ミャンマー訪問しごと
20160701
機会をいただいて、先日ミャンマーとタイへ数日間行ってきました。大勢の団体ツアーでしたが、快適に過ごすことができました。
私はタイは3度目(前回は2010年6月)ですが、ミャンマーは初めてです。ミャンマーといえば名作「ビルマの竪琴」(おーい、水島、日本に帰ろう!)、長年続いた軍事政権とそれに対抗してきたアウンサン・スー・チー女史の民主化運動、あとは世界に名高いバガンの仏教寺院群くらいしか知識がありませんでした。
ミャンマーで食料品の貿易を手掛けている専門商社の社長さんや現地日本大使館の書記官の方からレクチャーをいただきながら、僅か二泊三日ではありましたが新しく動き始めた国の胎動を感じることができました。
ミャンマーはそもそも、東南アジアでは群を抜く民度と経済力を誇っていたとのこと(今でも国民の識字率はきわめて高い)。古くはアユタヤ王朝の時代から、第二次大戦後までずっとそのポジションを守ってきました。
ところが軍事政権になってから、鎖国的政策をとって国外との交流通商を制限したり、民主化運動を繰り広げる大学生たちを地方に追いやったりして徐々に国力が落ち、タイやベトナムに完全に後れをとってしまったそうです。(カンボジアなどと共通しますね、あれほどひどくはないにしても)
昨年11月の選挙でスーチー派が勝利し、3月に新政権がスタートしたばかりです。日本政府は以前からスーチー派の勝ちを見越して水面下でさまざまな支援策について意見交換を始めていました。ミャンマーは農業国で水産資源も豊富です。しかし栽培・採取したものをきちんと商品化し貿易まで持っていくまでのインフラ整備が大きな課題です。(そもそも電力事情が悪く、日々停電が当たり前のようにおこっています)
車は乗用車もバスもトラックもほぼ100%、日本の中古車です。道は右側通行なのに、どの車も右ハンドルという不思議。かつては宗主国イギリスの影響で?左側通行だったが、軍事政権時代に右側に変更されたのだとか。写真は、現地で3日間乗った我らが「伊那バス」。帰国して伊那バスの社長さんに聞いたら、各国で目撃情報をいただくがミャンマーは初めて、とのことでした。
ミャンマーとタイで見たもの、何回か書いてみましょう。
どうなっちゃう、大英帝国日々雑記
20160626
えらいことが起こるもんですなあ。まさかと思っていたイギリスのEU離脱。現実のものとなってしまいました。
小学生の頃読んでいた本に、よく「世界政府」なんて設定がありました。地球上すべての国が合併統一されれば、戦争はなくなり誰もが平和に暮らせるようになる。もう何十年かすれば本当に実現するのかな、と夢見ていました。(もっとも、これは地球外生命体からの侵略に対抗する文脈で登場したことが多かったかな)
だんだん世の中を知るようになって、そう簡単にはいかないことがわかってきましたが、EUというのはその構想につながり、遠く未来を望むはずのものでした。しかしこの国民投票で、国情、国力、国民性の違いを乗り越え、利害の対立を抑えて共通の利益向上を求める理念が、もろくも頓挫し始める引き金となってしまいました。世界各地でナショナリズムが台頭しつつある動きが、いっそう加速していくでしょうか。
そもそもイギリスは島国で地理的にヨーロッパ大陸から一歩離れたところに位置し、心情的にも他の欧州諸国とは微妙に違うものがあるようです。通貨だってユーロ圏に加わらず頑固にポンドを使っていますしね。
EUを仕切りつつあるメルケルのドイツたちの言うことを聞くことが、大英帝国のプライドにさわって面白くないってことですな。お前ら戦争に負けたんだろ、と。
大きな争点は移民受け入れの問題がきっかけであったと言われます。既に大規模な受け入れをしているドイツなどを見、また日本にいる自分たちに置き換えてみれば受け入れたくないという気持ちはわかります。ただ、元をただせば20世紀初頭、イギリスが二枚舌外交で中東を手玉に取ったことに遠因があるのですから、傍から見ている私たちは今さら何を身勝手言ってんだ、とも思います。
世界に与えた凄まじいマイナスの影響はもちろん、自分達イギリスにとってもとてもプラスになりそうもない不合理な決定が、国民投票という手段でなされたことは恐ろしいことです。今後、トランプが大統領になることも十分ありうると思わなきゃ。EU離脱に一致して反対したスコットランドの独立も、あるかもしれませんね。ああ、いったいどうなってしまうのか。
夏至に食べるもの食べもの
20160621
きょう6月21日は夏至。そういえばだいぶ日も長くなりました。
仕入先の商社さんと話していて、話題になりました。冬至にはかぼちゃを食べたり柚子湯に入ったり、決まりごとがあります。夏至には何か、そういうものがあるのでしょうか。
彼が運転中聞いていたラジオで、そんなことを話していたそうです。「それで結論はどうだったの」と聞きましたら、そこまで気を付けて聞いていなかったのでわかりません、と。こんな話題を振っておいてそりゃないでしょ、と笑ったのですが。
夏至に食べるものなんて、確かにあまり聞いたことがありませんね。検索してみてもすぐには出てきません。夏至というのは農繁期、昔は田植えの時期だったそうですから(今はだいぶ田植えが早くなりました)大忙しの中で食べ物や供え物をどうのこうのという余裕がなかったのだとか。田植えが終わる目安とされる半夏生(はんげしょう、夏至から数えて11日目)には所によってタコを食べたり鯖を食べたり、お餅を食べたりするらしいです。
それでも調べていくと、ありました。京都では夏至の日に「水無月」というお菓子を食べるのだそうです。
水無月…私もこんな仕事をしていながら、恥ずかしながら知りませんでした。写真を見ると、ああ、これか。これなら見たことがある。食べたこともあったっけかな?ういろうの生地に小豆を載せて、三角形にカットしたもの。小豆は悪魔払いの意味があり、三角の形は暑気を払う氷を表しているといわれているのだとか。
見た目にも涼やかでおいしそうですね。
ついに落城日々雑記
20160616
ここまでくれば、もう仕方がないでしょう。というより、よくもまあ、ここまで粘ったというべきか。
ここ最近、毎日この御仁がトップニュース。東京都の頭のことなんて私には本来関係ないのですが、今日はどんなめった打ちを食らうのか持ちこたえるのか、興味津々で見ておりました。最近話題の「文春砲」が何度も炸裂し、もう出るわ出るわ、ひとつひとつは小ネタの部類なのでしょうが、これだけのボリュームともなれば、「この人はこういう人なんだ」と判断されてもやむを得ないですね。
3万件もの抗議電話が殺到し、都庁は(部署によっては)仕事にならなかったのだとか。クレーム受付の人、さぞ言いたかったでしょうね。舛添さんを選んだのは、私ではありません、投票したあなたたちでしょって。
すでに多くの人が言及していますので、私が今さら付け加えることなど大してないんですけど…
たびたび行われた記者会見を見てやっぱり驚いたのは、喋れば喋るほど人の気持ちを逆撫でする、尊大なお殿様ぶりでした。ご本人はこうやってメディアや都民を説得できると思ってたんでしょうが、俺様は頭がいい、理解できないあんたたちが悪いんだ、と顔に書いてありました。実際には説明(にもなってない)することによって、どんどん墓穴を掘っていったわけですなあ。
それにしても、完全に「死に体」になりながら、何が何でもリオへ行って五輪旗をうち振りたかった心情は、知りたいと思います。彼にとっては、それほどのことだったのでしょう。
東京はこれで、3人続けて任期を全うできない知事となりました。次の人はどうなるか。カネにきれい、なんてことは当たり前のこと。都政のためにどんな方策で力を尽くし、役に立ってくれるかが大事でしょう。ずいぶんな方々の名前が挙がっておりますよ…
32年ぶりに第九音楽ばなし
20160605
来週末のコンサートは、わが国では年末の風物詩となっている「第九」です。季節はずれと思う方もおられるでしょうが、別に年末の曲と決まっているわけではありませんよ。12月の第九公演ラッシュは、日本特有の現象だと聞いています。
ベートーヴェン畢生の大作である「交響曲第九番」は、アマチュアオケがそう簡単に演奏できる曲ではなく、巨大で奥が深く技術的にも難しく、それなりの覚悟がなくては取り上げられない存在だと思っています。伊那フィルは創立31年目になりますが、これまでに3回しかやっていません。
合唱の曲という印象がありますが、実際は演奏時間70分ほどの中で合唱(声楽)の出番は25分程度。苦悩に満ちた第1楽章、諧謔と風刺の第2楽章、天国的な美しさの第3楽章はすべて、オーケストラだけが音楽を作っています。
今回私はティンパニストとして出演します。ベートーヴェンの交響曲はどれもティンパニに独創的で大胆な曲想を与えていて、ティンパニストにとってすこぶるやりがいのある「バイブル」的な存在です。その中でも第九は特別で、何しろ難しいし、目立つし、極めて重要な役割を担っているのです。
私が過去第九を演奏したのは学生時代に2回あります(1回はシンバル、1回はティンパニ)。ティンパニをやったのは大学の創立記念演奏会でのことで、客席には当時の皇太子(今の天皇陛下)ご夫妻をお招きし、指揮は今は亡き巨匠、山田一雄先生でした。素晴らしい体験でしたが、自分自身の演奏表現としては満足いかなかった部分もありました。
それ以来第九の演奏会に偶々参加する機会がなく、今回が伊那フィル入団以来、初めての第九なのです。私にとっては実に32年ぶりです。若いころに比べれば手は早く動きませんが、音楽表現ということでは昔より成長したかな?
読者の皆様にもご来場いただければ幸いです。(写真は、先週リハーサルの時に本番の指揮者横山さんが都合で不在だったため、私が棒を振っているところ)
★手作りの「第九」演奏会★
6月12日(日)14:00開演 長野県伊那文化会館
シベリウス:カレリア組曲
ベートーヴェン:交響曲第九番ニ短調
指揮 横山 奏
独唱 村上和歌子、小平れい子、布施雅也、加藤史幸
伊那フィルハーモニー交響楽団、伊那市第九合唱団
関連リンク: 心に届く「第九」を 演奏会へリハーサル(長野日報)
フカヒレとスッポン食べもの
20160601
どちらも高級食材とされております。ちょっと前に(CM騒動など)いろいろと話題の日清食品から「カップヌードルリッチ」と銘打ってこの2種類が発売されています。お値段もちょっと高め。
このアイテムには30年ほど前のいささか苦い思い出があります。オーケストラで練習の食事休憩中、打楽器の仲間5人で近くのラーメン屋さんに行ったわけです。初めての店で、メニューには普通のラーメンの他に
・ふかひれらーめん 1000円
・すっぽんらーめん 1000円
と燦然と輝くアイテムが並んでいるではありませんか。当時はまだフカヒレもスッポンも食べたことなかった私、これは食べるしかないでしょう!
すっぽんラーメンを期待とともにオーダーし(仲間は普通のやつを注文したと思う)ようやく届いたドンブリを店員さんの持つお盆から受け取ろうと…
あちちっ!
受け損ねた私の手を離れ、見事にドンブリはひっくり返り、すっぽんらーめん1000円は卓上で決壊の大惨事!このとき隣にいた後輩O君がテーブルから光速の機敏さで飛び退いた様子が、今でも目に浮かびます。人にかかっていれば、服の被害だけでなく火傷していたかも。
「……しょうがない、もう一杯作って」
作り直してもらったすっぽんらーめん、あまりのショックで味をよく覚えていません。会計時は2杯分払うつもりでいましたが、1杯分しか請求されませんでした。助かりましたが、後々まで仲間たちに冷やかされました。考えてみれば、持てないほど熱いドンブリを慣れない客に手渡そうとしたお店にも、責任はありますよね。
そんな思い出のアイテム。早速購入して食べてみますと…
スッポンは和風テイストの味。すっぽんスープの濃厚さはあまり感じられず、ちょっと拍子抜け。フカヒレはおいしかった。とろみのあるスープが麺によくからみ、中華料理で食べる味と比べて違和感はありませんでした。(お値段を考えれば)
だいたい「フカヒレそのものの味」がそんなに特徴のあるわけでなく、私たちが味わうのはそれと一緒に口に入る「スープの味」でしょうからね。即席麺メーカーさんにはお手の物でしょう。カップ麺は商品サイクルが早いですが、もう一度くらい食べてもいいかな。
大統領広島へ日々雑記
20160530
あの日から71年。オバマ大統領は、現職大統領として初めて被爆地広島を訪問し、原爆資料館を見学し、献花し、17分間にわたって思いを語りました。
オバマ氏は大統領就任時から核軍縮に大きな意欲を見せました。世界に与えたそのインパクトは強く、ノーベル平和賞を受賞もしています。しかし現実社会は彼の望んだ形には向かず、言葉は悪いですが空手形を発行したような状況になっていました。任期が終わりつつある今、ようやく広島を訪れることができたわけです。
原爆投下は、非戦闘員を無差別に大量虐殺した、当時の戦時国際法にも違反する明らかな暴挙です。にもかかわらず米国民の多くは、原爆投下を正当なものだったと考えています。終戦を早め、本土決戦によってさらに多くの犠牲者が出ることを防いだというもの。私たちから見ればまったく身勝手な理屈です。彼らがそのように考えている大きな原因は、核兵器の恐ろしさ、悲惨さを知らないこと、知ろうとしないことだろうと思います。
修学旅行などさまざまな機会に広島や長崎の原爆資料館を見学した方は、本欄の読者にも多いでしょう。私もこれまで広島に2回行き、その都度訪れています。被爆者の焼け焦げた衣類や数々の遺品、建物に焼きついた人の影を見て、心を揺さぶられない人はいないはずです。
ここには既に多くの著名人が訪れています。ジミー・カーター元アメリカ大統領、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世、マザー・テレサ、また世界各国の大統領や首相たちも。そのリストに、原爆を投下したアメリカの現職大統領が名を連ねた意義は小さくありません。すべては「知ること」から始まります。彼がわずか10分間とはいえ、自分の目で見たことが大事なのです。
今回オバマ氏が謝罪をするのか、あるいは彼に謝罪を求めるのかが注目されました。今のアメリカの状況で、謝罪のスピーチなどあるはずがありません。今さら謝罪してもらったところで取り返しのつくことでもない。広島の人たちをはじめ、多くの日本人は彼に謝罪を求めませんでした。それよりも核のない世界への願いを共有し、共に歩いて行こうと、お互いが手を取り合いました。このことに私は感動し、誇りに思います。
微笑みながらオバマ氏と握手をした坪井直さん、そして言葉が出ずに彼と抱き合った森重昭さん。お二人の姿を見て心打たれた人が世界中に大勢生まれたことでしょう。
多くの人が力を尽くしたことで、戦後71年にしてようやくこの日が訪れました。この思いがいつかきっと、世界を動かしてくれることを信じたい。オバマ氏のスピーチを読みながら、そう思いました。
高崎パスタ食べもの
20160525
お隣の県ではありますが、長野県南部の住人の多くにとって群馬県は馴染みのある地域ではありません。メーカーさんの会議で、初めて高崎市というところを訪れました。滞在時間約5時間弱。(泊まったのは長野市)
日頃なかなか縁のない場所に行くのですから、お昼には何か土地のものを食べてみたいと思うのは(私にとっては)当然のこと。事前調査してみると、真っ先に出てくるのは「パスタ」。 へ? パスタですか!?
近年パスタの街として注目を集める高崎には約60軒のパスタ屋さんがあるそうです。その特徴は何といっても「大盛り」。普通盛りでも乾麺150㌘は当たり前。Lサイズなど注文すれば茹で上がりで600㌘の大皿が出てくるのだとか。パスタの種類はいろいろですが、何しろ量が多いことで共通しているのです。
高崎パスタ発祥と言われる「シャンゴ」というお店(1969年創業)が大盛りでその名を挙げて以来、高崎の人には「パスタとは大盛りの食べ物」だという常識が植えつけられてしまったと言われているそうです。(dancyu2012.10号より)
その「シャンゴ」はあいにく定休日。それではと、シャンゴでの修業を経て創業38年を数える「デルムンド」というお店に行ってみました。高崎駅近くのお店はカウンターのみ十数席の小さなお店で、年配のご夫婦が切り盛りしています。スパゲッティ専門店ではなく洋食メニューもいろいろあります。
入店したのは午後2時とお昼のピーク時をはずしたのですが、ほぼ満席。名物だという「ハンブルジョア」というメニューを頼んで待つことしばし、カウンターに届いたものは、大皿に一杯のスパゲティに巨大な(200㌘だとか)ハンバーグが乗り、その上からあふれんばかりにミートソースのかかった代物です。普通の2人前以上はありますね。(写真がありませんが、検索すればいくらでも出てくるのでご容赦を)
ハンバーグはジューシー、ミートソースも肉感たっぷりでおいしかったですが、味はすごく洗練されたり特徴があるわけではない。何より量に圧倒されてしまいました。もちろん大人の男が食べきれないほどではありませんけど…
店には女性のお客さんも大勢いましたが、皆さん当たり前みたいに食べてました。こうしたものが高崎市民の日常食として長らく愛され、独特のパスタ文化を作り上げていること、たいへん興味深いと思いました。
関連リンク: 食べログ デルムンド
新司会者日々雑記
20160522
“国民的関心事”だとまで言われた「笑点」の新司会者。大ベテラン、桂歌丸の後を継いで6代目司会者に選ばれたのは、意外な人でした。
何人かの人が候補者として取りざたされ、西田敏行だのタモリだのTOKIO城島茂だの、また笑点メンバーでは円楽やザブトン運び山田隆夫の名前まで挙がりましたが、春風亭昇太の名前は出てきませんでしたなあ。私も意外でした。
この人、若いと思っていましたが、56歳になるのですね。最近知りました。私より年上だったのか…。
以前から何となく多才な人のようにお見受けしていましたが、wikipediaを見ると想像をかなり超えて、マルチな人みたいです。
・東海大学文学部に入学し、ラテンアメリカ研究会に入ろうとして部室を訪ねたが、たまたま留守で、隣の部室だった落語研究部の先輩に「ここで待ってれば?」と声を掛けられて部室に招き入れられ、稽古等を見ていて「楽しそうなので」入部
・アジの干物まで作るほどの料理好き。
・持っている着用メガネは50本以上。
・自宅には、ダイヤル式テレビや蓄音機などレトログッズだらけの部屋がある。
・愛車はトヨタ・パブリカ。他にもダットサン・日産・ブルーバード312やホンダ・カブC100も所有。これらの所有車両からしてかなりの旧車好きと見える。本人曰く「一番の夢は平屋の家を建てて庭に置いたパブリカやダットサンを眺めつつ縁側でお茶を飲むこと」
・趣味は中世城郭めぐり。城関連の書籍を出したり、TV番組出演や講演活動も行っている。
・ミドリフグやハムスター、モモンガを飼育している。
・プロレス好きとしても知られ、ルチャリブレ観戦に(筆者:ルチャリブレって何ですか)わざわざメキシコまで行き、覆面をまとめ買いしたこともある。
などなど。落語ファンではない私は、昇太が噺を語る場面を見たことはありませんが、新作落語を得意としているようです。頭のいい人なんだと思います。
笑点は、ときどき見るくらい(伊那フィルの練習と時間が重なるので)。年上のメンバーたちから散々いじられそうですが、持ち前の爽やかなイメージで、番組に新しい風を吹かせてほしいものです。
美術品より美術館日々雑記
20160519
東京上野の国立西洋美術館が、世界遺産への登録内定となったとのこと。。
実はつい最近ここへ「カラヴァッジョ展」を観に行ったばかりです。同じ上野ではいま東京都美術館で、若冲の展覧会にものすごい数の人々が押し寄せ、入場もままならぬようですが、カラヴァッジョ、素晴らしかったですよ(6月12日まで)。館の内外に世界遺産申請関係のポスターが当然あった…のだと思いますが、あまり記憶にないですな。
この美術館が世界遺産を目指していることはニュースなどで聞いてはいましたが、よく意味が解っていませんでした。美術館が我が国での芸術文化の核となって人々の芸術理解に貢献した、とかいう歴史的意義なのかと何となく思っていました。スイス生まれの建築家ル・コルビュジエ設計による美術館の「箱物」自体が、貴重な建築作品だということです。
そもそも美術館って、だいたいスタイリッシュな感じに出来ていますよね?置かれている美術品こそが主役であることは当たり前ですが、それを観るための空間にもそれべしの配慮がなされていればこそ、ゆっくり落ち着いて画を眺めることもできるというものでしょう。
国立西洋美術館はロダンをはじめとする彫塑作品が多くて、私にはいささか取っ付きにくい分野なものですから、常設展など学生時代に行ったっけ?みたいな感じです。もちろん建築そのものを気に留めて歩いたことなどありません。
今回は世界に散らばるコルビュジエの「建築群」としての世界遺産で、堂々たる大建築よりも比較的こぢんまりした建物が多いようですね。日本にはここ一箇所だけなのだと。コルビュジエだって素晴らしい作品もあれば、「並」の建物だってあるでしょう。その中で選ばれたのですから、彼らしい特徴を持つ素晴らしい建築物とお墨付きをもらったということか。
わざわざ「建物を」見に行く価値があるのかどうかわかりませんが、何かいい展覧会があって訪れる際には、そのへんも気を付けて見なくてはいけませんね。