南極の料理人日々雑記
20240422
長野県食品問屋連盟の定時総会がこのほど行われ、恒例の記念講演では、料理人として南極越冬隊に二度参加した篠原洋一さんのお話をお聞きしました。。
半年間、30人分の食事を補給なしで作り続ける。大変なことだとは想像できます。長期にわたる極寒の閉鎖空間でのこと。健康維持のためにもメンタルのためにも、食事の大切さは私たちが考える以上のものがあるでしょう。
予算総額2400万円分の食材を用意したそうです。ほとんどは日本から持っていき、生鮮品は豪州で調達する。なるべく日本にいるときと同じようなメニューを心掛けている。普段出す食事は質素なものだが、イベント(夏至祭などの祝日や、毎月の誕生会など)のときには「これでもか!」というほど豪勢な料理を出す。カニ尽くしとか、フグ尽くしとか、A5の和牛お腹一杯とか。一生の思い出になるくらいの、と言ってました。メリハリ大事ですね。
料理人は二人。篠原氏は和食の、相棒は洋食の人で、お互いに補完しながら日々の食事を作っていきます。年間の献立表を事前にキッチリ決めておくことはしません。隊員たちのリクエストに臨機応変に応えられることも大事で、そのために豊富な食材を(制限のある中で)用意し、ないものは知恵を絞って代用品を使いながら何とかするとのこと。
南極越冬隊といえば、初代の越冬隊長、西堀栄三郎氏の著書「石橋を叩けば渡れない」を子供の頃読んだのを思い出しました。モノがない環境で、さまざまな創意工夫を凝らして問題を解決していく様子にわくわくしました。
貴重な石油をポリタンクで運ぶ。重いし、足が滑ってこぼすこともある。パイプで持ってくることはできないか。でもパイプは余分に持ってきていない。どうしよう。
1本の鉄管に包帯を巻きつけ、海水をかける。あっという間に凍り付く。何層か巻いていけば十分な厚みになる。鉄管に熱湯を通して抜けば、固い固いパイプの出来上がり。何本も作って接続面に「つば」を塗り付ければすぐ凍って接着し、いくらでも長いパイプラインになる。南極の気温は絶対に零度以上にならないから氷は解けない。…つばを接着剤にするのは、いま考えれば文字通り、眉唾な気もしますが。
話を料理人に戻すと、越冬隊の最も重要な任務は「チーム全員が無事に帰る」ことだそうです。大勢の隊員たちを無事に返してきた篠原さん、飾らず威張らず楽しい話をしていただいて、お人柄も素敵だと思いました。
開山式2024しごと
20240419
恒例の中央アルプスの山開き。商工会議所の立場で毎年参加させていただいています。今日はまた好天に恵まれ、絶好の日和となりました。
山肌はまだ残雪に覆われ、雪に反射した日光でまぶしいこと。ロープウェイの終点、千畳敷の気温は6.5℃で、日差しは暖かかったものの風が吹くとちと寒い、というくらいでした。
開山式の神事、アルプホルンの演奏など、観光シーズンの良いスタートが切れたと思います。春の風物詩的なイベントなので県内のTV局、新聞、皆さん取材に来ていました。今夜のローカルニュースが楽しみ。
ところで伊那市の宮島酒店さん(信濃錦)では、1月に瓶詰めされた新酒を千畳敷の雪の中に埋めて保存し、春になったところで掘り出すということをここ何年か行っています。ちょうどこの日が掘り出す日でした。振動がなく程よい温度で保存熟成させたお酒は、ひと味違うといいます。
観光客に振る舞い酒もあるというのでとても期待したのですが、時間の都合でお酒が地上に出てくる前に山を下りなくてはならず、残念無念なり。
里に下りてきて直会となりました。先月は遭難事故が何度かあり、亡くなった人も出ています。この一年の登山客の無事を祈るとともに、多くの人が山の楽しさを満喫してお帰りいただくことを願います。そして、地元の経済がしっかり潤うことも!
黄金の茶碗日々雑記
20240412
事件の起こる前。はじめはこんな企画、誰が観に行くんだろうと思い、次には不用心じゃないのかという考えもわずかに脳裏をかすめました。私の漠然とした不安が的中してしまいました。
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(産経新聞)11日午後0時15分ごろ、東京都中央区日本橋の日本橋高島屋で「商品が盗まれた」と女性従業員から110番通報があった。警視庁中央署員が駆け付けたところ、8階催事場で開催中の販売会「大黄金展」に出品されていた純金製の茶碗(販売価格1千万円)が盗まれているのが見つかった。現場から男が逃走しており、中央署は窃盗事件として行方を追っている。
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記事の続きには、男が茶碗をリュックに入れて持ち去る様子が防犯カメラに写っているとありました。「ケースには鍵やアラームはなく、会場も閑散とした状態で警備員は気が付かなかった」んですって。
ウチの近所のスーパーだって、ちょっと高いワイン(数千円クラスから)はガラスケースに収納され施錠してありますもの。高価な貴金属を展示するイベントにしてはありえない杜撰さだったのでは。警備員氏もさぞかし叱責されているとは思いますが、会場全体の緊張感の無さが泥棒を呼び込んだのでしょうねえ。まさしく持ってけドロボー状態だったんではないの。
リンク先記事によれば、接客する販売員がお客に手に取って見てもらうために、あえて施錠していないんだそうです。展示会というよりは「即売」ですからね、最初からお得意様を疑いの目で見るわけにもいかないのでしょうけれど…
来週15日までイベントは続くようで、高島屋のホームページには今も大黄金展の広告が載っております。出展品には保険など掛けてあるのでしょうが、まさか話題作りのための仕掛けなんてこと、ありませんよね。(老舗百貨店がそんなことやらん)
関連リンク: セキュリティどうした?(女性自身)
芋焼酎体験(1) 飲みもの、お酒
20240409
私は焼酎というお酒にこれまで馴染むことがなく、すっと敬して遠ざけてきました。飲むことが嫌いなわけではないのですよ。
理由を言えば「味がよくわからない」ということにつきます。わからないとはいっても、展示会の焼酎試飲コーナーで、プラカップに入った透明な液体を舐めて芋か、麦か、米か、黒糖か、泡盛かを当てるゲーム。これまで何度も全問正解して賞品をいただきました。(じつは米焼酎と麦焼酎の違いが正直よくわからないので、偶然のおかげ)
芋焼酎であることはわかっても、自分はそれが美味しいのかフツーなのか、これがわからないんですよね…。味覚の違いを判別するのと、ブレない尺度で美味しく味わう「良い趣味」を持っているかは、全然違います。魔王や森伊蔵を口にしたことはあっても、それが普段使いの芋焼酎よりすばらしい味なのかどうか、価値がわからない。
鹿児島へ行くにあたって芋焼酎をとことん飲んでみようと思いました。わずか二泊三日ではありますが、とりあえずのビール以外はすべて芋焼酎を試みて過ごしました。指宿の旅館では利き酒セットもあり、村尾や森伊蔵など有名銘柄をチビチビと味わって飲んでみましたし、天文館の小料理屋「清吉」では(大変美味しく居心地も良かった)おススメだという「南之方」をはじめ聞いたことのないお酒を何種類か味わってみました。
そして最終日にはお土産に買おうと、隼人の焼酎専門店「樋高酒店」に立ち寄ってみました。お店で何本か推薦してもらおうと思ったら店番のお婆さんがひとりで宅配発送の作業をしているだけ。しまった、店主はお留守かと思ったらとんでもない、お婆さんが語る語る。
店にはそんなに凄い種類があるわけではないのですが、聞くと「ウチのお酒は限定酒ばっかりなのよ。森伊蔵も置いては有るけどね、蔵出しの正規価格なの」。名高い希少品、高価でも買う人はいるけれど、そんなプレミアムのついた値段で商売はしませんよ、といいます。初めて聞く名前の限定酒を4本選んでもらい送ってもらいました。
あくまき食べもの
20240401
しばらく鹿児島の話題から離れておりましたが、紹介したい現地の食文化がまだまだありますので、もう少しお付き合いを。。
訪問前に地域食をリサーチしていく中で、興味を引いたのが「あくまき」なる食べ物。郷土料理を紹介する農水省のホームページには、こうあります。
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「あくまき」は、主に端午の節句で食べられる鹿児島県独特の餅菓子で、“ちまき”と呼ぶこともある。関ヶ原の戦いの際、薩摩の島津義弘が日持ちのする食糧として持参したのがはじまりだという説がある。保存性が高いことと、その腹持ちの良さから、薩摩にとって長く戦陣食として活用され、かの西郷隆盛も西南戦争で食べていたといわれる。こうした背景から、男子が強くたくましく育つようにという願いを込めて、端午の節句に食べられるようになったといわれている。
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指宿近くの池田湖(九州最大の湖で深さ233㍍もある)に寄ったとき、湖畔の売店に「あくまき」というのぼり旗を見つけました。タコ焼きやソフトクリームを売るような店構えで一度はスルーしたのですが、それでもここで遭遇したのも何かの縁、と思い戻ってみましたら…
店は無人。こりゃ駄目だと帰りかけると、奥からお婆ちゃんが出てきて呼び止めるではありませんか。ちょうど自家製のあくまきを作っているところだといいます。作業場を見せてもらいました。ラッキー!
作り方は、もち米を一晩灰汁につけ、ざるにあげ竹の皮につめ、袋状に包む。それを水で薄めた灰汁で3時間以上煮こみ、米粒が艶のあるべっこう色へと変色したら鍋から取り出す。(上記HPより)ということで、このお婆ちゃんが作ったものを近所の道の駅などに卸しているそうです。味がついてないので、砂糖や黄な粉をつけて食べるんですって。
2本購入して持ち帰りました。開封してみると、ちょっと似たものを思いつかないくらいの強烈な粘りです。硫黄のような独特のにおいがほんのりとしますが、これが灰汁のにおいでしょうね。
言われた通り本体に味はなく、砂糖や黒蜜をかけて食べてみました。砂糖の方がそもそもの味がわかりやすいです。(灰汁の匂いは結構クセがあり、黒蜜の方が食べやすいけれど、蜜の味しかしなくなっちゃう)
誰もが「美味しい」というものではないかもしれませんが、島津公の時代から伝わる伝統食を体験できたのは愉快でした。一度は体験してみるのもいいでしょう。お婆ちゃん、どうぞお元気で。
関連リンク: うちの郷土料理「あくまき」~農水省HPより
紅麹、騒然しごと
20240330
小林製薬の紅麹サプリメントで多くの人が健康被害を発症し、亡くなった方も出たとのこと。まだ明らかでないことが多く断定できないのですが、健康のために飲んでいたサプリのせいで健康を損なったというなら、何と皮肉なことでしょうか。
困ったことには、どのような毒素がいかなる原因で生成されたかがまだわからない。何をどう対処したらいいか、雲をつかむようなことになってしまいます。特定のロットで問題がでているようなので、同社の紅麹すべてが危険というわけでもないと思われるのですが、そうはいってもとにかく回収して原因を調べないことには前へ進めません。
さらに困ったことには、これがサプリとしてのみならず他の製品の原料として広く使われていたということ。2002年、ある香料の原料に食品衛生法で認可されていない添加物が含まれていたとして、それを使っていた数百社の食品が回収される大きな事件が起こりました。私たちの記憶に新しく、今回の事件があの再来になりはしないかと震える思いで注目しています。
この騒ぎで「紅麹」と名の付くものすべてに人々が不安感を持ってしまうのではと残念に思います。紅麹は天然の赤い色素として長年にわたって広く使われていて、たとえば沖縄の伝統食「豆腐餻(とうふよう)」の重要な原料にもなっています。思い出したら食べたくなってきましたが、この辺では入手しにくいですね。
特定メーカーが製造した、特定ロットのものが被害をもたらした(と思われる)のであって、紅麹はきちんと注意を払って使えばそんな危険なものではなかったはず。ましてや「ベニコウジ色素」は食品衛生法で許可されている天然の食品添加物として広く使われていて、私たちの周囲にもそれを使った食品はたくさんあります。
これらのものに別段の害がないことは、この事件を報道するメディアはきちんとコメントするべきです。サプリとして毎日飲用するものと、色素として微量(ほんとに微量です)を使ったものとのいわゆる「量の概念」も、冷静に考える必要があるでしょう。
発覚から報告までに時間がかかり被害を広げたなど、小林製薬の責任は大きいものです。原因究明も大急ぎでやってもらわねばなりません。健康被害者はもとより、善意でこの原料を使っていた二次製品のメーカーや取り扱った業者(幸いなことに3/30現在、当社扱い品では関係する製品の報告はありません)の被害が少なくて済むように願います。
まちなか保育園日々雑記
20240325
駒ヶ根市中心市街地に保育園ができる。昨日完成イベントにお招きいただいて、行ってまいりました。
その名は「J'sほいくえん駒ヶ根」。駒ヶ根に本部を置くJOCA(青年海外協力隊OB組織)が開設しました。0歳~2歳の未満児に特化した小規模(定員18名)の保育園です。
街の中の保育園のコンセプトは、商店街の人たちと一緒に子どもたちを育てること。建物の中だけでなく商店街を遊び場として、地域一体の人の輪をつくるねらいです。
建物や設備もさまざまな工夫をこらされた現代風のもので(最近の保育園、というものを見る機会がほとんどないのでよくわかりませんが)中にはネットが張り巡らされ遊び心たっぷり。
いいですね、私もこんなとこへ通いたかったです。保育園時代の私は本好きで、他の子が外で遊んでいるのに本ばかり読んでいたらしいですが、ここには図書ルームはないみたい(入るのは未満児さんですから、本にはちょっと早いか)。
まちに子どもが集まるのはとても良いこと。子育てと商店街活性化という二兎を、ぜひ追っていくことを願いたいものです。
北陸は遠し日々雑記
20240318
土曜日。TVはどこを回しても、北陸新幹線の敦賀延伸(この言葉、誰かの人名に見えてしょうがない)の話題で大盛り上がりでした。地元紙の福井新聞は、始発列車が一駅停まって発車するごとに号外を発行する大はしゃぎぶりで、まるで実況だと言われました。いいじゃないの、微笑ましく愉快です。
残念ながら南信に住む私たちにとって、今回開通のメリットはほぼありません。駒ヶ根から福井へ行く時間距離の最短は、全区間クルマを使い米原回りで3時間45分ほど。約300㌔の行程です。
長野までクルマ、そこから新幹線を利用すると、駒ヶ根から長野まで2時間弱、長野から新幹線で福井まで2時間強で合わせて4時間かかります。全線JRだと5時間(いずれもGoogleによる)。
北陸の主要都市では、新幹線開通前は金沢が最も遠かった。上越回りでも米原回りでも、いずれも「真裏」に当たる位置関係でした。
長野、新潟、富山、石川、福井の5県を「北信越」とひとくくりにすることがありますが、正直に申し上げて日本海側の4県と一緒の仲間というのは、距離も遠く共通点が少なすぎます。長野市の人ならともかく、南信の私たちにはまったくピンとこない。福井や石川へ行くまでに「東海」「近畿」の2つのエリアを通過するのですから。
福井へ初めて行ったのはわずか7年前のこと。それ以前は通過点として足を踏み入れたことはあっても、旅行や会議の目的地として訪れる機会はなかなかありませんでした。これからはどうか?カニを食べに行くのは駒ヶ根の姉妹都市、石川のかほく市だし、東尋坊も永平寺も見ちゃったからなあ。また勉強してみましょう。
ゴジラ、オスカー受賞日々雑記
20240314
先日発表されたアカデミー賞。「ゴジラ-1.0」が視覚効果賞を受賞、おめでとうございます。「君たちはどう生きるか」はどういうアニメなのか未だによくわからんので、本欄ではパス。
公開時に東京の映画館で観ております。ゴジラの恐怖を人情噺にしてみせるとは、こういうやり方もあったのだなと発見でした。政府の対応や各界のアウトローたちの活躍をひたすらドライに描いた「シン・ゴジラ」とはまことに対照的で、それぞれの面白さがありました。
「-1.0」に登場する重巡洋艦「高雄」はかつてプラモで親しんだ軍艦ですし、戦闘機「震電」はその極めてユニークなルックス(プロペラが機体の後部についている)が強く印象に残っており、飛ぶところを見せてくれたのは大変嬉しかった。震電は完成が終戦直前だったため、実際は試験飛行をしただけに終わっています。
ロケに使われ評判になった岡谷の旧市庁舎は、レイクウォークやカノラホールのすぐ近くにあるのでしょっちゅう前を通ります。同じく昨年のヒット映画「怪物」も諏訪でのロケで話題になりました。こういうのは地元は嬉しいですよね。
駒ヶ根市街で撮影された映画はそうないだろうと思いますが、私が大学生になって間もない頃に公開された映画「日本フィル物語-炎の第5楽章」は駒ヶ根が舞台でした(だからこそ観に行った)。ロケが駒ヶ根で行われたシーンは実は少なかったものの、主人公たちを乗せた車が我が家の前を通る場面が一瞬あって、映画館で人知れず狂喜しました。
視覚効果賞というのはあまり注目したことがありませんが、ハリウッドの巨大資本でつくられた映画がもっぱら受賞しており、スターウォーズ、E.T.、ジュラシックパーク、タイタニック、アバターなど、いかにもカネをかけたものばかり。「-1.0」はそれらに比べてはるかに低予算で、創意工夫でこれだけのものを作った、と驚きをもって迎えられました。欣快至極なり。
終戦間もない銀座の街を破壊する描写や大波の描き方が凄いと評判になりました。いまTVなどで映像を見ると確かにリアルで、出来栄えは素晴らしいと思えます。映画を観たときは、そこまで気が付かなかった。ということはやはり自然で良くできていたということでしょうか。一般人の私たちは、そういうとこだけ取り出して観るわけじゃないですからね。
ハリウッドも最近はポリコレ旋風が吹き荒れ、何だかおかしなことになりつつあると聞きますが、そんな中でも部門賞とはいえ日本映画が2本も受賞したというのは、嬉しいものです。
指宿のそら豆食べもの
20240308
鹿児島県は全国一のそら豆生産量を誇ります。当地でも店頭に並ぶものは鹿児島産が多いですね、早いものは12月から出荷が始まり、何か月にもわたって収穫が続きます。中でも指宿市はそら豆の名所として有名です。そら豆は大好物で以前本欄でも取り上げました(2014.5)。
行ったその日に早速、お土産に送ろうと思ってJA指宿の直売所で箱入りを買い求めました。夕方だったので、もうあまり残っていませんでしたが…大粒のやつ、2㌔で税込み二千円でした。さすが産地、安い。
次の日、開聞岳ふもとの池田湖に車を走らせている途中で、そら豆の畑を何か所も見かけました。ちょっと車を停めてパチリ。
ご覧の通り、莢がどれも上を向いて生っています。空豆、天豆の名前は、空を向いて実が生ることが由来だと言われる通り。元気いいですね!(蚕豆とも書きますが、実の形が蚕の繭に似ているため)
帰って段ボールを開けると、みずみずしい緑色がびっしりずっしり。早速茹でてそのまま食べます。ホクホクした春の香りが幸せを誘います。莢ごとこんがり焼くのが最近は流行りですが、我が家のレンジではあまりうまく焼けなかったため、結局全部茹でて食べてしまいました。本当は天ぷらにしたり、空豆炒めなども試したかったのですが…
好物をムシャムシャたくさん食べられてちょっぴり幸せでした(10年前も同じようなことを書いています)。そら豆の時期はまだまだ続きます。