ふるさと納税返礼品日々雑記
20170423
伊那市が「ふるさと納税」返礼品メニューに高額な家電などを採用している話。高市総務大臣が名指しで苦言を呈し、全国ニュースになりました。
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(信濃毎日新聞)「ふるさと納税」の返礼品競争対策の総務省通知に対し、独自の運用方針を設けた伊那市の白鳥孝市長は21日、「運用方針を再度検討したい」とするコメントを発表した。同市が返礼品の見直し後も原則として調達額10万円未満の家電製品を返礼品で扱い続けていることについて、高市早苗総務相が同日の閣議後の記者会見で「通知の趣旨にそぐわない」と述べ、引き続き見直しを要請する考えを表明。総務省側の強い態度を受け、市はこれまでの姿勢を転換した。
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伊那市では豪華な返礼品の効果?で、2016年度は72億円のふるさと納税収入があったとのこと。通常の市税収入が87億円ほどという伊那市にとって、これはものすごいボーナスです。もちろん70億が丸々手取りになるわけでなく、返礼品の費用などはここから差し引かねばなりませんが、それんしても巨額の収入です。
地方自治体にとってふるさと納税は、これまで都会に奪われてきた税収を地方に取り戻す意義があります。地域の子供を産み育て教育するために大きな費用をかけてきながら、その子が大人になって稼ぐようになったら大都市に住み、税金をそちらに持って行かれるのは、理屈には合っていても実情はまことに理不尽なことと思われます。
その住民税を(実際には寄付という形で)自分の生まれ育った自治体に払うことができるというのは、なかなか面白いアイデアでした。自治体はわがまちへの寄付金を増やそうと、返礼品の工夫を競うことになりました。地元の特産品の消費拡大への期待もありました。
しかし、寄付した金額の半分を超えるような高額の返礼品がプレゼントされるというのはすでに返礼という言葉を越え、やりすぎと言われても仕方がないとも思えます。伊那市の返礼品メニューには高価な家電製品(私には値段はよくわかりませんが)がいくつも載っています。市では電子部品の工場をいくつも持つ当地にとって結果的に地域産業振興につながる、と言っていますが、ちょっと無理筋では。
駒ヶ根市のホームページも見てみました。200万円を超える寄付に対しては、伊那市と同じような「薪ストーブ」が採用されているのが興味深いですね。
まあ制度ができてまだ時間がたっていませんから、いろいろな試行錯誤があった後に次第に順当な運用ができていくことと思います。伊那市も「勇み足」と言われたことにめげず、さらにアイデアと工夫をこらしてゆくことでしょう。いい意味の地域間競争がなされていくことを期待します。
バッサリ丸刈りしごと
20170420
会社の庭木が7本。本社新築の際に記念樹として植えたものです。以来28年にわたってすくすくとよく育ち、上を走る電線をも呑みこんでしまう勢いに。これまでも何回か剪定をお願いしていますが、今回また業者さんを頼んで枝を払ってもらいました。
3人でやってきて、実質1日で(雨のため中断がありました)ご覧の通りです。木の枝を切ろうと下から順に作業をしていき、てっぺんまでいったら降りられなくなってベソをかく笑い話がありますが、こういう作業をする人は、枝の形とかを見てどんな手順で作業をするか、チャッチャッと脳内に段取りが組まれるのですね。
私たち素人から見ると、こんなに丸裸にして大丈夫なのかといつも思います。でもこの木もあと半月くらいすると、小枝がわさわさと生えてきてあっという間に葉がぼうぼうと繁ってくるでしょう。
費用のかかることですから、できれば一度刈ったらあと3年位は放っておいていいような具合にいけば結構ですが、これまでの例ではせいぜい2年がいいところです。やっぱり放ったらかしという訳にはいきません。
しばらくは風や日差しを遮るものがありませんね。会社のご近所は、もともと殆どが田んぼで夏に吹く風も涼しく心地よかったのですが、だんだんコンクリートの土地が増えてきて熱風が吹きつけるようになってしまいました(まあ当社こそ、その草分けですから文句を言う筋合いではありません)。そんな中、木陰を提供してくれる庭木の存在は、ありがたいです。大事にしていかなきゃ。
まさかあの人が日々雑記
20170415
我孫子のベトナム人小学生殺害事件、容疑者が逮捕されました。こともあろうに、同じ学校の保護者会長だとは。びっくり、茫然です。
あまりにびっくりで、本当に彼が犯人なのか、正直信じがたい気持ちもあります。現在は黙秘していると報道されていますが、少し慎重にこの事件は(この事件だけではありませんが)見た方がいいのかもしれない。今後の取り調べを待たないと、今の時点で頭から犯人扱いするのはどうなんだろうかとも思います。そのくらい信じられません。
「保護者でつくる会」ってつまり、PTAのことでしょう。PTAのあり方にはいろいろな意見があり、何か理由があって「T」が入っていないのですね。実際にやっていることは、たぶんPTAと大して変わらないのだと思いますが、いくら何でもPTA会長が、その学校を児童を手にかけるなんてことがあるでしょうか。自分の子だって学校でとてもいたたまれない思いをするでしょうに…
地域の見守り隊活動は、あちこちのPTAで普通に行われていること。PTAだけではなくご近所の人たちとも協力しながら、子供の安全を守ろうとする、尊い活動です。児童たちは絶対の信頼を置いているでしょう。その人からこんな目に遭わされるなど、許される筈がない。
かつてそれなりにPTAに関わり、貴重な経験をさせてもらった私としては、何かの間違いであってほしいという気持ちです。亡くなった女児や遺族のために、真実が早く明らかになりますように。
【お知らせ】
昨年12月2日の記事で取り上げた「プラハのための音楽1968」が、明日16日のNHK「クラシック音楽館」(21:00~)で放送されます。下野竜也指揮、N響。ぜひご覧ください。
さくらさけ日々雑記
20170410
TVを点けると、東京の桜の名所の中継ばかり出てきます。こちらではまったく花が咲いていません。蕾が赤く色づいてさえいませんぞ。いったいどうしたこと…?
だいたい平年より一週間か、へたをすれば10日くらい遅いような感じがします。もちろん年によって桜が早いか遅いかはありますが、ここまで遅いのはちょっと記憶にないですね。写真は駒ヶ根市内の桜処「共楽園」で今日撮ったものですが、飾られたボンボリが気の毒に見えるほど。
4月にしては気候は確かにひんやりした日が多いようには思います。それにしても、です。いったいいつ、桜は咲いてくれるのでしょう。
申すまでもなく、天下第一桜の高遠城址公園へのお花見のお客様は、当社の新年度のスタートを左右する大きな商売となっています。名物高遠まんじゅう、観光バスツアーのお弁当、お花見の酒肴、などなど。この商売は「桜のピークに好天の週末が何度あるか」に大きく左右されます。何度といったって、足掛け3週間も桜が咲いているわけもありませんので、週末が一回なのか二回かかるのか、ということなのですが。人出には大変な違いです。
私たちにとっては、基本的に開花が早いよりは遅い方がいいのです。桜が四月早々パッと咲いてパッと散ってしまった後では、ツアーで来るお客様はもういません。といって遅ければ遅いほどいいわけでもなく、GWまで持ち越しそうだった年が何年か前にありましたが、本来なら二度あるピークが一度で終わってしまうようなもので、これまたうまくないですね。
何でこの辺だけこんなに遅いか、不思議です。もう勿体つけなくていいから、いい加減に咲いておくれ!
入学式の季節日々雑記
20170407
昨日今日と、地元の小中高、それに大学でも入学式が行われました。新入生の初々しい姿があちこちで見られます。
私はご近所の長野県看護大学の入学式に来賓としてお招きをいただき(会頭のご名代で)出席しました。17年前、JCの理事長だったとき以来かな。この大学は1学年80名と小規模で、新入生の名前も全員読み上げられます。あわせて大学院の入学式も一緒に行われました。アットホーム、それでいて厳粛で、とても良い入学式でした。
写真は地元のケーブルテレビからで、私もちゃっかり写っています。新入生宣誓のとき、カメラが私と正面から向き合う位置にあったので、これはきっと撮られてるなと思い挙動には気をつけました。
まだ昭和の頃、私の大学入学式は学校の巨大な体育館で行われ、後方の席で壇上の人の顔もよくわからず、ただ規模の大きさに圧倒されておりました。オーケストラが式歌を演奏していて、当初から入団するつもりでいましたから、そっちの方ばかり見ていました。
それでも塾長の話の一部は印象的で覚えています。「諸君は大学生活の中で、ぜひ次の3つを心がけられたい。師に親しむこと、友人に親しむこと、書物に親しむこと」うーん、4年間を振り返ると、どうだったかな。楽譜に親しんだことは確かですが。
二男も今週、大学の入学式を迎えます。親がついていくことは今では珍しくないようですが(何しろ入社式にも親がついていく時代だそうですよ)そんなためにわざわざ東京には行きません。経済的には親のすねを齧っていますが、それでも独り立ちの第一歩ですから、人生の新たなフィールドに入ったことを自覚して欲しいですね。
入学の日の写真を撮っておくように言いつけておきました。私は自分の大学入学の写真がなくて、少なからず残念に思っています。そもそもカメラを持っていませんでした。誰もがスマホというカメラを常時持ち歩くようになったのには、隔世の感がありますね。写真嫌いの我が息子、ちゃんと撮ってくるでしょうか。
さらに大ばってき!日々雑記
20170406
NHKのニュースの顔が、番組改編期の4月で大幅に変わりました。ハイライトは何といっても、桑子真帆アナが9時の顔になったことでしょう。
桑子アナについては15.5.17の記事で書いております。2010年入局し長野放送局に配属され3年、その後広島へ異動しましたが、子供番組「ワラッチャオ!」のお姉さん役に(局アナとしては異例)起用され、子供はもちろん大人たち(私もです)の人気をも集めました。
それがNHK上層部の目に留まり「ブラタモリ」のアシスタントに抜擢されたことで全国的にブレイク。一年前には夜11:15からの「ニュースチェック11」のメインキャスターとなり、わずか1年で同番組でコンビを組んだ有馬嘉男キャスターとともに「ニュースウォッチ9」のメインとなりました。まさに超の字が付く上昇気流、飛ぶ鳥を落とす勢いです。
前回の記事でも書きましたが、初任地が長野放送局ですから、彼女のデビューの頃からずっと知ってますよ。NW9の初回放送、各社の入社式のニュースの中で「私が新入社員だったころ」として長野勤務時代の画像が登場しました。今よりぽっちゃりしてましたね。目の周りが黒い不思議なお化粧と、緊張感みなぎるこわばった表情で原稿を読む桑子アナは、我が家でも人気でしたぞ。ネットを探してみると当時の写真もありました。
とにかく明るく、人柄の良さを感じます。東京外国語大学で、チェコ語などというベリイレアな言語を専攻した経歴も面白いではありませんか。おそらくNHKでもただ一人でしょう。チェコの有名人来日の折にはぜひインタビューしてほしいもの。私、何だか父親みたいな目で彼女を見ているような気がしますw。
NW9は最近、扱うニュースの優先順位などいろいろとネット上で批判を浴びていました。新しいNW9はこれまでに比べるとだいぶカジュアルな雰囲気となりました。賛否が分かれるところかなと思いますが、しばらく見てみようと思います。
元祖のソースカツ丼食べもの
20170401
ソースかつ丼を街おこしの旗印と掲げている担い手の一人としては、全国に数あるソースカツ丼をひと通り知っていなくてはなりません。福井市と言えば、ソースカツ丼では全国一の知名度を誇る街。ライバルの本拠地に乗り込んだからには、ぜひとも本丸を制覇せねば。
(記事中「かつ」と「カツ」は意図的に使い分けております。駒ヶ根のは、ひらがなです)
というわけで、本丸「ヨーロッパ軒」に乗り込みました。開店が11時、お店に着いたのは11時半くらいですが、2つのフロアがほぼ満席で、空いていた一卓に辛うじて座れました。メニューは揚げ物中心に結構たくさんありますが、注文はもちろん、ソースカツ丼。
出てきたのは事前にメディアやネットで見たとおりのものです。丼の上に薄いカツが3枚。パン粉はとても細かく、肉は脂身なし、千切りキャベツはもちろんなし、ご飯にかかったソースは醤油よりもウスターソース寄りの味でやや多め、といったところ。お店によれば、衣と肉のバランスを考えてこの厚みにしているとのこと。変わっているのは、丼とは別に小皿のソースが供され、必要に応じてお使いくださいという点でしょうか。
食べてみた感想は―あくまで個人的なものですよ―正直、物足りないですねえ。肉の薄さと脂っ気のなさは「トンカツを食った」という満足感を与えてくれません。家族たちも同意見。私はカツ丼にはバランスよりもボリューム感が欲しい(盛りの多い少ないとは必ずしも一致しません)し、豚肉の旨さは脂にあると思っていますので、これでは食べた感じがしませんね。
福井のこの店が歴史的にソースカツ丼の発祥であり「元祖」であることは、確かなようです。地元の人に愛されて永く繁盛しているのですから、結構なこと。その上で、駒ヶ根のソースかつ丼も、大いに自信を持っていいと思います。目指すコンセプトがまったく違います。
全国のB級グルメ行脚をされる方々、福井を食べて「これがソースカツ丼か、ふむふむ」と納得してしまわずに、駒ヶ根もぜひ食べ比べていただきたいですね!
パンとお菓子日々雑記
20170330
パンが無ければお菓子を食べればいいのに…と名台詞を残した、フランス最後の王妃マリー・アントワネット。日々の食べ物を満足に購うこともできない庶民の困窮に全く無知で、浪費の限りを尽くしていた彼女を象徴する言葉といわれます。
実はこの言葉、アントワネットの発言だとする記録はなく、初出とされる思想家ルソーの著作では「ある大変身分の高い女性がこう言った」と書かれているそうです。ちなみにここでいう「お菓子」は原文ではブリオッシュ。当時一般に食べられていた石のように固いパンとは全然違い、バターや卵をふんだんに使ったブリオッシュは、庶民の口には一生入らない贅沢品であったに違いありません。
ところで…
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(日経新聞、一部略)24日に文部科学省が公表した小学校の道徳教科書の検定では、教科書会社が細部にわたって記述を修正するケースがみられた。学習指導要領で示した内容に照らし、申請時の記述が不適切とされたためだ。
小1の教科書では散歩中に友達の家のパン屋を見つけた話を取り上げた。全体として「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着を持つ」点が足りず不適切とされ、パン屋を「和菓子屋」に修正した。
教科書会社の担当者は「低学年に『我が国』は難しく、身近なパン屋で『郷土に愛着を持つ』は問題ないと考えたが、『国』も満たす必要があると指摘されたので、和菓子屋に修正した」と説明している。
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文科省は個別の事例をどうせよと言ったわけではなく、パン屋を和菓子屋に修正したのは出版社の人が忖度して(今年の流行語大賞間違いなし)自分でやったことだそうですが。パンで駄目ならお菓子にしよう、って、わけわかんない。一冊の教科書を構成するすべての要素が純和風になることを期待しているのでしょうかね。いずれにしても漫画みたいな、とびきりアホな話です。
銀座の木村屋が開店したのは明治2年(1869)のこと。日本のパン製造業は150年の長い歴史を持っており、世界に類のないオリジナル商品「あんパン」はその5年後に発売されています。一方で和菓子屋さんで売っているお菓子で海外伝来のもの、たくさんありますぞ。カステラや金平糖などの南蛮菓子はれっきとした和菓子の一分野です。
伝統の粋を凝らし、また庶民の味として親しまれてきた和菓子も、その高い技術と個性で今や世界に冠たる存在となっている日本のパンも、それぞれ我が国の立派な文化となっていると思います。それを生業としている人たちの誇りも含めて。
若狭の焼き鯖食べもの
20170328
家族で福井に行ってきました。北陸三県の中では地味な印象の県ですね。短い時間で福井市と、お約束の永平寺と東尋坊、そして「ちりとてちん」の舞台となった小浜を訪れ、名物の焼き鯖をぜひ食べよう!と目論みました。
10年ほど前のことですが、お得意様の旅行で城崎に行った帰りに福井県のどこかの道の駅(酔っ払っていて記憶なし)に立ち寄ったところ、でかい鯖を丸ごと何十本も焼いて売っておりました。買い求めてその場で丸かじりしていた人もいて、見るからにおいしそうだったのですが、満腹だった私は食べられませんでした。ぜひあのときのリベンジを。
小浜は冷たい雨が降り、街ゆく人も少なく、とても寂しい街でしたね。ドラマのロケにも使われたアーケード通りに、鯖の浜焼きで有名な「朽木屋」というお店。ここに辛うじて1本だけ残っていたのをゲット。(食堂ではなく小売の魚屋さんなので、ここで食べることはできません)こんな天気ですから、あまり数を用意してなかったのかな。
そのあとお昼を食べに港の方へ行き「海の駅若狭おばま」という施設で、もう1本を購入しました(写真1)。お値段はどちらも1200円。
家に帰り、あっためて食べてみました。腹身の脂も背中の肉も、いやもう、柔らかく、ほくほくです。ホントに旨い!ボリュームもあります。おいしさは材料もあるでしょうが、焼き方、なんだろうな。かなり時間をかけてじっくり火を通しているようです。どちらもおいしかったですが、朽木屋の方が(写真2)脂の乗りが幾分良かったような気がします。ひとり一本ずつ食べたいね!
これらの鯖は、いずれもノルウェー産である由。さもありなん、家の近くのスーパーで売ってるものだって、国産鯖よりノルウェー産の方がずっとおいしいですものね。日本近海では乱獲のため、おいしい大型の鯖が獲れなくなってきているのです。本当に残念なこと…
福井では鯖寿司ももちろんいただいたし、名物の珍味「へしこ」も少しいただいてみました(写真3)。これは鯖を糠漬けにしたもので、かなり塩辛く、独特の風味があります。そもそも普段から糠漬けを食べない私にとっては、おいしいと言ってよいのか、ちょっと言葉に迷うところですね。酒の肴として、一度は味わってみてもいいかな。
山中教授日々雑記
20170323
全国の商工会議所の総会が、東京で年2回行われています。今回初参加の私も、他の皆さんと一緒に会場の帝国ホテルまで行ってきました。
北から南から、千人ほどの出席者で、会の途中では安倍首相も来賓として登場し、結構長い時間挨拶をしていきました。時の首相はこの会に毎年顔を出している由。
事業計画や予算を審議した後は、ゲストによる講演。ノーベル賞受賞者の山中伸弥教授から約1時間にわたって、極めてわかりやすくご自身の研究しているiPS細胞の話を聞かせていただきました。私自身、これまでiPS細胞についての知識はまったく貧しいものでしたが、小学生にだったら説明できそうな気がしてきましたぞ。
輸血に由来するC型肝炎がもとで、若くして亡くなられた山中氏のお父さん。今では特効薬ができていますが、その開発実用化までに26年かかっています。なぜそれほどまでに時間がかかったかといえば、実験に必要な「生きた肝細胞」をたくさん用意することができなかったから。
さまざまな細胞を大量に作り出せるiPS細胞の技術で、肝細胞をじゃんじゃん作ってあちこちの研究所で実験を繰り返すことができていたら、この時間は半分になっていたかもしれない。うーん、同じように父親を輸血C型肝炎由来のガンで亡くしている私にとっても、これは切実な話ですね。
今ではiPS細胞は血液細胞から作られるそうです。他人の細胞を移植するには常に拒絶反応の危険がありますが、500人に一人くらいの割合で「他人に無害の細胞を提供できる人」がいるそうで、現在赤十字などと協力してそうした人の発掘に取り組んでいるとのこと。90人ほどいてくれれば、日本で研究に必要なiPS細胞を十分確保できるが、まだ十数人だといいます。
お人柄がうかがえる講演でした。研究のスポンサーを求めて、お忙しい中でもこうした会議での講演を引き受けておられるのでしょう。何か協力してあげられればいいですが。無駄になるかもしれない豊洲市場にかけた何百億のこと、思っちゃいますねえ。