日本を代表する哲学者西田幾多郎の出身地だそうで、彼の記念館を見学したり、昔の漁業の様子をうかがえる「うみっこランド」なる施設を見せてもらったり。看護大学にも行きました。
ここには北陸最大級だという巨大なイオンモールがあります。それなりの雇用を生み出していることや、いわゆる「住みよいまちランキング」の指標となる商業施設の店舗面積への貢献度など、イオンさまさまであるような説明がありましたが、従来の商店街を壊滅させてしまったのではないかなどと、心配にもなりました。
犬の外国語日々雑記
20180528
平昌オリンピック女子フィギュアで金メダルに輝いたザギトワ選手に、念願の秋田犬がプレゼントされました。生後3ヶ月の雌でその名も「マサル」。犬を抱っこし、顔をペロペロと舐められながらご満悦のザギトワ、本当に嬉しそうでしたね。
何十年も前、我が家でも柴犬を飼っていました。私は特に動物好きではありませんが、愛犬「松五郎」を散歩に連れて歩いたことは今もいい思い出です。息子たちには犬を飼ってやれず(金魚こそ、かなり長いこと育てましたが)ちょっと残念でした。次男は犬好きで、ペットショップでじゃれている様子など何時間見ていても飽きないと言ってます。
さてロシアに旅立った秋田犬を見て思い出した、長年抱いていた疑問があります。それは「動物にも外国語があるのか」。すなわち「世界共通の犬語」ではない「日本犬語」「ロシア犬語」が存在するかということです。
ロシアの犬と日本犬とでは、文化的な接点?はまず考えられませんよね。人間のように旅行したり移住したりすることはありません。ロシア犬のコミュニティと日本犬のコミュニティは通常、交流する機会はまあゼロでしょう。では彼らの間に、コミュニケーションはどの程度成り立つでしょうか。
犬が人間のような複雑な言語を持つとは思えませんが、それでも鳴き声やしぐさなどでそれなりの意志を伝えあうことはあると思われます。そのとき使われるコミュニケーション言語は「犬という種の本能」として内から備わったものが多いでしょうが、それ以外に後天的に身に付けられたものものだって、あってもおかしくないですよね。
犬に限りませんよ、ヨーロッパ遠征に行った日本の競走馬は、現地の馬と会話ができるのか?猫は?猿は?
昔から不思議に思っていました。誰か偉い人、教えてください。
少年時代の愛読書「ドリトル先生」シリーズでは、擬人化された動物たちが動物語で会話しますが、その中に外国語という概念があるような記述は見当たりません。それどころか犬も豚もアヒルも共通の言葉でごく自然に会話をしています。彼らはいったい、何語をしゃべっているのだろう。「全動物共通語」があるのでしょうか?謎は深まるばかりです。
焼肉のまち、飯田 (2)食べもの
20180523
「徳山」では普通の肉よりもモツ系が人気だという話。戦中戦後ならずとも、内臓肉は苦手、という人は少なくないと思います。私も以前は敬遠していました。しかし肉体験を積むにつれて、きちんと処理された新鮮なモツは大変うまいと思うようになりました。(残念ながらそうでないものに遭遇することも、ままあります。もう最低ですな)
この日食べたモツ類、まったく何の臭みもありません。それぞれ異なる部位の歯ごたえや味わいの特徴が楽しく、次のはどんな味かなと期待する、その上をいってくれます。モツ自体の品質が良く新鮮で、そしてやっぱり処理がきちんとしているのでしょう。
珍しかったのは「ナンコツ」。写真を撮りそびれましたが、見たところは表面つるつる、裏面は腸の内側みたいでいささかグロテスク。しかし意外にも柔らかく、これまで食べたことのない食感が楽しい。どこの軟骨なんでしょうか。
「豚モツ」「牛モツ」はあらかじめ茹でたものが供され、さっと焙って食べるようになっている。この時は豚モツを食べ、癖のない味でそこそこでしたが、牛モツがこの店の名物だとあとで知り、悔しがってもあとの祭り。次回行ったらぜひ頼んでみよう。
最後に仕上げのつもりで食べたカルビ、まるでデザートのような味わいで(甘ったるい味ということではありません)別物でした。3人で満腹になるまで食べ、それなりに飲んで、一人5千円ちょっとでした。帰宅してただちに風呂に入り、この店用にわざわざ着替えて行った服は全部洗濯しました。
こんな名店が街に普通のたたずまいで存在し、わんさかとある高級店も大衆店もそれぞれ賑わっている。その上で家庭(まあ屋内ではやらないのでしょうが)でもさまざまなコミュニティでも、ごく自然に焼肉を楽しんでいる。いま世間では大変な肉食ブームですが、はるか昔からそれを先取りしている飯田の食はなかなかユニークだと思います。後付けで作ったものでなく、歴史にしっかり裏打ちされているのです。
焼肉のまち、飯田 (1)食べもの
20180520
もちろんずっと前から飯田の人々にとって焼肉は生活の一部だったのでしょうけれど、飯田市が「焼肉のまち」として全国に知られるようになったのは、そう昔のことではありません。せいぜい3~4年前からではないでしょうか。
全国メディアで大きく扱われたのは「dancyu」2015年9月号の「ときめきの肉」特集が最初だと思います。
曰く、市街地には精肉店や焼肉店がひしめき人口一万人当たりの焼肉店の数は全国1位、人が集まれば老いも若きも焼肉、週末には公園や河川敷で焼肉、職場の歓送迎会や飲み会、地域行事や消防の慰労会も焼肉、家族の記念日にも焼肉。少ない人でも月に2、3回は当たり前、会合の多い人は週3もざら…いやはや凄まじい焼肉漬けですね。
私が飯田の街を車で通っても、確かに焼肉屋さんは多いと思います。駒ヶ根にだってもちろん焼肉屋さんもありますし、当社でも軒下に鉄板を並べて休日に社内で焼肉大会することもありますが、ま、それほどの頻度ではありません。
飯田の焼肉店の発祥といわれる焼肉店「徳山」は、創業70年近い老舗です。その評判は広くとどろき、美味くて安くて、昔ながらの古びた店構え、肉を焼く煙がもうもうと立ちこめ店の奥も見えないくらい、上等な服など絶対に着て行ってはダメだといわれます。以前から行ってみたいと思っていましたが、最近になってようやく訪れる機会がありました。週末の8時頃に予約して訪れましたが、満員の大賑わいで、煙の噂は本当でした。
壁に貼られたお品書きを見て気づくのは、モツ類の多さです(写真)。片っ端から食べていきました。サガリ、マトン、ミノ、テッチャン、なんこつ、ハツ、レバー、豚モツ、豚タン。センマイ刺しも。
dancyuのインタビューによれば、植民地当時の朝鮮に生まれた創業者は昭和15年に日本に渡り、飯田線の建設工事に従事、その後この地で焼肉店を開業しました。「ロースやカルビなどの上等な部位はすべて県外へと出荷されて、お金を出しても手に入らなかった。手に入るのは、モツやハラミ、サガリといった副産物。しかし、日本人は気持ち悪いと言って誰も口にしようとしなかった」とのことです。
街中が監視カメラ日々雑記
20180514
憎むべき新潟の小学2年生殺害事件。近くに住むという23歳が、遺体遺棄などの容疑で逮捕されました。当人は事件への関与を認めているとのことです。
車の目撃情報とか、似たような事案がこれまでに何度もあったとか、指紋だとか、手掛かりはたくさんあり早期の逮捕につながったようです。おぞましい事件でしたが、全容解明が待たれます。
さてテレビでこのニュースを報じているのを見ると、ドライブレコーダーと思われる映像が出てきます。事件当日に現場付近を走った車のものなのでしょう。報道されている映像を見ても大して意味がありそうに見えませんが、重要な情報が写っている部分は警察が大事な証拠として押さえているのでしょうね。
さまざまな犯罪において、街頭におかれたさまざまな防犯カメラの映像が決め手となった例はいくつもありました。何年前でしょうか、東京の繁華街に初めて監視カメラが置かれたのは。メディアで話題になり、プライバシーの侵害につながるなどと不安視する声が上がりました。
どんなもんだろうか、諸手を挙げて歓迎するようなことではないと思っていましたが、被害者や犯人の姿が映り込み実際に犯人逮捕につながっているのですから、これはやむを得ないのかもね、という気持ちになりました。その後監視カメラはどんどん増え、今や全国に何台あるのか知りませんが、相当な数であることは確かです。
それでも田舎でなら、カメラに行動を記録されることもそうなかろうというのは、甘い。そこらを走っている車のドライブレコーダーが、監視カメラになっているのですね!それもかなり鮮明な画像です。
私の乗る車にはまだドラレコは積んでいませんが、もし何らかの事故に巻き込まれたときには自分の立場を証明してくれる有力な味方になってくれるでしょうから(逆もまあ、あるかもしれないが)次の車にするときは採用しようと思っているのです。しかし自分と無関係な事件でも、ドラレコの記録が解明に大きく役立つとまでは思っていませんでした。
動く監視カメラが日本中を走っている。すごい世の中になったもんだ。喜んでいいのか悪いのか。