「おいしいことなど徒然と」

社長ブログ

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権兵衛トンネル、橋崩落しごと

20191031

10月は本当にいろいろなことがあった月でした。1日には消費税率が上がり軽減税率が導入され、当社も請求処理などのシステムを変更しました。22日には天皇陛下の「即位礼正殿の儀」が行われ、名実ともに新天皇のお披露目の日となりました。ラグビーワールドカップでは我が日本チームが大活躍し、伝統国に交じってベスト8に進出する快挙でした。


駒ヶ根市では駅前広場の工事が完成し竣工式が行われ、駒ヶ根の財産である海外協力隊訓練所は開所40周年のお祝いを行い、商工会議所では3年に一度の役員改選があり私は引き続き副会頭を務めることとなりました。当社は今年も盛大にグランドフェアを開催し、その間を縫ってメーカーさん商社さんの特約店会議で仙台や東京に3回出張するなど、まことに目まぐるしい一ヶ月でした。


そして立て続けに各地を襲った台風や豪雨災害。特に同じ信州で起こった千曲川の決壊は、予想もしない大規模な被害をもたらしました。それでも長野県南部では、人や建物の被害はほとんどないと思っていたらどっこい、いつの間にか大きな被害が起きていました。伊那と木曽をつなぐ国道361号、権兵衛トンネルに接続する橋が崩落したのです。

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(信濃毎日)上伊那郡南箕輪村の国道361号権兵衛トンネル入り口付近で見つかった土砂崩落の影響で、幅10.5mの国道の本線が長さ5~6mにわたって落下していることが23日、分かった。(中略)橋台付近の土砂が雨や地下水で大きくえぐられ、道路の下に地面がない状態になっていた。一帯は現在、通行止め。県伊那建設事務所は、少なくとも年内の復旧は難しいとの見方を示している。
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これは困りました。2006年に供用開始された権兵衛トンネルによって伊那谷と木曽谷を結ぶ交通が開け、今では通勤や物流、観光などに欠かせない道となっています。当社もおかげで木曽のお客様と新しくお取引いただくようになり、多くの商品をこのルートで運んでいるのです。


迂回路は塩尻回りということになりますが、これまでより2時間近く時間がかかるということで、担当者はたいへん苦労しています。今は紅葉シーズン、そして冬からはスキー場も始まりますが、お客様にはご迷惑をおかけしてしまうと思われます。自然災害とはいえ申し訳ないことです。


上の記事には「少なくとも年内」とありますが、いやいや半年一年くらいかかってしまうのではと危惧しています。通勤の不便、沿道のお店の商売、影響は大きいです。これから冬を迎え工事にも不便があるとは思いますが、何とか一日も早い復旧を!

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辛くておいしい食べもの

20191028



香辛料メーカー、テーオー食品さんのラインナップです。先日のグランドフェアでも好評でしたので、ご紹介を。左から、しょうが極みだれ、にんにく極みだれ、花椒辣醤。


左の二つは今秋の新製品。それぞれザクザクに刻んだ食感のしょうがとにんにくがたっぷり入り、焼き肉にからめればたちまち生姜焼きやスタミナ焼きになる。同種の「たれ」は各社から出ていますが、これはなかなかのすぐれものですよ。


サンプルを頂戴して家に持って帰り、妻に食べさせたところ「おいしい!おいしい!」と、とりわけにんにく極みだれがお気に召した様子です。私も一緒になって「唐揚げ」につけてむしゃむしゃ食べましたが、寝床に入ってからもにんにく臭くて参りました。食べ過ぎ、使いすぎにはどうかご用心を。


さて本命は「花椒辣醤」です。今はやりの花椒をたっぷり使ったマーラー味のたれ。パッケージには「よだれ鶏ソース」とあります。棒々鶏のソース、もしくは激辛麻婆豆腐の基になる味、ですね。


これが美味しいのですよ。香り高い中国山椒に程よい唐辛子の辛味が相まって、何につけてもおいしいです。少しだけというのがポイントで、多すぎると何につけても同じ味になってしまうのが難点。


ラー油代わりに餃子につけてみたり、うどんやラーメンにちょいと落としたり、もちろん焼肉や唐揚げにも最高。今日はポテトサラダに少し塗って食べてみましたが、マヨネーズ味にも絶好の相性です。


ぜひ冷蔵庫に1本。お試しください。

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街中にサイボーグ (2)日々雑記

20191024

石巻市街のサイボーグ紹介、続き。。

001 イワン・ウイスキー(ロシア人)赤ん坊にしてエスパー。一か月の半分は眠っている。多くのエピソードでは最後に彼が超能力を発揮して物語は解決する。

005 ジェロニモ(アメリカインディアン)怪力無双かつ寡黙な心優しき人物。

006 張々湖(中国人)口から超高温の炎を吐く料理の達人。007と共に作品のコミカル描写を担う。

007 グレート・ブリテン(英国人)細胞を変化させてさまざまな姿に自在に変身できる。皮肉屋。


この9人に、彼らを作った科学者ギルモア博士を加えた10人が、素晴らしいチームワークで悪と戦うのです。


1964年の連載開始ですから、登場人物にも時代を感じますね。たとえば006なんて昔の変てこな中国人のイメージそのままですが、現在は中国人をこういうキャラクターで描くことは考えづらいです。


世界各国から集まった9人の出身国を見ると、ヨーロッパ4、北米2、アジア2、アフリカ1(008なんて「アフリカ人」としか設定されていない。アフリカったって広うござんすよ)。今だったらヒスパニックや中東圏が入ってきそうです。またポリコレ的に見れば、サイボーグ「戦士」とはいえ、女性が一人というのも少ないと言われるかもしれません。


鳥取県境港市はゲゲゲの鬼太郎タウンとして観光的に大成功しています。石巻がそのレベルで成果を上げているのかは詳しくないですが、サイボーグや仮面ライダーが災害復興の手助けにきっと活躍していることと思います。

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街中にサイボーグ (1)日々雑記

20191022

石巻へ行って、つらい遺構だけ見てきたわけではありません。石巻は漫画家石ノ森章太郎のゆかりの地です。彼は宮城県登米郡石森町の出身ですが(ペンネームの由来)石巻との関係は彼の少年時代にあります。


当時石巻にあった映画館に、石ノ森少年は自転車で3時間かけて頻繁に通っていて、そこで将来の漫画家の素養となるエッセンスを身につけた。のちに石巻の人々がマンガによる街おこしを発案し、石ノ森氏に話を持ちかけたところ漫画家は快く承諾し、2001年に「石ノ森萬画館」が開館し今に至っているのです。


彼の代表作「サイボーグ009」の素晴らしさは、17年12月に2回にわたって本欄で取り上げています。作者の死で未完に終わった「天使編」を遺されたスケッチや構想メモを基に完成させた「完結編」は、まずノベライズで、その後コミック化され、いずれも読みました。読後感は、失望としか言うことはありません。


石ノ森作品のミュージアム、石ノ森萬画館は作者が通った映画館のある中瀬という場所にあります。文字通り旧北上川の河口に近い中洲にあり、東日本大震災のときには津波に洗われ大きな被害を受けましたが、全国からの励ましを受けて1年8か月後に再オープンすることができたとのこと。今回は萬画館のすぐ近くまで行ったのですが、残念ながら時間がなく見学はパスしてしまいました。


市街地にはサイボーグや仮面ライダーなど石ノ森作品の主人公たちの像があちこちに置かれ、街を代表するモニュメントになっています。せっかくですからね、せめて大好きなサイボーグ009たちはコンプリートしようと街歩きをしてみました。


幸いに、わりと狭い範囲で9人のサイボーグ全員と遭遇できました。せっかくですのでご紹介します。


002 ジェット(アメリカ人)マッハの速度で空を飛び、宇宙空間に行くこともできる

003 フランソワーズ(フランス人)人間の数千倍の聴力と視力を持ち、透視能力もある 主人公009の彼女

009 島村ジョー(日本人)加速装置を持ち常人の目に見えないほどのスピードで活動できる

008 ピュンマ(アフリカ人)水中に特化した能力、高速で泳ぎ深海で自由に活動することもできる

004 ハインリヒ(ドイツ人)指先はマシンガン、手の甲はナイフ、膝にはミサイル、全身が武器の固まり

(以下次回)

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大川小学校の悲劇日々雑記

20191020

先日仙台へ出張があり、久し振りに東北地方を訪れ、時間をみつけて仙台から1時間ほどの石巻市に行ってみました。東日本大震災で大きな被害を受けたところです。津波で大勢の児童と教員が亡くなった大川小学校の現場を見てみたいとずっと思っていました。

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(Wikipedia) 2011年3月11日に発生した東日本大震災に伴う津波が本震発生後およそ50分経った15時36分頃、三陸海岸・追波湾の湾奥にある新北上川(追波川)を遡上してきた。この結果、河口から約5kmの距離にある学校を襲い、校庭にいた児童78名中74名と、教職員13名中、校内にいた11名のうち10名が死亡した。スクールバスの運転手も死亡している。学校の管理下にある子どもが犠牲になった事件・事故としては戦後最悪の惨事となった。
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石巻駅からタクシーでたどりついた場所は、川と山に挟まれた小さなスペースでした。コンクリート造りの廃墟がポツンと寂しげに残っています。周囲に建造物は何もありません。曲線を多用した、建設当時はなかなかモダンな建物だったのでしょう。


学校から裏山の近いことに、たいへんな衝撃を受けました。(写真3)校庭で津波が来るまで何十分も鳩首協議を続けている間に、何で、何で、この山に登らなかったのか。小学生の足でも、簡単に登れるではありませんか。大津波警報はすでに出されていました。河口から4㌔しかないこの学校まで津波が来ることを、どうして想像しなかったのだろう。


関係者らしき方がいて、少しお話をしました。長野県から来たというと「遠くから来ていただいてありがとうございます」と丁寧に挨拶され、あちこち指差しながらあの日何が起こったのかを教えていただきました。(写真2参照)


…あの窪みの場所で40人の子供たちが遺体で見つかった。津波の勢いで跳ね飛ばされた子が一人助かった。白い杭が立っている高さ(写真3の右側)まで津波が来た。学校の周囲は民家がびっしり立ち並んでいたが、全部流された。大津波が引いたあとで別の場所からここまで流されてきた中学生がいて、校舎に一晩しがみついて翌日救助された。…


この方は、注意深く言葉を選びながらも、無為無策ゆえに多くの犠牲者を出した大人の責任を訴えていると感じました。私は校舎と裏山を見ながら涙があふれてきて、ここはこのような悲劇が起こってよい場所ではない、こんなひどいことが絶対にあってはならないのだ、と強く思いました。


待っていてもらったタクシーでの帰り道、運転手さんは「まさかこんなところまで津波が来るとは誰も思わない、結果論ではないか。死んでしまった先生たちの責任を問うのは無理ですよ」と言っていました。なるほど地元でもいろいろな考え方があるなあ、とお聞きしました。まったく偶然ですが、県と市の責任を認める最高裁の判決がこの日、私が帰途についてから示されたのでした。


廃墟となった校舎を残しておくのに賛否両論があったと聞きますが、震災から8年半がたって、私のような者でも現場に立って思いを巡らすことができることに感謝したいと思います。

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マラソンは札幌にて日々雑記

20191019



ある人は寝耳に水ならぬ、「寝耳に熱湯」と言ったそうですが。開催まで10ヶ月足らずの今になって、五輪でのマラソンと競歩の会場が東京から札幌に変更されることになりました。

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(FNN)IOC(国際オリンピック委員会)のバッハ会長は17日午後、カタールのドーハで開かれているオリンピック関連の会合の演説で、東京オリンピックのマラソンと競歩の会場について、「IOC理事会と大会組織委員会は、札幌市に移すことに決めた」と述べた。
バッハ会長は、「選手たちの健康を考えた結果」だとし、両者の間で合意したとしている。
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これはもう、しょうがないですね。昨年夏の猛暑、それに先月ドーハで行われた世界陸上では、深夜のレースにもかかわらず多くの選手たちが途中棄権したことを考えれば、東京の真夏に何十㌔も走らせることの危険は明らかです。私、死者が出るのではないかと本気で心配していました。


暑さはずっと以前から指摘されていたことで、万全だと胸を張っていた東京都と組織委の対策なるものが、舗装改修はともかくとして「打ち水」「かちわり氷」「帽子日傘」「街路樹」それに撤回されましたが狂気の沙汰「サマータイム臨時導入」では、お前ら真面目にやってんのか、と言われても仕方がないですね。


とはいえ、ここまで膨大な工程表をこなしてきた五輪スタッフや警備関係者はまさに寝耳に熱湯、茫然でしょう。東京都の頭ごしに決められたことで小池都知事はご立腹みたいですが、今までご自分が思いついた出鱈目のプランで多くの人々を右往左往させ、多大な損害を与えてきたことにも少しは思いを巡らすといいです。


地の利を生かして、先月に本番を想定した選考レースを行ったこともパアになってしまいました。これはまったく残念、選手の心中も複雑だろうと思います。想定してきたレースの組み立てを根本からやり直さなければなりません。


そもそも莫大な放映権料を払うアメリカテレビ局の意向に沿って、真夏の開催にこだわるIOCが無理を押しつけていることに諸悪の根源があることは言うまでもありません。五輪開催可能な世界の大都市で平均気温がどんどん上昇しているわけで、次回以降の五輪だってどうなるかわかりませんよ。


これまでのことはもうご破算にして、札幌開催で全力を尽くすしかないですね。いっそ、選手を汚わいの中で泳がせることになりそうなトライアスロンこそ東京湾から他の場所に持って行ったらいいですよ。

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千曲川決壊日々雑記

20191013



台風19号が各地に残した大きな爪痕。長野県下でもとんでもない水害が起こってしまいました。


駒ヶ根などでは雨風ともに恐れるほどのことにはならず、この位の嵐は日常の範囲内と思える程度で、ほとんど被害はなかったと思います。12日夜、伊那市の三峰川上流にある美和ダムの放水が始まり、駒ヶ根でも天竜川沿岸地域に緊急の避難指示が出され、緊張しました。伊那市内では三峰川と天竜川の合流地点で以前に大きな水害になったことがあるはずですが、今回は幸い放水量が予想より少なく済んだそうで、事なきを得ました。


千曲川(信濃川上流)の決壊は今朝のニュースで知りました。県内の都市部でこれほどの広範囲にわたる水害はめったになく、近年では2006年7月、諏訪湖の増水氾濫によって湖畔の広い範囲が被害に遭って以来でしょうか?


長野市、千曲市、上田市など流域の多くの地域で被害が出ています。行方不明者も何人か。中でも決壊した現場である長野市穂保地区の状況がひどいですね。全国に繰り返し中継放送されているようです。


長野新幹線の車両基地も何編成もの車両ごと水没してしまいました。聞くところによるとこの地域はもともと川よりも低い土地で、こんな施設を作って大丈夫か、みたいなことが言われていたのだそう。車両基地ですから東京‐金沢間の運行に影響はなくても、長野駅発着の列車を運用することが当分できません。(今TVを見ると、新幹線の線路自体も水に浸かっていますね)
 ※追記10/14、長野~富山間当分復旧目途立たず、とのこと


今回の台風、当初は風が心配されていましたが、雨によって大きな被害が引き起こされることになりました。ネットで雨の様子をみると東北信では相当の雨が降ったようで、現地ではまだ水かさが減っている様子がなさそうです。さらに災害が広がることが心配です。

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大手企業が後継者しごと

20191008



興味深い記事です。。

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(日経新聞)外食業界で大手企業による小規模な企業のM&A(合併・買収)が広がっている。吉野家ホールディングス(HD)やクリエイト・レストランツHDが相次ぎ地域展開にとどまるチェーンを買収した。味などのノウハウや常連客を引き継ぎ、成長の足がかりにする。後継者不在という経営課題に直面する小規模な企業は多く、大手が買収する動きは今後も相次ぎそうだ。
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記事では主に小規模チェーンを買収する話が書かれていましたが、個店であっても同じような動きがあります。今年5月の連休に行った堺の食堂「げこ亭」が後継者に悩み、まいどおおきに食堂にM&Aを持ちかけ、事業承継に成功した話を書きました。家族経営だった頃の店のことはわかりませんが、今の様子はじゅうぶん魅力的でお客を惹きつけていると思いました。


繁盛店であっても、主人が全盛期を過ぎ、また店舗設備の更新時期を迎えるにあたって存続に黄信号がともることは、いくらでもあることです。人手不足の問題もあります。その店の熱狂的なファンが自ら名乗り出て、店の跡を継ぎたいとか、いったん閉店してしまった店を復活させた、といういい話はときに聞きますが、実際にはそうあることではありません。


そこへ大手(に限りませんが、企業)の手が差し伸べられれば、店主にとってもお馴染みさんにとっても、嬉しいことでしょう。それまでの店の味だったりサービスだったりをどれだけ守れるのか、が鍵ですね。


私たち納入業者にとっては、仕入がどうなるのかは大事なところですが。大手外食チェーンに買収されて食材まで本部から送り込まれるのでは、かないません。個店で使うものはチェーンで使うものとは当然違う独自性を持つはずですから、店の個性を守っていくには汎用性のある食材だけでは難しいだろうと思います。


チェーンと個店、飲食という点では共通しても、まったく経営哲学の違う業態です。買収する方だって利益を出さなければいけません。どのように互いの良いところをつないでゆくのか、興味深いです。私にとっては、世の中の動きとしては面白い、ただし条件付きで、というところでしょうか。

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1000本目の記事日々雑記

20191005



2010年4月6日に当社はホームページを開設し、同時に本欄「おいしいことなど徒然と」もスタートしました。今日のこの記事は、ちょうど1000本目の記事となります。


世の中には毎日欠かさず長文のブログを書いている方がゴマンといるわけで、そうした方々に比べれば全然大したことはないのですが、それでも1000本というのはよくやったと、自分を褒めてやりたいです。


本欄の右側に「月別アーカイブ」を示す欄があって、年ごとの記事数が出ています。初年度は9か月で136本と二日に1本ペースで頑張っていましたが、4年目の3月からペースが大幅にダウンし、7年目から再び頑張り始めて現在の更新頻度になっています。今は年間100本、週2本ペースを目標にしています。


個人的なことやら趣味の事やら、題材にはあまりこだわっていません。もっと「おいしいこと」の記事が多くてもいいのかもしれませんね。会社のホームページで社長として書いていますから、あまり品格に欠けるようなものにはなるまいと気をつけてはいます。成功しているかどうかはわかりませんが。


記事を書くときは、結構考えます。内容にもよりますが、一つの記事にときには1時間くらいかけていますかね。(そんなにかけてこれですか!?)時間帯としては夕方に会社で書くか、自宅で寝る前に書くことが多いかな。あることについて書こうと思ってタイトルだけ登録し、しかし結局そのままお蔵入りということも時々あります。


本欄の読者がどのくらいいらっしゃるのかは、私にとって、もちろん大きな関心事です。一日に何人の方がこのページを見ているかは企業秘密ですが、そう多くはないと申し上げておきます。毎日更新するようになれば、一日当たりの読者の数は飛躍的に増えるでしょうがね。


1000本書くのに9年半かかりました。読者の皆さんに改めて感謝いたします。これからもどうぞよろしくお付き合いください。画像は千夜一夜物語にちなんで、ロストロポーヴィチ/パリ管弦楽団の「シェエラザード」。この演奏、大好きです。

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ビリギャルのお話日々雑記

20191001

「学年ビリのギャルが一年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」。この体験記はふてくされた顔をした金髪JKの広告でお馴染み、ベストセラーになり、有村架純主演で映画化もされました。


ビリギャルご本人、小林さやかさんの講演を聴く機会がありました。ロータリークラブ主催で若い人たち対象の勉強会「RYLA」にて。


小林さやかさんは現在31歳。慶大総合政策学部卒業後、大手ウェディングプランナーの会社を経て独立、現在は講演活動やイベントの企画で活躍中である由。講演の対象が高校生から20代の若い人ということで、非常にくだけた語り口で奔流のようにお話をされました。


中高大一貫校に進学後、勉強の目的を見失って遊んでばかり。喫煙が見つかり退学寸前まで行ったことも。そんな彼女のすべてを受け入れ味方になってくれたのは、彼女の母親、そして高2の時に出会った塾講師の坪田信貴氏。いかにしてこのビリギャルが慶應を目指すことにしたのか、きっかけは(当時慶應に在学中だった)嵐の桜井君と話ができるかも!ですって。


軽い気持ちで「私、慶應に行く!」と言ったはいいが、最初は小学校4年のドリルから始めたとか。7割しかできなかったドリルを意気揚揚と坪田先生に持って行ったら、「すごいね~、1年くらいかかると思ってたのに、1週間でできちゃうなんて!」と褒められて嬉しく、さらに猛然と5年生のドリルを始めたそうな。


塾と家庭で1日15時間勉強し、学校の授業でしか寝る時がない。呼び出されたお母さんは学校の先生に「うちの子は全然寝ないで勉強しています、せめて学校でだけでも寝させてやらないと死んでしまいます」と言ったそうです。


講演はこんな感じで「コーチング」次第で人はいくらでも伸びる、ということでした。コーチングは大切な人を目的の場所まで連れて行くこと。本人に徹底的に自己肯定感を持たせ、具体的でワクワクする目標を設定する。ビリギャルのお話は、聞く人本人が不可能を可能にすることもさることながら、誰かを助けてあげるために何をしたらいいか、ということだったのですね。


そこまで苦労して入った慶應で、どれだけ実のある勉強や活動をしたのか、あるいは期待外れだったのか、講演ではまったく触れられませんでした。ここは大事なところでいささか残念でしたが、彼女の前向きな姿勢には、大いに見習う所がありました。

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