台中花博訪問 (4)しごと
20181113
夜には大規模な開会式が行われました。市の中心部を少し外れた場所に大掛かりな野外の特設会場が設けられています。新聞発表によれば来場者5万人とか!
この中で、わが駒ヶ根市訪問団は前から5列目という破格の待遇です。開会前から、台湾の国立交響楽団の演奏や騎馬のパフォーマンスが行われ、客席には差し渡し10mはあろうかという巨大な花やスフィンクスのバルーンが綱で曳かれて行ったり来たり。
参加各国のプラカードを持った女性がステージに整列し、昨日からもうお馴染みとなった林・台中市長や世界花卉生産連盟(こんなような名前でしたが、正確なところは忘れました)の会長が次々とスピーチをします。
式典には蔡英文・台湾総統も登場しました。新聞やTVで見る通りの方ですね。警備のこともあるのでしょう、出番直前までどこから出てくるかわかりませんでしたが、ちょっと想像しなかったところが突然開いて出てきました。何を語っていたのか、もちろんわかりませぬ。
会場には小さい子供たちが大勢来ていたこともあり、セレモニー部分は最小限という感じ。楽しいアトラクションが続き、もっと観ていたかったのですが、この後の都合もあり、後ろ髪を引かれる思いで会場を後にしました。
実は開会直後、ステージに侵入者が駆け込むハプニングがありました。横断幕を広げて何か訴えようとしましたが、直ちに警備陣に取り押さえられました。私たちの乗ったバスが会場入りする少し手前で、20人ほどの人が抗議集会みたいなものを開いて警察とにらみ合っている場面があり、その同じ一派だと思います。
厳しい警備をかいくぐってよくまあステージ上までたどりついたものです。私たちと同行していたガイドの女性は「素晴らしいものをお見せできる筈だったのに、こんな恥ずかしいことになってしまった、本当に悲しい」と泣きそうにしていました。無理もありませんね。
台中花博訪問 (3)しごと
20181110
1 入賞した駒ヶ根ブースのフラワーアレンジメント。コンセプトは「花は言葉、言葉は花」。背景に地域に住む人々の写真を置き、その前に色とりどりの花で花文字を作っています。カーネーションとアルストロメリア約4000本を使っているそうです。
“WE LOVE TAICHUNG CITY FROM KOMAGANE 台中市 駒ヶ根市”
2 掲示されている説明文。
3、4 他の入賞作品の一部。どこのものだったか忘れましたが、3は日本から、4はヨーロッパのどこかからの出品だったと思います。いや、どうだったかな?
台中花博訪問 (2)しごと
20181110
1 翌3日は、まず花博における「台中宣言」の披露。参加した各国地域の代表が壇上に登るなか、林・台中市長が宣言文を読み上げました。中央の二人のすぐ左に阿部知事、右上に杉本市長が顔の上半分だけ写っていますが、写真が小さくてわからないかな。内容は、リンク先でご確認ください。
2 続いて、昨夜と同じ会場で昼食会。昨夜もこの日も一品一品テーブルサーブされましたが、本当にスローペースで、昼間からこんなにゆっくり飯食ってたら半日終わっちゃうよ、という感じ。食事の内容は別記事で。
3 お約束の証拠写真。
それからバスに乗り込み、この日が初日となる花博会場に向かいます。台中中心部から30分くらい。会場は3ブロックにわかれています。
4 会場の様子。奥に見える茶色のパビリオンが、メインの展示場です。昨日までの雨や曇天が嘘のような良い天気で、暑いです。
5、6 メインパビリオンの内部。こんな感じです。それほど広い印象ではありません。
関連リンク: 2018台中世界花卉博覽會 台中宣言
台中花博訪問 (1)しごと
20181107
今月初めから4日間、台湾へ行ってきました。。
駒ヶ根市が台中市からのインバウンドに力を入れてきたのは前にも何度か書きました。昨年1月、市の訪問団のメンバーとして訪れて以来、私にとっては二度目の台湾、台中となります。今回も市の音頭で、今月3日に開幕した台中フローラ世界博覧会(台中花博)を訪れて交流を深め、4日には台中市、長野県、駒ヶ根市の三者で相互交流に関する覚書に調印しました。
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(台北 6日 中央社)台中市の林佳龍市長は4日、同市内で長野県の阿部守一知事、同県駒ヶ根市の杉本幸治市長と観光・教育交流に関する3者間の覚書に調印した。林市長は、台中市と駒ヶ根市は6年余りにわたる交流を通して友好の基盤を固めてきたと述べ、台中国際空港と松本空港を結ぶチャーター便の運航や農業、教育、文化、観光などの分野における協力に期待を示した。
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駒ヶ根からは約40人の大部隊。商工会議所関係者はその半分近くを占め、民間交流への意欲を示してきました。木曜の朝5時出発、台北に入り一泊後新幹線で台中へ。台中で二泊し台北へ戻って日曜の深夜12時過ぎに駒ヶ根へ。日中の自由時間ほとんどなしというハードスケジュールでした。台北は雨でしたが、台中は少し汗ばむくらいのいい陽気でした。
2日の夜は最初の公式行事として、現地で花博の前夜祭が行われました。参加者約800人の大晩餐会。駒ヶ根市では花博のコンテストに出展していて、切り花の部門で堂々の銀賞を受賞しました。数か月前からパリ在住のフラワーデザイナーが構想を練った作品だそうです。
前夜祭ではその発表と表彰式のほか、フラワーアレンジやダンスのパフォーマンス、子供たちの民俗合唱などが行われ、パーティーの後半には花をモチーフにしたファッションショー。小顔でスタイル抜群のモデル十数人が会場内を歩き、人びとを魅了しました。
かつ丼フェス、大賑わい (2)しごと
20181031
ソースかつ丼フェス&ファンミーティング報告、続き。
1 イベント中のミニイベントで、座談会が行われました。初日は「ファンミーティング」として、全国500杯以上のかつ丼を食べレポートしている俵慎一さん(日本食文化観光推進機構専務理事)。駒ヶ根ソースかつ丼で以前スタンプラリーを行ったとき、3カ月で28店を制覇し、賞品の「マスター・オブ・ソースかつ丼」のスタジャンを持つ男、塚越真巨人さん。そして何故か私。
お二人とも素晴らしい「かつ丼愛」の持ち主です。駒ヶ根のソースかつ丼の魅力は?と司会者に訊かれ、私は「ボリューム感」だと答えました。ちなみに商工会議所と市役所の若手2人が司会をしましたが、名コンビ名調子で大変感心しました。
2 俵さんと。B-1グランプリ運営団体の幹部でもあります。ご自身のブログではかつ丼のみならず、日本全国の膨大なご当地グルメを紹介しておられます。大変な博識、そしてとても気さくな方です。
3 当日販売したかつ丼各種。
4 前橋から参加したゆるキャラ「ころとん」。かつ丼のみならず豚肉料理の盛んな前橋ならではのキャラクター。移動も大変だったのでは?わが駒ヶ根ソースかつ丼のキャラクター「こまぶう」は諸般の事情により登場できませんでした。残念!
5 二日目は「かつ丼屋のおやじ座談会」。各産地の代表の方からそれぞれの由来や特徴、今後への期待などを語っていただきました。皆さんの熱いハートがひしひしと感じられ、ワクワクするような座談会となりました。
6 二日目も早々に売り切れ。せっかく会場に来たのに購入できなかったお客様、申し訳ありませんでした。駒ヶ根ソースかつ丼会会員のお店へと向かい、実店舗で楽しまれた方も結構いらっしゃったようです。
かつ丼フェス、大賑わい (1)しごと
20181030
前記事でご紹介した「ソースかつ丼フェス&ファンミーティング」がこの週末行われました。初日こそ、はっきりしない天候でやきもきしましたが、二日目は快晴に恵まれ、二日間とも各ブースに長い行列ができる大賑わいでした。
かつ丼は一杯600円統一のチケット(食券)制で販売しましたが、午後の早い時間で次々と売り切れました。二日間で5000食の売上をあげたということです。遠くから参加いただいた各地のかつ丼関係者の皆さんも喜んでおられました。
初めてのイベント故、どれほどのお客様が来場されるかなかなか予想がつきませんでしたが、多めに用意した駐車場やシャトルバスもフル稼働となりました。
当日の写真をご覧いただきながら雰囲気を味わっていただけたらと思います。
1、2 まだ開会前、チケットを求める人、チケット購入後ブースに並ぶ人々
3、「開会宣言」をする私
4、5 あっという間にこの人、人、人!
ソースかつ丼フェス&ファンミーティングしごと
20181023
今週末のイベントのPRです。全国各地のソースかつ丼が駒ヶ根に集結します!
駒ヶ根がソースかつ丼で街おこしをしているのはご存知の通り。でも広い日本には、ここ以外にもあちこちにソースかつ丼を普通に食べている地域があるのですよ、玉子とじカツ丼常食地域のみなさん。
今回フェスティバルに参加するのは、会津、秩父、前橋、桐生、そしてお隣伊那のソースかつ丼という豪華メンバーです。全国的に最も知名度が高いと思われる福井からの参加がないのは残念ですが、それでもこれだけの顔ぶれが揃う機会はなかなかありませんよ!
大即売会で、それぞれ個性あふれるかつ丼の食べ比べを楽しめるだけではありません。一日目は日頃からソースかつ丼を食べ歩いているファンやブロガーさんたちの、カツ丼愛にあふれたトークセッション。二日目には「かつ丼屋のおやじ座談会」と題して、各地のソースかつ丼秘話を大いに語っていただくステージを設けます。ソースかつ丼に興味を持つ方なら見逃せない二日間です。
かつ丼以外にも、会場には上伊那地域のグルメをこれでもかと集めたグルメフェスもあわせて開催。地元の食を満喫できるイベントです。
詳細はチラシの画像でご確認ください。場所は駒ヶ根高原「光前寺」前のイベントスペースです。雨天決行、大勢のご来場をお待ちしています。(なんと、私が実行委員長です)
関連リンク: 駒ヶ根観光協会
牛乳パン生みのまち (2)食べもの
20181021
こうして牛乳パンは県下各地に広まり、長野県民のソウルフードとして定着しました。特徴あるパッケージについては、1月の記事で書いたとおりです。
ふかふかの柔らかい生地に、こってりした真っ白いクリーム。洗練された味とは言えませんが、私たち信州人にとっては子供の頃オヤツに食べた懐かしさが郷愁を呼び起こします。
こんなエピソードとともに駒ヶ根市では、牛乳パンを名物にしようと市役所主導で盛り上げているのです(キャンペーンはまだ始まったばかりですが)。「生みのまち」というフレーズは今一つ語呂が良くないように思います。もっとすっきりしたネーミング、ないでしょうか。
商工まつりでは駒ヶ根だけでなく、県内各地の牛乳パンを数種類集めて即売会を開きました。大きな反響で、あっという間に売り切れ。誰だって「食べくらべ」をしたいでしょうから、みんな一人で複数個買うでしょう。全部で200個少々しか用意がなかったそうですから…次回には、もっと強気にいきませんとね。
今ではヤマザキや敷島パンなどの大手も地域限定で販売しているようです。全国メディアで何回か取り上げられていますが、テレビの力はやっぱり大きいですね。購入した人がSNSで広めてくれているのかもしれません。
駒ヶ根市内のパン屋さんでも、まだ手掛けていないお店もいくつもあります。牛乳パンの基本は押えつつ、それぞれの工夫で一味違ったものが出てきてもいいですね。地域おこし、そして当社のお得意様の売上アップに貢献できればと思います。
牛乳パン生みのまち (1)食べもの
20181020
グランドフェアの一週間が終わろうとしています。記事にしたい題材はたくさんあったのですがなかなか忙しく、ブログの更新もままならず…更新間隔がずいぶん空いてしまい申し訳ありません。
さる7日に行われた「駒ヶ根の商工まつり」で、牛乳パンのPRコーナーが設けられました。駒ヶ根市ではいま牛乳パンを盛り上げようとしているのです。
牛乳パンについては既に本欄で取り上げています(18.1.18)。マツコの番組でも取り上げられ、急速に人気を集めている、信州人ならみんな知っている名物ですが、このパンを発明?したのが駒ヶ根市民で、私のお世話になっている方だというのです。
その方は中坪兼吉さん。当社お得意先「伊那給食」さんの会長(前社長)です。昭和30年頃、まだ若い中坪さんが伊那のパン屋さんで働いていたときのこと。以下、駒ヶ根市の資料「信州牛乳パン誕生秘話」より転載します。
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…朝5時頃に年配の女性が店に来て「パンはありませんか」と聞かれ、「こんな時間にはないよ」と一度は断ったがジャムがあったと考え直し、女性が「どんなパンでも良い」というのでそこにあったパンにジャムを塗って渡した。
翌日もまた来店し昨日のパンが欲しいというが、今度はジャムがなかったため、近くにあった菓子用のバタークリームを塗って挟んで渡した。
するとまた次の日にも来店し、「昨日のパンをいくつでも良いから欲しい」と言われた。近所で日雇い人夫(長谷ダムの建設)の賄いをしている人だったようで毎日訪れるようになった。社長が「中坪、ひょっとしたらこれは売れるかもしれんぞ」と商品化したところ飛ぶように売れ、最盛期には一日1,000個以上焼いても追いつかないほどで寝る間もなかったという。
当初牛乳は入っていなかったが、なかなか牛乳を飲むことができない当時の食糧事情にあって、栄養価の高い牛乳をパンの名称にしたことも人気商品となった要因の一つ。そして実際にパンの生地に牛乳を入れるようになったのは、人気が高まった翌年以降の話。
人気の高まりを受けて、長野県パン組合の理事長を務めていた社長に、組合に加盟している各店主から牛乳パンの講習会を行うよう要請があったことで、中坪氏の指導による講習会が行われた。当時中坪氏は他店に教えることは反対だったが、社長の「みんなに教え、共有して広げるべきだ」という考えで二日間説得され講習会の講師を務めた結果、県下各地に広がり今に至る人気商品となった。
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このパン屋さんは、伊那市にあった「若増製パン」さん。現在はありません。
35街の25周年日々雑記
20181010
街には、表の顔と裏の顔があります。昼の顔と夜の顔と言ってもいいでしょうか。表通りにはオフィスやショップが並び、裏通りに足を踏み入れれば人々が集う酒場や食堂が軒を並べる。
駒ヶ根では中心市街地、駅から見ると左側に広がる「35街(さんごがい)」というのがそんな裏の顔の一角です。ここは1993年、市の環境整備推進事業で路面にインターロックを敷き詰め、それまでとは雰囲気を一新した明るい街に生まれ変わりました。それから25年がたち、先週末に記念イベントが行われました。
この一角はもちろん、寿司屋さん居酒屋さんなど、当社のお得意様が集結しています。密度で言えば一番かもしれません。昔からのお店に加えて最近になってオープンしたお店もあり、それぞれ馴染みのお客さんを抱え繁盛しておられます。
25年前の整備事業には当時商工会議所副会頭だった亡父もいろいろと骨を折ったと聞いています。昔の写真が展示してありました。
記念イベントは「駒ヶ根の商工まつり」に合わせて路地裏のスパースを使って行われ、太鼓の演奏に引き続いて地元赤穂高校書道部によるパフォーマンスが花を添えてくれました。
これからもこの一角には、商売の上でも夜の歓談でも、長きにわたってお世話になっていくことと思います。ずっと市民に愛される街であってほしいと願います。
「35街」とは、珊瑚のように水面下(裏通り)でも輝くようにという願いを込めて名付けられたものだそうですよ。