ドローン日々雑記
20150424
首相官邸にこんなモノが落下していたとは、驚くばかりです。落ちたところを誰も目撃していないということは、まだ発見されていないドローンがあちらこちらにあるのかもしれませんよ。
由々しき事態であるのは確かですし対策が急がれますが、しかし何となく、深刻さよりもお笑い方面をつい連想してしまいませんか。これには「ドローン」というネーミングの持つユーモラスな語感が関係しているのではないか、と思うのです。
飛来する不審なドローンに対抗して「カスミ網をぶら下げたドローンを飛ばせば絡め取れる」とか「鷹匠に頼んでドローンを鷲づかみにしよう」とか、「元五輪クレー射撃代表選手、麻生太郎財務大臣に官邸に詰めてもらってショットガンで撃ち落とせばいい」とか、ネット上には豊富なアイデアが飛び交っています。
報道されている通り、droneとは雄のミツバチのことだそうです。ハチのぶんぶんいう羽音という意味もあるようです。(ぶんぶん飛んでいるミツバチは基本、メスじゃなかったっけ?)
しかし私にとってドローンとは、怪談噺の効果音や漫画に出てくる忍者が姿を消すときの擬音であり、オバQに登場するアメリカ出身のオバケ「ドロンパ」や永井豪の「ドロロンえん魔くん」、頬冠りを鼻の下で結んだ「コソ泥」の姿がついつい頭に浮かんでしまうんですよねえ。誰が名づけたか知りませんが、面白い名前をつけたものじゃありませんか。英語圏の人はこの語感、どう感じているのかな。
ちなみにこの単語、音楽用語でもあります。ある種の民族音楽でよく使われ、和音の変化進行に関係なく同じ音を曲中ずっと伸ばし続けることをdroneといいます(たとえば、バグパイプの低音で五度の音が鳴っているやつがそうです)。この言葉は前から知っていましたが、いま話題のドローンと同じ単語だとはさっき調べるまで気が付きませんでした。やはりぶんぶん唸る羽音が関係しているのでしょう。
悪用を防ぎ、事故やプライバシーへの配慮を盛り込んだ法規制はもちろん急務です。でもそれはそれとして、何だか自分でも飛ばしてみたくなりますね。気持ちよく楽しそう。今のところ、意外と安く買えるようですし。
無投票日々雑記
20150421
統一地方選。。
わが駒ヶ根市は今月、県議選と市議選が行われることになっていましたが、いずれの選挙も立候補者数が定数を超えず、無投票となりました。ひと月に2回も選挙があり、どちらも無投票だなんてねえ。市議選が無投票になったのは市制始まって以来、初めてだそうです。
私がお世話になっている親しい方が今回市議選に立候補されるということで、少しばかりお手伝いをさせていただきました。各陣営はもちろん、選挙になる前提で一週間の選挙戦の準備をして臨むわけですが、無投票になったことで安堵の気持ちは当然あるでしょう。戦わずに当選できたことはもちろん、かかる人手も費用も全然違ってきますからね。
しかしながら有権者の立場から見たら、自らの一票を行使する機会を失ったのは、言うまでもなく大変残念なことです。多くの人にとっては、選挙が唯一の政治参加の手段なのですから。
候補者だって、選挙の洗礼を経ずに当選することには忸怩たる思いがあるのでは。自分の支持票がいったい何票あるのか、わからずに議員活動をするってのも、居心地が良くないことでしょう。
近所にある二つの町でも同時期に町議選がありますが、どちらも選挙になるばかりか、人口で上回る駒ヶ根市よりも多くの立候補予定者がいるようです。何だか情けないことです。
市町村議員の仕事は、地味でそのくせ待遇で報われず、割に合わない…と思われているのですかね。本業に余裕がなく、議員をやるような余裕がなくなっていると言われますが、まあその通りでしょう。しかし立候補者が少ないから定数をどんどん減らしていって良い、ということではないはずです。
当選された議員各位の、積極的な活動をお願いします。
醤油のお勉強しごと
20150419
日本人の味覚にしっかりと刻み込まれている和食の礎、醤油。先日キッコーマンさんに提案をいただき、社内で勉強会を行いました。
醤油はあまりにも日常化している故、日頃の仕事の中で製法や分類、使い分けなどをきちんと知る機会がありません。このような勉強会は当社の営業活動においてとても大事なことだと思っていまして、折に触れてメーカーさんのご協力をいただきながらさまざまなジャンルで行っています。
醤油の原材料は何か、皆さんご存知ですよね。大豆と小麦と食塩、それを麹菌・乳酸菌・酵母の力で発酵させ搾って作ります。それぞれの原料の質や使用割合などが、味にいろいろ作用するそうです。JASでは濃口、淡口、たまり、再仕込み、白醤油の5つに分類していて、さらにその中でもより細かい特徴を持った数多くの醤油が生産されています。
卓上には数種類の醤油が用意され、それぞれの味の違いを確かめながら説明をお聞きしました。なかなか醤油だけをこうして味わうことはありません。利き酒ならぬ利き醤油。んー、難しいな。
利き酒つながりで思い出したのが、2008年に長野で観た、全日本ソムリエコンクールの決勝公開審査。テーブルに着席した何組かのゲストと会話をしながらお酒を勧め、抜栓したワインを注ぐサービス実技の課題でした。会場を埋め尽くした観客の前で3人のファイナリストが一人ずつ次々に登場し、決められた持ち時間で全力を尽くす様はまことにスリリングでした。
今でも語り草になっていますが、このときゲストの一人から「醤油の作り方を教えて」という質問がでました。(会話はすべて英語またはフランス語で行われます。このときは全員英語でした)名ソムリエたちの動揺ぶりたるや。みごとにしどろもどろでした。ワインの勉強にはものすごい時間をかけてきたでしょうが、まさか醤油とは!
かなりの意地悪問題に見えますが、考えてみれば日本を代表するようなソムリエならば、日本発、世界に広がりつつある調味料の由来くらい知っていても損はないですよね。海外のお客様を店にお迎えすれば、なるほど想定できる質問です。この場ではもちろん、正解を示すことが目的ではなくて、ゲストの好奇心をそれなりに満足させ会話を楽しんでもらえばいいわけですが。
昨今は醤油をそのままの形で使うよりも、つゆやタレ、ドレッシングなど、醤油が含まれている各種調味料として間接的に使うようになり、醤油単品での国内消費量は昔と比べると減少しています。食生活の多様化もあるでしょう。醤油は、和食ブームもあり世界が注目しています。食材に合ったさまざまな使い方を提案していきたいものです。
菜種梅雨の晴れ間日々雑記
20150413
桜の真っ最中に毎日毎日、よくも降ってくれるものです(しかも、雪まで)。もういい加減にしてほしい。お花見の人出に相当影響しているのは間違いないですね。当地では菜の花はそうあちこちで植えられてはいませんが、まさに菜種梅雨もいいところです。
そんな中、昨日の日曜日は久しぶりに太陽が顔を出し、風もなく絶好のお花見日和となりました。みんな待ってたんですよね。私も友人たちと焼肉でお花見。
「馬見塚(まみづか)公園」は、市内のお花見処です。以前も書いたことがありますね。桜に加えて紫色のツツジの花も同時期に咲くことで、近頃では高遠公園を見てきた観光バスも、ときどき立ち寄るようになったそうな。昨日も1台見かけました。
ポカポカと暖かい陽気に誘われ、前日少々飲みすぎていた私も、ビール、赤ワイン、缶ハイボール(「濃いめ」なんて商品があるのですね。度数9%)とゆっくりおいしくいただきました。幹事役A君が作ってくれた燻製もグッド。焼肉に用意した豚バラ肉で、その場で思いついて作ってみたベーコンがやたらとうまかったな。
差し入れたワインはレ・ジャメルのメルローと、「さくらアワード」でダイヤモンド賞を受賞した「カンティーナ・オッフィーダ」のロッソ・ピチェーノで、いずれも皆さんウマイウマイと飲んでいただきました。友人のお供について来たワンちゃんもワインのボトルにじゃれ付いて、ご満悦でしたよ!
サッカーボール裁判日々雑記
20150410
親の責任はどこまで及ぶのか?注目を集めた裁判の判決が言い渡されました。。
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(読売新聞)小6蹴ったボールよけ死亡、両親の監督責任なし
子供が起こした事故が原因で死亡したお年寄りの遺族が子供の両親に損害賠償を求めた訴訟の上告審で、最高裁第1小法廷(山浦善樹裁判長)は9日、「通常は危険がない行為で偶然損害を生じさせた場合、原則として親の監督責任は問われない」との初判断を示した。
そして1、2審の賠償命令を破棄し、遺族側の請求を棄却する判決を言い渡した。両親側の逆転勝訴が確定した。ほとんどの事故で親の監督責任を認めてきた司法判断の流れが変わることになる。
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この判決には納得できる人が多いでしょう。私もその一人です。両親に高額の賠償を命じた一審二審の判決こそおかしかったと思います。
これまでは被害者救済を優先させようとの観点から、事故の状況はほとんど考慮されることがなく、一律に加害者側(親)に賠償責任があるとされてきたのだそうです。そもそもそこが、社会の常識とかけ離れていたのではないでしょうか。
猛スピードで自転車を走らせ歩行者を怪我させたような事例とは全く性質が違います。校庭に置かれたサッカーゴールに向けて蹴ったボールが外れ、道路に出てしまったことは偶発的事故で、ここに個人の責任が問われるのはあまりにも厳しすぎます。(プロサッカー選手、本田だって香川だって、いやと言うほどシュートを外しているしね)
これらを十把一絡げにしてきたこれまでの司法判断が変わるのは、当然の流れでしょう。公園があっても子供たちがまともに遊べない、窮屈な社会が一層進んでいくことにひとつ、歯止めができたような気がします。亡くなられたおじいさんはお気の毒ですが、被害者救済には、保険の活用など、いろいろできることがあるでしょう。
今回も実は子供は賠償責任保険に入っていたが、同様の訴訟で賠償額がどんどん増えていくのを恐れた保険会社が後押しして、あえて示談による和解に持ち込まず被告をバックアップして争ったのだという話も聞きます。さもありなん。
今回こうして法的な決着がつきましたが、10年の歳月は長い。被告側の父親のコメントがずっしりと来ます。(全文は下記リンクで読めます)
関連リンク: 弁護士ドットコム 少年父親のコメント
スマホやめますか?日々雑記
20150406
ここ数日の雨にも負けず桜のつぼみはどんどん膨らみ、高遠はじめ上伊那地域でも、あと一両日で満開を迎えそうなこの頃です。今年は花が早いです。もう少し先にいってくれると、週末を二度楽しめるのに…。
各地で入学式が行われています。そんな中、地元信州大学の学長さんの挨拶が話題になっていますね。
「スマホをやめますか、それとも信大生やめますか?」
案の定、このフレーズだけが独り歩きしており、テレビでもtwitterでも、頭が古いだのスマホによってもたらされうる広大な知識をないがしろにしているだの、頓珍漢なコメントが続出しているようです。ちなみに挨拶の全文は下記のリンクで読めます。
“…スマホ依存症は知性、個性、独創性にとって毒以外の何物でもありません。スマホの「見慣れた世界」にいると、脳の取り込み情報は低下し、時間が速く過ぎ去ってしまいます。…”
「スマホは」でなく「スマホ依存症は」ってところを、短絡的に反応している方々は知らないでいるのか知っていて無視しているのか、どうでしょうか。
時間の流れをゆっくりにしよう、というのが挨拶の本意であると思います。信州という環境の特質を十分生かした中で、見慣れたものに安住せず常に新しいことに触れることの大切さを伝えようとしています。有効に使われるスマホの便利性をこの場で否定しているわけではないでしょう。
まあこのくらいの強い調子で語った方が、インパクトがあるというものでしょう。一種の炎上マーケティングなのか、こうして全国に信州大学が話題となることを見越してこういう言い方をしたのなら、学長氏、してやったりということなのかも知れません。
関連リンク: 山沢学長挨拶全文 (朝日新聞サイト)
新生活日々雑記
20150402
エイプリルフールでしたが、気の利いた冗句のひとつも思いつきませぬ。。
昨日は年度初め。我が息子も大学の入学式を迎えました。知人なしの一人きりで(広い会場のどこかには誰かいるのかもしれませんけど)完全アウェイでの入学式と思っていたら、近くの席に予備校時代の仲間を見つけて嬉しかったとか。
数日前には引越しをして一人暮らしが始まり、いろいろなことが一遍にやってきて大変だろうとは思います。アパートは駅に近く住宅街にあり、とても静かなところでなかなか良い環境なようです。駅周辺に商店などが少なくて、もうちょっと賑わっていると便利なのですが。
前々回でも私の学生時代のことをちょっと書きました。当時私の下宿は商店街のまん中、クリーニング屋さんの2階にありました。学校も近く飲食店、本屋、スーパーにも事欠かず、大層便利ではありましたが、それに伴ってまあ賑やかなところでした。
あちこちの店で夜中まで煌々と明かりがつき、12時頃になると女性たちが「ありがとうございました~」と口々に言う声が近所のどこかから聞こえ、いったい何のお礼を言っているのか、しばらくの間いぶかしく思っていました。あれはスナックか何かで、ホステスさんが帰る客を見送りに出ていたのですな。もちろん純情な学生の身で、そんなところへ行ってみようとも思いませんでしたが。
クーラーはもちろんテレビも扇風機もなく、暇な時間は近所の本屋か冷房の効いたスーパーの中で過ごしました。当然風呂なしトイレ共同、もう隔世の感がありますね。恵まれた環境を生かして存分に勉学に(その他のことにも)励んでほしいものです。
カキタベ食べもの
20150327
牡蠣の時期になると、いてもたってもいられず、カキフライやバタ焼きなどを目当てに外食店を巡回する人がいるそうです。おいしいもの紹介のブログなどで時々お見かけします。こういう人を「カキタベ」とかいうそうですよ。
そこまで熱狂的に焦がれるわけではありませんが、私も寒くなると牡蠣が食べたくなる口のひとりです。しかし、わが家の夕食ローテーションに登場する頻度はそう高くありません。もう3月も末ですから、そろそろシーズンが終わってしまいます。
1月~3月は東京へ行く用事も比較的多いので、お昼はしばしばカキタベとなります。何人かいらっしゃるカキタベさんのブログなどを参考にさせてもらい、何軒か牡蠣のおいしい店を知りました。淡路町「万平」のバタ焼とか、神田「七条」のカキフライ(この店はむしろエビフライで有名ですが)とか。
先日食べたのは、有楽町「レバンテ」の牡蠣ピラフ。レバンテは松本清張の名作「点と線」にも登場する老舗です。地域再開発で何年も前に移転し、今は東京国際フォーラムの一角にガラス張りの店舗を構えています。ご年配の紳士たちがグループで昼間からジョッキを傾けており、ちょっとうらやましい。
この牡蠣ピラフ(写真)見ただけだと「何だ、牡蠣なんてどこに入っているの」と思いますが、やや硬めに炊かれたご飯の中に丸々と太ったやつが6個、埋まっています。ふっくらジューシーで旨みたっぷりな牡蠣とバターライスの相性がたいへん良く、また途中から別添の茶色いソース(薄目のデミグラスみたいな感じ)をかけると、一層味が濃くなり際立ちます。ああ、満足。
私は生牡蠣も食べますが、火を通した牡蠣の方により魅力を感じます(帆立もそうだと思う)。広島の名物駅弁「しゃもじかきめし」は以前二度ほど食べたことがあり、普段駅弁は食わず嫌いの私ですが、おいしいなと思いました。でももう何年も食べる機会がありません。
生牡蠣といえば、初夏に食べる大きな「岩牡蠣」はまた格別で、またいずれここで記事を書くことになるでしょう。また「牡蠣そば」なるもの、ネットで写真などを見ると本当にうまそうですね。ぜひ食べてみたいですが、来シーズンかな?
自炊のお稽古食べもの
20150319
長男の大学進学がようやく決まりました。入学後の住まいも見つかり、ここしばらく自宅でほっとした日々を過ごしています。
これまでは寮生活だったのが一人暮らしになりますので、何を買い揃えたらいいのか、仕送りは幾らか、などいろいろと考えます。中でも、日々の食事をどうするのかは、特に男の子を都会に送り出す母親すべてが心配する筆頭事項かと思います。
アパートの近所をGoogle Street Viewで見ると(こういうときは便利!)最寄駅周辺でも飲食店があまりなさそうな住宅街で、お昼は学食で食べればいいですが、朝晩は自炊ってことになるでしょう。向こうへ行って困らないようにと、妻が料理の基本をああだこうだと特訓しています。
写真は昨夜の我が家の夕飯。息子が一人でつくりました。鶏の照り焼き、八宝菜、肉じゃが。見た目まあまあじゃないですか?難しいものなど覚えなくて良いので、応用の効く原則だけ教え込んでおけばいいだろうと思います。
私の学生時代は、朝はパン、晩飯はご飯だけ炊いて、おかずは近所の東急ストアのお惣菜と野菜でだいたい済ませていました。そういえば東急近くの八百屋でニラをいつも安く売っていて、炒め物や焼そばぐらいは自分で作りましたか。カレーなどだいたい作りすぎて、3日ほどかかって食べていました。
家から時々業務用の缶詰などを仕送りしてもらったりしましたが、これはありがたかったですね。中でもMCC食品さんの「ビーフシチューフランス風」、たまーに何かいいことのあった日とか、温めてご飯にかけて食べましたが、ホントにご馳走でしたな。
今では本当に家で料理をしなくなった私です。子供たちは私が、実はカレーやスパゲッティを作れるとは信じていないでしょうね。それでもいざとなれば何とかなるさと根拠なき自信があるのは、学生時代の一応の経験と、日頃食材に囲まれた仕事をしているせいでしょう、きっと。
キャメラマン魂日々雑記
20150316
黒澤明のもとで学び、深作欣二、降旗康男らとともに多くの名作を生み出している撮影者/映画監督、木村大作氏の講演を聴く機会がありました。。
最近では自らもメガホンを取り、北アルプスを舞台にした「剱岳 点の記」「春を背負って」の2本を監督しています。(実は私「剱岳 点の記」を自宅HDDに録画したまま、まだ観ていません)
この方、いま75歳とのことですが、クルーを率いて自分の足で冬山に登り長期にわたるロケを行い、納得いく映像が撮れるまでチャンスを狙って何時間も何日も粘り抜き、大変なパワーの持ち主です。講演ではマイクを使わず会場の隅まで大声を響かせ、90分の予定を質疑含めて130分もやってしまったという、豪傑ですな。けっこう毒舌でもあります。
「八甲田山」「駅STATION」「海峡」「鉄道員(ぽっぽや)」など、この間亡くなった高倉健と数多くの作品で一緒に仕事をしています。講演の半分くらいは健さんの話。黒澤監督と健さんは「神」、彼らがいなければ今の自分はない。健さんは役を演じようとするのではない、すべての役が健さんの懐に入ってしまう。(何をやらせても高倉健の芝居になってしまう、の意)
映画の現場で長く経験を積むといつの間にか大御所的存在になって、若い監督にとっては使いづらい人になってしまった。それに気づき、自ら監督し全部自分でやってみようと思い、「剱岳 点の記」を作った。そんなことをやろうとは夢にも思わなかったが、67歳での初監督作品は大ヒット、数々の映画賞を受賞しています。
キャメラマン(木村氏はカメラと言わずキャメラといいます)としての誇りをひしひしと感じます。私は映画を観るときに撮影の良い悪いをどう判断するのかわかりませんので、いい撮影とはどんなものか質問してみました。
木村氏曰く、いい撮影とは、いいもの―いい場面、いい役者を画面に入れること。そのためには本物の場所(北アとか)に撮りに行く。気に入らない役者は切っちゃう(フレームからはずしてしまう)。今は監督自らがキャメラと同調するビデオを確認し、フレームを決めることも多いが、本来それはキャメラマンの仕事。今の人はキャメラマンではなくて「キャメラ番」だ。俳優でもプレイバックを見て演技がどうだこうだと言う人がいるが(実名出ました)そういう奴とは仕事はしない。
厳しさの中にこそ美しさがある。映画も、キャメラも、人生も。
…現場一筋の人の言葉ですね。早く「剱岳 点の記」を観なくては。