蕎麦のカリスマ食べもの
20110427
その名声は天下に轟き、全国に千人の弟子を持つ蕎麦の第一人者、「翁達磨」の高橋邦弘氏。彼の打ったお蕎麦をいただく機会がありました。
そば会の主催は、地元駒ヶ根の「養命酒」さん。高橋氏はずっと以前から養命酒が作っている「家醸本みりん」を愛用しており、自らこの品の広告にも登場している縁あって、そば会の開催に至ったようです。私も楽しみにして行きました。(家醸本みりんは、値段は高いですが、大変評判の良い品です。当社でも扱っています)
そば会は養命酒駒ヶ根工場の一角「健康の森」にある、土蔵の中で行われました。
蕎麦打ちの様子を目の前で見せてもらいました。名人の手際の良いこと、さすがです。こねた蕎麦生地の固まりをピザのように手で円く伸ばしてゆくのですが、まとまるのが実に綺麗な真円形で、美しい。めん棒を使って角を出してゆく(丸い生地を薄い四角形に伸ばします)のも、鮮やか。
いただいたお蕎麦の味は…
コシがあって、なおかつ滑らかな蕎麦。ざらつきが全くないのです。変な表現で叱られるかもしれませんが、中華麺を思い起こします。ご本人の言葉によれば「もちもちした感じを目指している」そうです。吸い付くような弾力のある感触が快い。
色は黒からず白からずで、太さも中ぐらいでした(1.2ミリと言っていました)。割合は、二八。蕎麦自体も香り高くておいしいのですが、つゆとの相性が絶妙で、いずれも突出せずに仲良く相乗効果を上げている感じです。
お蕎麦をいただいたあと、短時間のトークがありました。めん棒は野球のバット職人に作ってもらう特注品で直径26ミリ。当たり前でしょうが道具を大切にしており、のし台は30年以上も使っているそうです。
パリにもお弟子さんの店がありますが、例の原発風評問題で日本からの食材がフランスの通関を通らず、困っているとのこと。
食べる人の好みはいろいろ。もっと黒いのがいい、白いのがいい、つゆは辛くしろ、甘くしろ。ですが、私の味は変えません。この味を気に入っていただいた方に来てもらえればいい…
結びの言葉に、自信のほどが垣間見えました。
関連リンク: 翁達磨
さようなら、スーちゃん日々雑記
20110425
元アイドルグループ「キャンディーズ」の一員で、今は女優として活躍していたスーちゃんこと田中好子さんが亡くなりました。特別なファンではなかった私ですが、これまで芸能人の訃報であまり感じたことのない、大きな喪失感があります。
(下の方で映画「黒い雨」のネタバレがあります)
キャンディーズのコアなファン層は私より2、3歳くらい上の方々でしょうか?伝説の解散公演があったのは、私が高校2年の春でしたからね。
私はキャンディーズの歌を熱心に聴いてはいませんが、「8時だヨ!全員集合」のレギュラーメンバーであった彼女たちは、可愛いお姉さん、という感じで毎回楽しんで見ていました。特に体操のコーナーで元気に「はい、ポーズ!」を決めるぽっちゃりニコニコしたスーちゃんは、ほんとに可愛かったな。
解散後、スーちゃんは女優の道を歩き始めました。アイドル上がりの女の子が芝居できるの、と思って見ていましたが、本格女優としてぐんぐん成長していくのを見て、正直感心していました。
代表作で、数々の女優賞を受賞した「黒い雨」。じつはこの映画を観たのは公開よりずっと後のことなのですが、学生の頃読んだ原作以上に衝撃的な映画でした。
彼女はこの映画で裸を見せ、当時の話題になっていますが、それは全然SEXYな場面でのことではありません。
昭和25年。スーちゃん演じる矢須子は、直接被爆をしていないものの、広島原爆の投下直後に降った「黒い雨」を浴びていたため、持ち込まれる縁談も次々と破談になってしまう。矢須子を世話する叔父は、被爆をしていないことを証明しようと矢須子の日記を清書するのだが…
風呂で髪を洗っている矢須子。気がつくと、髪の毛がごっそり抜けている。両手にからみつく黒髪を、魅入られるように見つめる矢須子。
これまで周囲の人たちが次々と被爆の後遺症で亡くなっていく中、ついに自分にも症状が現れた衝撃。放心したような、諦めたような、うっすら微笑んでいるとさえ見える、何という表情でしょう!忘れようにも忘れることのできない場面です。ああ、この人は、女優になった、と思いました。
乳がんに侵されながら十数年もの間、周りに弱さを見せずに病魔と戦ってきたスーちゃんと、この映画は、あまりにもオーバーラップしており、やるせない思いです。まだ55歳、早すぎる死を悼みます。
さようなら、スーちゃん。
音楽にできること (3)音楽ばなし
20110423
震災後、プロの音楽家の皆さんたちのブログを読むと「こんなときに自分は何ができるのか」と胸のうちを吐露している方が大勢います。。
現実問題として3.11以降、数多くのコンサートの開催が取りやめになっています。歌舞音曲の自粛という、一体いつの時代かと思う言葉も彼らを苦しめているでしょう。演奏活動によって生計を立てている彼らには、私たち以上に生活の不安が降りかかっているはずです。
確かに大災害の真っ只中で音楽家としてできることは、一般の人と何ら変わりなく、ほとんど無力に近い。ですが、破壊と恐怖が一段落し、復興に向けて長い道のりを歩き出す過程においては、彼らの奏でる音楽の持つ力は、社会的にも大きな役割を果たすことができるはず。
これから被災地での彼らの出番も、きっとやってくるでしょう。(そのためには、彼らの生活を支えるさまざまな支援も必要です…本当に)
音楽ってのは、軍楽など一部の例外を除けば、やっぱり平和なときの楽しみであってほしいと思うのです。しかし人々が悲しみに打ちひしがれたり、苦しみの最中にあるときには、心を癒し支えてくれる大きな力となります。今回のメータN響の第九は、それを改めて現実に示してくれたように思います。
メータと同じ頃、やはり世界的なアーティストである歌手のプラシド・ドミンゴも来日し、日本の聴衆に素晴しい歌を聴かせました。アンコールに祈りを込めて日本語で歌われた「ふるさと」には、ファンも一体となった大合唱が巻き起こり、会場中が温かい感動で包まれたそうです。
ひとりのアマチュア愛好家にすぎない私も、音楽から勇気をもらいました。
感謝です。
音楽にできること (2)音楽ばなし
20110421
コンサートの冒頭。黙祷に続いてメータが聴衆に語りかけます。
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こうしてオーケストラと合唱の仲間たちに迎えられ、
ここにいる皆様と、そしてこのような大きな困難に
立ち向かう日本の方々の姿に深い感銘を受けた
世界中の大勢の人たちと共に、この機会を共有できることを
光栄に思います。まさに桜が満開となる今日、
避難所でいまだ闘っている東北の被災者の方々が、
一年後そしてそれ以降も一生、桜を楽しむことが
できるようになっていることを祈るばかりです。
今日、私たちは被災者の方々、
そしてそのご家族やペットのことを考え、
彼らの無事を祈ります。
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まず追悼曲としてバッハの「G線上のアリア」が拍手なしで演奏され(この曲は、こうした機会では定番といっていいほどしばしば取り上げられますが、抑えた悲しみと安らかな癒しに満ちた、何とぴったりくる曲でしょうか)引き続いてベートーヴェンの第九が始まりました。
何十遍も聴いたこの曲。「苦悩から歓喜へ」を象徴していると言われ、年末には風物詩のようにあちこちで鳴り響き、祝祭的な曲として扱われることが多い曲です。
しかし今回の演奏は(放送では第1、第4楽章しか聴けませんでしたが)とてもストイックな、疾走感のある第九でした。テンポも早めで、終始厳粛な面持ちでさまざまな表現がなされ、こういう第九もあるのか!と思いました。
これは追悼コンサートというシチュエーションから連想されるイメージからだけではなく、実際に私が演奏の中から感じ取れるものでした。メータの演奏は、よくゴージャスだとかグラマラスだとか評されます。外面的で中身がない、などという批評家もいます。とんでもない!厳しく、力強く、本当に感動的な演奏でした。
特筆すべきは合唱で(東京オペラシンガーズ)みなぎる力、確かな発声、会場にいた人はちょっとやそっとでは忘れられないものだったのではないでしょうか。この曲は日本では、プロのオーケストラ公演でも合唱はアマチュア、というケースが大半ですが(実際アマチュアでも一生懸命やれば何とかなるように書かれている)ホンモノのコーラスの凄さを改めて感じました。独唱も良かった。
この公演は、24日の朝6時から、NHKBSプレミアムで放送されます。ぜひ多くの方に見ていただきたいと思います。
音楽にできること (1)音楽ばなし
20110419
こんなときこそ、人々の心を癒し、元気づけてくれるものであってほしい。。
震災直後は、首都圏で多くのコンサートが中止となりました。余震の影響、停電、交通状況などが考慮され、また「こんな状況で音楽か?」という声ももちろんあったと思います。やむを得ないことでしょう。
中には3月11日の夜に、予定通りコンサートを行ったオーケストラもありました。電車が止まってしまい、予めチケットを購入していた人でもほとんどの人は足を運べなかったようですが、何とか来場してくれた数十人の聴衆を前にして演奏をしたそうです。(来られなかった人には払戻し)
本番前ですから楽員はホールに全員揃っていましたし、演奏会中止の告知をする時間もなく、また楽員も家へ帰ろうにも帰れなかった状況で、とにかくできることをやろう、という判断でしょう。正しかったと思います。
何日かたち、徐々にコンサートは再開され始めました。しかし、福島原発の問題が世界各国で避難勧告などの形で表面化するのにしたがって、来日予定だったアーティストたちのキャンセルが相次ぐようになりました。現に日本に住む私たちには納得いかない部分もありますが、逆の立場だったらと考えると一概に彼らを責めることもできません。
震災当時に来日していたイタリアのフィレンツェ歌劇場も、フィレンツェ市長から帰国命令が出され、公演の全日程を終了しないまま帰国することになりました。
一連の公演を指揮していた大指揮者ズービン・メータは、このことを大変残念がりました。この素晴しい国の人々を何とか音楽で励ましたい、と単身で再び来日し、復興に向けた被災者支援のチャリティーコンサートが開催されることになったのです。
メータはこれまで米ロサンゼルス地震や湾岸戦争など、危機的な状況下でも指揮台に立ってきた巨匠です。4月10日のチャリティーコンサートではNHK交響楽団と共にベートーヴェンの「第九」が演奏され、その一部が17日にTVで放映されました。
関連リンク: メータのメッセージ
急速開花中日々雑記
20110416
例年よりだいぶ遅れていた当地の桜、この数日のポカポカ陽気を受けて一気に花が開いてきました。天下第一桜の名所・高遠はもう見ごろと言ってもいいのかな?満開は来週半ば頃かと思います。
ご多分にもれず、花見観光客の入り込みが良くなく、地元の人たちはもちろん、当社もがっかりです。名物「高遠まん十」の売れ行きも、はかばかしくないようです。
まだまだ花を楽しむ気持ちになれない方が多いのでしょう。鳴り止まぬ余震を受けて観光どころではない、ということもあるでしょうね。
桜を愛でる気持ちと、被災した人たちを思う気持ちが両立しないとは思いません。今年にしか咲かない今年の桜を見て、そのはかなさ、愛おしさに心を動かす人は、きっと心優しい人に違いありません。
写真は高遠ではなく駒ヶ根市内の桜処、馬見塚(まみづか)公園です。観光客が多く訪れるわけではないですが、ずっと市民に愛されている桜です。
ここでは、紫のつつじも多く植えられ、桜とつつじのハーモニーを楽しむことができます。今日の様子では、桜は七分咲き、つつじは三分咲きといったところでしょうか。シートを広げているお花見のグループも見られました。
明日の日曜日は、気分を変えて、お近くの桜を見にいきませんか?
浦霞「禅」 飲みもの、お酒
20110414
東北のお酒を呑みましょう!というアピールを目にするようになりました。現地の蔵元たちが、震災復興の助けにぜひ東北の酒を呑んで下さい、とユーチューブで発信しており、話題になっています。
東北のお酒と聞いて私が真っ先に思い浮かべるのは、宮城県塩竈市の「浦霞」です。
学生の頃、父が東京に出張に来るとき、よく連れて行ってもらったお店が、新宿歌舞伎町にある「酒蔵樽一」でした。
その頃は日本酒を苦手としていた私です。コンパなどで飲まされる日本酒は妙に甘くて、ベタベタして匂いもきつく、こんなものを飲んでどこが嬉しいのかと思っておりました。
ところが樽一で飲む日本酒のおいしいこと!まさに、目からうろこ。私が吟醸酒というものを知ったのは、この店だったのです。ここでは全国各地の銘酒を揃えていましたが、中でも浦霞はすべての種類を置いており、力を入れていました。
父のお気に入りだったのが、浦霞の純米吟醸酒「禅」。私も大好きでした。この酒は澄み切った中に奥深く潜むコクがあり、何の嫌味もなくスイスイと喉を通り抜けていきました。値段もまあ手頃でデパートなどでも売っていましたから、帰省の際に土産に買って帰ったりしました。
この酒で日本酒のおいしさに目覚めた私は、その後どんどんと日本酒に染まっていき、各地の銘酒を探しては楽しむようになりました。今は基本的にワイン党の私ですが、二十代の頃は、れっきとした日本酒党だったのです。
浦霞の蔵元「佐浦」のホームページを見ると、やはり大きな被害があったようですが、今は本格的な復旧作業を進めているとのことです。実は佐浦の今の社長さんとは学生時代にゼミで縁がありました(酒の話をしたことは、なかったな)。卒業してからは付き合いがないのですが、創業三百年近い老舗を背負って頑張っているのだと思います。
1本求めて、ささやかな応援をしようかな。
ニューフェイスですしごと
20110412
ちょっとご紹介が遅くなりましたが、弊社にも先月から2人の新しい人が入社しました。先週土曜日、新年度初めの全体会議で、挨拶をしてもらいました。
まず1人は、新卒で入社したIさん。本社勤務です。事務担当ですが、研修はまず商品とお得意様を覚えることから始めますので、今は毎日トラックや冷凍車の助手席に乗って配達のお手伝いをしています。今週からは営業マンにくっついてお客様を訪問します。
華奢な身体で一所懸命荷物を運んでいます。まだまだ緊張の毎日のようですね。もう少ししたら事務所にも入り、伝票の入力や電話を取ったりすることもだんだん覚えていきます。
もう1人、飯田営業所勤務のパート、Yさん。永年勤めて頂いたSさんの後に入りました。人柄のとっても楽しい方で、食品関連の経験もあり、即戦力として大いに期待しています。
どうぞよろしくお願いします!
高校生に日々雑記
20110407
昨日は、長男の高校入学式に行ってきました。。
私の卒業した、同じ高校に入学することになりました。何となく嬉しいですね。親子で同じ校歌や応援歌を歌える(ようになる)というのは、いいものだと思います。
母校の校舎には、昨年の30周年同窓会やら何やらで、何度も来ていますので、特別懐かしいってことはありません。体育館なんて、私たちの頃と全然変わりなくボロボロで…体育の授業にはいいでしょうが、式典を行うには、ちょっと気が引けるような感じも無きにしもあらず。
長男も、今まで狭いコミュニティの中で守られながら穏やかな日々を過ごしてきたと思いますが、高校生ともなれば他所の中学校から来た皆様に揉まれ、いろいろとショックやギャップを感じる場面もこれから出てくるでしょう。大いに結構、どんどん刺激を受けてもらいたいです。
昔なら十五で元服していたのですから、親があれこれと構ってやるのも、そろそろこの辺で打ち止めですね。どうやって過ごしても同じ3年間です。今しかできないことだらけのはず、いい3年間だったと後になって思えるようにして欲しいものですな。
写真がボケているのは、別に肖像権に配慮したのではなく、単に暗くてうまく撮れなかっただけです。何でこんな真っ暗な中でやったのかな?
ふりかけ食べもの
20110406
これさえあれば、何杯でもご飯が食べられる…日本人ならみんな、ふりかけが大好き!今ではそんなにゴハン食いではない私ですが、ふりかけご飯はおいしいですよね。。
うんと小さい頃に好きだったのは「磯のふきよせ」というやつでした。黄色い袋に入っていまして、中身がどうだったのか今では殆ど思い出せないのですが、とにかく大好きでした。今はもう、売ってないですね。
小学校高学年になって、好みは「お茶漬け海苔」へと変わりました。これを初めて食べたときは、細長いあられの存在がショックでした。お茶漬けとしてではなく、お湯などかけずにふりかけとして食べるのです。東海道五十三次が、半分くらい集まったでしょうか。(何故か同じ絵柄ばかり出てくるので、とっても不満でした)
今でも大好きです。もっとも、ご飯にかけるより、もっぱらマーガリンを塗ったトーストに振って食べる方が多いですね。
ちょっと前ですが「世界のふりかけ」なる品をネットで見つけ、出張の折に買ってみました。佃煮の老舗「新橋玉木屋」から出ているものですが、種類がすごいです。マハラジャ、イタリアントマト、麻婆豆腐、グリーンカレー、などなど。へえ、これが、ふりかけですか?
食べてみると、ぼろぼろした食感。うーん、ちょっとアイデア倒れのものもあるかな?カレー系は結構辛い。イタリアントマトが割とおいしかったです。変った珍しいものだし、ちょっとした手土産なんかにいいかな?
先日、被災地への援助物資募集の知らせが来ました。希望アイテムの中に、ふりかけがありました。目先を変えて、避難所での食事を少しでもおいしく食べられるようにしたい、ということでしょう。ちょうど在庫していた業務用の商品があったので、気持ちばかりですが出させていただきました。
日本人だもの、白いご飯にふりかけで、少しでも元気のお手伝いができたのなら、良かったですが。
今日でこのブログは、開設1周年を迎えました。お読みいただいて、ありがとうございます!
これからもよろしくお願いします。