鉄道の日日々雑記
20150315
昨日今日の長野県内のテレビは、北陸新幹線金沢まで延伸の話題ばかりです。どの局も同じような番組で、少々げんなりでもありますが。
首都圏や北関東の人には、上野東京ライン開通が大きなニュースでしょう。また最後のブルートレイン「北斗星」運行終了も鉄道ファンには関心事だろうと思います。ある人のツイッターに「今日は21世紀最大のダイヤ改正になるでしょう」とありました。ちょっと大袈裟かとも思いますが、JRの大きなトピックスがこのように集中するのは、珍しいことです。トラブルなく移行するのは、当たり前のようですが実は、隠れたプロの技が求められるのでしょうね。
県北部の人は、北陸新幹線について期待やら不安やら入り混じった複雑な気持ちなのだと想像します。これまで長野駅でストップしていた新幹線が、富山金沢まで届くことで素通りされてしまう懸念は、おそらく杞憂ではないでしょう。4月は善光寺御開帳という観光イベントがありますが、そのあとはどうなりますか。
もちろん長野県北東部から北陸へ観光に行こうという人には、大いに便利になったことは言うまでもありません。残念ながら県南に住む私たちには、ほとんど恩恵があるとは思えませんが。長野まで車でも2時間、電車ならそれ以上かかる現状で、長野から先がちっとばかり早くなっても、まあ関係ないです。
近県の県庁所在地の中で金沢は、私たちからもっとも遠い位置にありました。北陸新幹線開通の今でも、残念ながらそれは大して変わっていません。富山や金沢のおいしい海の幸を気軽に楽しむには、まだまだハードルが高くて。ああ、のどぐろや白海老、食べたい!
そのうちには乗る機会があるでしょうか?東京長野間も、今まで2回くらいしか乗ったことないのですよ。ところで北陸新幹線の車体のデザインは、クッキーの缶によく似ていますね。
やっと会えたね日々雑記
20150309
ハチ公が飼い主の博士とついに再会した…昨夜のニュースを観ていて、何だかほろりと来てしまいました。年ですか。
------読売新聞-----
「待ち続けたハチ公、飛びつき再会」
東京大農学部キャンパス(東京都文京区)に8日、忠犬ハチ公の新しい銅像がお目見えした。
飼い主で、日本の農業土木学の草分け的存在だった上野英三郎博士(1871~1925年)に喜んで飛びつく姿が再現されており、関係者は「人と動物の間に通う愛情の深さを示す象徴にしたい」と話している。
上野博士が東京帝国大(現東大)農学部教授だったことから、人と動物の関係を研究する後輩の東大教授ら有志が3年前から寄付を集め、準備を進めてきた。
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これはね…銅像になったハチ公の喜ぶ姿がいいんですね。ほんとに嬉しそうではありませんか。博士のたたずまいも、感じが出ています。
飼い主の帰りを10年近くも待ち続けた忠犬の物語、一行で表せるくらいしか知識はありませんでしたが、渋谷駅のハチ公像ではもちろん、何度となく待ち合わせをしました。携帯電話のない時代ですから、待ち合わせの「場所と時間」というのは、今よりもずっと大事な約束事でした。どなたもそうだったでしょう。
wikiをみると、知らなかったことがいろいろ書かれています。渋谷のハチ公像は、ハチがまだ生きていたうちに建造されたのですね。戦時中の金属供出で溶解され、機関車の部品となって東海道線を走っただとか、よくまあ調べる人がいたものです。今の渋谷ハチ公像は戦後に作られた二代目だそうです。
本当は博士の帰りを待っていたのではなく、駅前の屋台で焼鳥をもらうのが楽しみだったとかいう説もあるのだとか。身も蓋もありません。ハチ公伝説は美談として作られた要素はあるにせよ、やっぱり彼は飼い主に会いたかったのだと思いたいですね。
関連リンク: 忠犬ハチ公 (wikipedia)
戦艦武蔵、発見 (1)日々雑記
20150306
あの武蔵が!何だか、胸が躍るようなニュースですね。。
-------毎日新聞---------
米マイクロソフトの共同創業者で資産家のポール・アレン氏は4日、声明を出し、太平洋戦争で撃沈された戦艦武蔵の船体を「発見した」と発表した。また、海底で撮影した船体の動画を初めて自身のサイトで公表した。
8年以上前から武蔵の探索を始め、今月1日に船体を確認したという。「父が米軍に従軍しており、子供の頃から大戦史に興味を持っていた。海軍史上、重要な戦艦を探し当てることができ、光栄だ」と述べた。
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私は小学校4年~6年くらいまで、軍艦のプラモデルに熱中していた時期があります。「ウォーターラインシリーズ」という旧日本海軍の艦船を網羅した一連の1/700モデルを友達と競争して集めました。当時、駆逐艦が100円、巡洋艦が250円、普通の戦艦は400円くらいだったと思いますが、大和型(大和、武蔵、信濃)は600円で、艦体の大きさもずば抜けていました。
同時に戦記物にも強い関心を示し、伊藤正徳「連合艦隊の最後」は愛読書の一つでした。今でもとってありますが、小学生がよくこんな難しい本を読んでいたものです。模型を持っていた艦名に鉛筆で丸印がしてあったり。
その中でも武蔵はもっとも愛着を感じていた艦でした。軍艦プラモの代表的存在であった同型艦の大和よりも、武蔵の方が好きでしたね。
歴史をざっとおさらいしますと、太平洋戦争開戦までの世界の海軍の基本的コンセプトは「大鑑巨砲主義」でした。敵艦隊の砲撃が届かない遠距離にいて、自分の砲弾が届くような巨大な砲を持つ艦隊が勝利する。遠くまで届く大砲は、砲身も砲弾も巨大で、搭載する爆薬の量も大きい。砲を運ぶ艦体も巨大なものでなくてはならない。…というものです。
こうした時代の要請によって、大和・武蔵は建造されました。その大きさは排水量約7万㌧、艦の全長は263㍍、主砲は直径46㌢で東京にいて小田原までを射程距離とし、分厚い鋼板を張り巡らし堅牢極まりない防御力を備えた、すべてにおいて世界に類を見ない、まさしく超弩級サイズの戦艦でした。
(巨大さの形容句「超弩(ド)級」という言葉が実は戦艦の名前に由来することは、ご存知ない方が多いと思います。20世紀初頭の英国戦艦「ドレッドノート」を「弩級戦艦」と称し、それよりも大きな戦艦を超弩級と呼んだことから)
とても書ききれない。続きます。
怪電話日々雑記
20150304
振り込め詐欺が猛威を振るっているとかで、全国で昨年一年間、実に500億円もの被害が出ています。もちろん史上最悪の数字です。
何で易々と引っかかってしまうんだろう、という疑問と同時に、そんな金額を右から左に動かせるお年寄りが大勢いらっしゃることにも驚いてしまいます。手を変え品を変え、甘い言葉で釣ったり脅かしたり、詐欺師たちもよく考えるものです。
そんな中、私の母のところに先日いよいよ、おかしな電話がかかってきました。息子である私の名を名乗り「風邪をひいて声がおかしい、咳も出る」とまずはお決まりの言い訳から。もうこの時点で、私のいつもの話し方と全然違うことから、母もこれは例の電話だとすぐわかったそうです。
そこで何度も「あなた私の息子じゃないでしょ」と言うのですが、相手もどういう訳かなかなか認めようとせず、「明日伊勢喜に電話を入れてから病院に行く」「今は詳しいことは話せない」「また明日連絡する」などと粘るのだとか。話は支離滅裂で意味がわからなかったそうですが、言葉の端々から何か情報を得ようとしていたのですかね。「病院ってどこの病院よ?」と聞いても何やら言を左右して具体名は出せなかったようです。どういうストーリーの予定だったのかな。
母は次の日、いつ電話が掛かってくるかと(内心ちょっとわくわくして)待っていたそうですが、結局来なかったとか。もちろん来たら即、通報です。他人様の名を堂々と騙るとは、まったく怪しからん。
しかし私の個人名と実家の電話番号、そして伊勢喜に勤務していることまで調べて電話してきているのですから(経営しているとまでは分からなかったか?)結構具体性のある名簿情報が出回っているということですか。まあ私もいろいろな場面で表に出る機会もありますから、個人情報といってもこの程度の内容は仕方あるまいと思っていますがね。
皆様、どうぞお気をつけて…
おいしいとこだけ食べもの
20150225
ねじめ正一氏の本を読んでいましたら、肉まんの話が出てきました。。
よくある「最後の晩餐」のインタビュー記事に答えて「中村屋の普通の肉まんで、具を2倍に増やしたものを食べたい」と言ったら、それを読んだ中村屋の人が「ぜひ作って売りたい」と言ったとか。
喜んで話に乗ったねじめ氏。ところが、あれこれ打ち合わせて試行錯誤しても、なかなかイメージしたようなものになりません。味が濃すぎておいしくないのです。結局、現行品は皮と具の実に絶妙なバランスの上に成り立っており、素人考えでどうこう言ったからといって、より美味しいものを作るのはやっぱり至難の業だった、というお話でした。
でも、具のすごく多い丼とか寿司とか、ハンバーガーとか、ついつい惹かれるものがありますよね。それがエスカレートしてゆくと、具だけをいっぱい食べたい!という、まことに身勝手な結論になります。メロンパンの具(というか、上に乗っかっている皮の部分)だけを食べたいという愛好者の希望に応えて、昨年秋に画期的な商品が発売されております。
ヤマザキパンの「メロンパンの皮焼いちゃいました」。話題になった商品ですから、食された方もおありでしょう。今は他社から類似品も出ているようです。
遅ればせながら、食べる機会がありました。感想は「これってクッキーそのものじゃないの」。そりゃそうです、メロンパンの固い部分はクッキー生地を塗りつけているのですから、皮だけ食べればクッキーそのものです。皮という語感からは、もっとサクサクもろい軽快なものを想像しておりました。ほとんど、カントリーマァムです。いや、おいしいんですけどね。
鮭の皮が大好きで「皮の厚さが一尺もある鮭がいたら、百万石と交換しても良い」と昔の大名が言った…という逸話があります。加賀前田藩の誰かだとか、水戸光圀だとか、徳川家康だとか、伊達の誰かだとか、厚さでなくてタタミ一畳分の皮が欲しいだとか、もう諸説ぷんぷんで実態は全然わかりませんが、これだけ話が広まっているのだから、皮だけ食べたい人は昔から大勢いたのでしよう。
私も鮭の皮は好きですよ、でもそれだけを山ほど喰いたい、とまでは思いませんなあ。
MOBAC SHOW 2015しごと
20150222
2月、3月は食品に関する各種展示会のシーズンです。私たちも取扱う商品や市場のトレンドなどを感じるために、いくつもの展示会を訪問します。その中でも、製菓製パン原料と関連機械の展示会「MOBAC SHOW(モバックショー)」は規模も大きく、また首都圏では4年に1回だけの展示会ということもあり、重要な機会です。
4年前の様子も当ブログの記事にしました。当時中国からの参加者の多さなどを書いておりますが、その傾向は今回一層強く感じられました。各出展ブースでも、海外客については相当意識していたようです。
昭和産業さん、ADEKAさん、田中食品興業さん、日の本穀粉さんら当社の大事なメーカーさんたち、ブースで有名シェフの実演プレゼンテーションをするなど積極的な展示でした。中でも田中食品興業さんの全国から取り揃えた売れ筋の菓子パン・調理パン大集合、いつもながら圧巻でした。
今回は全体に製菓原料よりもパン原料の展示の方が目立っていた印象があります。機械メーカー各社の巨大なブースが規模を競っていましたが、モバックは彼らにとって最大の見せ所ですからねえ。とはいえ、もっと原料メーカーさんの出品も見たかったな、というのが正直なところ。
同時開催として、若手パン職人の調理パンコンテストや和菓子(工芸菓子)の品評会、またパンの国際大会に出場を決めた代表選手たちによるデモンストレーションなどが会場のあちこちで開かれました。今回は少し時間を取って見学することができましたが、見事なものですね。写真下はパンの日本代表選手のプレゼン作品。パンのように焼けば変形し膨らむ素材でこれほどのものを作る、素晴らしいと思います。
某大手パンメーカーの社長さんが大勢の取り巻き?を引き連れてブースを見て回っているところに遭遇しました。高齢の方ですが、いや、すごいオーラがありましたな。なかなか普段お目にかかる機会なぞない方らしいです。
校歌への思い音楽ばなし
20150216
伊那フィルは今年、創立30周年を迎えます。記念事業として何をやろうか、飲みながらあれこれ話をするうちに…地元の小中学校の校歌を録音して、CDにしてプレゼントしたらどうよ、というアイデアが。
地域密着を謳うオーケストラとしては、なかなか良い事業ではないかと思いますが、いざ実行するとなると、結構大変なことです。オケの楽譜はもちろんそれぞれ編曲しなくてはなりません。スタジオ(ホール)や録音業者さんも手配します。問題は、伊那市内に小中学校が全部で21校もあることです!
一度にはとても無理ですが、とりあえずアレンジの出来たものから、一年かけて順に収録していくことになりました。昨日はその第一回目で、8曲の校歌を演奏録音しました。
地元伊那市とはいえ、多くは団員が誰も知らない歌です。楽譜はありますが、テンポやアーティキュレーション(音の形やつながりで表現をつけること)が現場で実際歌われているものと合っていないと困りますので、各校の音楽の先生(一部生徒さんも)に立ち会ってもらい、実際に歌ってもらったり意見をいただいたりしながら、1校当り40分の時間割で次から次へと曲を作っていきました。
今回8曲の校歌の中にも、童謡調のもの、軍歌みたいな勇ましいもの(先生は「応援歌」だと言っていました)、ゆったりと流れる大河のようなもの、あっという間に終わる短いもの、さまざまです。作曲者には松本民之助、高木東六、中田喜直といった著名人のお名前も。
収録中、ある先生がこう言いました。「いま学校では、じつは書かれているより早いテンポで歌っているのですが、地元の人から『年々早くなっている』とお叱りを受けることがあります。今回は楽譜の指定通りの、ややゆっくり目でお願いします」
なるほどなあと思いました。小中学校の校歌は確かに、現在の学校関係者だけのものではなくて、その地域に住む人たちに共有されたものなんですね。地域みんなの、子供たちへの思いを歌に集約したものが、校歌なのです。
録音は後に残ります。学校によっては今後何十年か、歌い方の規範として用いられるかもしれません。自分たちの今やっていることの、ずっしりとした重みを感じました。
あと13曲、ますます大変です。
駒ヶ根のいちご食べもの
20150209
ご覧ください、この大きないちご!。
当社からほど近いイチゴ園で作られているいちごです。紅ほっぺという品種で、実が大きいだけでなく、甘味たっぷり。梨や林檎を丸かじりするように、かじりつかないと食べられません。歯を入れると、果汁がほとばしり出ます。
こんなジャンボサイズは、さすがにシーズン通して収穫できるわけではないそうです。「世間一般でいう大粒サイズ」や「かなりの大粒サイズ」のものが普段は中心ですが、バレンタインデーを前にした今週はちょうど、このような「超大粒サイズ」がたくさんできているのだとか。
このいちご、実は私の弟が作っています。脱サラして農業に取り組みたいと模索していたところ、いちご栽培の名人である神野幸洋さんのもとで研修するご縁をいただきました。今シーズンから園の経営を譲り受け、奥さんと共にいちご園を切り盛りしています。地元スーパーさんのほか、通販や、一部ケーキ屋さん飲食店さんにも出しているようです。まだまだ経験が浅く、いろいろと苦労もあるでしょう。
身内だからというだけでなく、地元の特産品ということもあり、できることなら多くのお得意様に紹介して使っていただきたいのですが、現在のところは「超大粒」は供給量がごく限られているため、スポットでのご紹介になっています。「世間でいう大粒」ならばある程度の量を続けて出せるようですので、ぜひご相談いただければと思います。
さて、記事も書き終えたし、もう一粒いただくか。サクッ、ジュワッ…
関連リンク: 信州駒ヶ根いちご園
寝台車立往生日々雑記
20150205
これは人によっては、災難というよりむしろハッピーだったのでは。。
------朝日新聞-------
1日昼にJR札幌駅を出発し、青森県で積雪のため約12時間立ち往生した大阪行きの寝台列車「トワイライトエクスプレス」が、3日早朝、15時間半遅れで大阪駅に到着した。大阪駅で72人、京都駅で38人が降りたが、体調不良を訴えた乗客はいないという。
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先を急いでいたのに予定を狂わされ困った乗客ももちろんいたでしょうが、豪華な車内で予期せぬプラス一泊をむしろ楽しんだ人もいた?のではないかと思います。これで暖房が切れたり食事がなかったり、では悲惨だったでしょうけど。おにぎりや駅弁の支給があったみたいですね。食事は必要最小限でも、酒や飲物は余裕を見て積んでいたかな。
雪で停まった豪華寝台列車といえばもう、誰もが真っ先に連想するのはクリスティーの古典的名作「オリエント急行の殺人」でしょう。お正月には三谷幸喜によって舞台を日本に翻案され、テレビドラマで放送されました。豪雪のため関ヶ原で停まった寝台特急「東洋」で起きた殺人事件、果たしてその犯人は?
この小説のあっと驚く結末をまだ知らず、これから体験できる人がうらやましいですね。私の息子なんか子供の頃、終わりまで読んでも意味がわからず、「ねえ、犯人って結局誰なの?」ですって。
私が国内で体験した唯一の寝台車は、ずいぶん前に乗った急行「銀河」で、広島の友人を訪れるため横浜―大阪間を乗車しました。その頃は特急でなく急行の寝台列車があったのですな。乗ったのはまったく簡素な2等寝台で、途中ずいぶんと揺れ、三回ほど地震の夢を見て(本当です)目が覚め、あまり眠れなかったことを覚えています。
諸事情によりこの3月で運行を終えるトワイライト。なかなか北海道までゆっくり旅行できる時間はなく、トワイライトも北斗星もカシオペアも(これは廃止が決まってはいないが、濃厚といわれる)縁がなく終わってしまいそうです。それでも九州を走る「ななつ星」は大変な話題となりすごい人気だそうですし、列車の旅を楽しむ人々に支えられた寝台列車の需要はまだまだあると思いますが…
春遠からじと…日々雑記
20150204
昨日は節分、今日は立春ですが、春とは名ばかり、毎朝結構な寒さです。ここ3日ほど続けてマイナス8℃くらいになっていると思います。天気は良いので日中は陽光が当たって、ちょっと暖かいような気がするのですが、日が沈んだあと、そして朝の寒いこと。
今朝の新聞で、市街地の老舗割烹店が店を整理する旨、報じられています。ここしばらく事情でお店を休業しており、どうするんだろうと思っていましたが、残念なことになってしまいました。
1月初めには、駒ヶ根市街地唯一だった本屋さんが閉店しました。この店は我が家からすぐ近くで、子供のころはもう毎日のように通いました。
両方とも、私のとても親しい友人たちが、先代から引き継いで経営してきたお店です。たいへんな寂しさと同時に、心が重くなります。どちらも市の中心商店街において核となってきたお店だけに、地元の地盤沈下を必死で食い止めようとしている人たちにとっても大きな痛手です。
地方にいつ春が来るのでしょうか?
一日のうちで一番寒いのは、夜明けの直前です。夜明けは近い、と思いたい。しかし地球の自転と違い、自分たちで引き寄せなければなりません。