「おいしいことなど徒然と」

社長ブログ

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JC45周年で日々雑記

20110502



駒ヶ根青年会議所(駒ヶ根JC)の創立45周年記念式典にお招きいただきました。5年目ごとの「周年行事」は、いつも厳粛、盛大かつ華やかに行なわれますが、今回は大震災を受けて規模を縮小し、厳粛オンリーでの開催となりました。


以前には「駒ヶ根商工会議所青年部」の創立記念の話を書きました。名前が似ていて紛らわしいですが、もちろん全然別の団体。しかし内容は実際のところ、共通している部分もかなりあります。


JCは世界的な組織で、地域づくりのさまざまな活動、その活動を通した自己研鑽、業種を超えた交流、などを目的としています。私も30歳から10年間お世話になり、西暦2000年という節目の年には理事長をやらせてもらいました。


この10年は、思い出に事欠きませんが、まあ…よくやっていたと自分でも思います。特に役職にあった年は連日連夜の行事や会議、その後での飲み会(これが大事)、会社を空けることも多く、当時社長だった父もよく認めてくれていたものです。


大学卒業後、東京で数年間サラリーマン生活を送り、地元に帰ってきました。ここで思ったのは、良くも悪くも田舎での環境は、同世代での「切磋琢磨」の機会が圧倒的に少ないな、ということでした。(あくまで私自身の話ですし、同業者間での競争とか、そういうのはまた別ですよ)


そんな中で入会したJCは、錚々たる先輩たちが地域づくりに激論を戦わせているエキサイティングな場所でした。自分を鍛え、地元の仲間に加えてもらう場所として絶好だと思いましたし、卒業してからもずっとそう思っています。


式典では今後5年間の活動の指針となる「中期ビジョン」の発表がありました。今の私から見れば大層な「気負い」を感じ、もっと肩の力抜いたらどうよ、とも思いますが、このハイテンションがいかにもJCらしく、良いところでもあるんですよね。


終わってから仲間で一杯やりました。いつまでも熱い気持ちを忘れない人たちの渦の中にいる快さ。


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さようなら、スーちゃん日々雑記

20110425



元アイドルグループ「キャンディーズ」の一員で、今は女優として活躍していたスーちゃんこと田中好子さんが亡くなりました。特別なファンではなかった私ですが、これまで芸能人の訃報であまり感じたことのない、大きな喪失感があります。


(下の方で映画「黒い雨」のネタバレがあります)


キャンディーズのコアなファン層は私より2、3歳くらい上の方々でしょうか?伝説の解散公演があったのは、私が高校2年の春でしたからね。


私はキャンディーズの歌を熱心に聴いてはいませんが、「8時だヨ!全員集合」のレギュラーメンバーであった彼女たちは、可愛いお姉さん、という感じで毎回楽しんで見ていました。特に体操のコーナーで元気に「はい、ポーズ!」を決めるぽっちゃりニコニコしたスーちゃんは、ほんとに可愛かったな。


解散後、スーちゃんは女優の道を歩き始めました。アイドル上がりの女の子が芝居できるの、と思って見ていましたが、本格女優としてぐんぐん成長していくのを見て、正直感心していました。


代表作で、数々の女優賞を受賞した「黒い雨」。じつはこの映画を観たのは公開よりずっと後のことなのですが、学生の頃読んだ原作以上に衝撃的な映画でした。


彼女はこの映画で裸を見せ、当時の話題になっていますが、それは全然SEXYな場面でのことではありません。


昭和25年。スーちゃん演じる矢須子は、直接被爆をしていないものの、広島原爆の投下直後に降った「黒い雨」を浴びていたため、持ち込まれる縁談も次々と破談になってしまう。矢須子を世話する叔父は、被爆をしていないことを証明しようと矢須子の日記を清書するのだが…


風呂で髪を洗っている矢須子。気がつくと、髪の毛がごっそり抜けている。両手にからみつく黒髪を、魅入られるように見つめる矢須子。


これまで周囲の人たちが次々と被爆の後遺症で亡くなっていく中、ついに自分にも症状が現れた衝撃。放心したような、諦めたような、うっすら微笑んでいるとさえ見える、何という表情でしょう!忘れようにも忘れることのできない場面です。ああ、この人は、女優になった、と思いました。


乳がんに侵されながら十数年もの間、周りに弱さを見せずに病魔と戦ってきたスーちゃんと、この映画は、あまりにもオーバーラップしており、やるせない思いです。まだ55歳、早すぎる死を悼みます。


さようなら、スーちゃん。


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急速開花中日々雑記

20110416



例年よりだいぶ遅れていた当地の桜、この数日のポカポカ陽気を受けて一気に花が開いてきました。天下第一桜の名所・高遠はもう見ごろと言ってもいいのかな?満開は来週半ば頃かと思います。


ご多分にもれず、花見観光客の入り込みが良くなく、地元の人たちはもちろん、当社もがっかりです。名物「高遠まん十」の売れ行きも、はかばかしくないようです。


まだまだ花を楽しむ気持ちになれない方が多いのでしょう。鳴り止まぬ余震を受けて観光どころではない、ということもあるでしょうね。


桜を愛でる気持ちと、被災した人たちを思う気持ちが両立しないとは思いません。今年にしか咲かない今年の桜を見て、そのはかなさ、愛おしさに心を動かす人は、きっと心優しい人に違いありません。


写真は高遠ではなく駒ヶ根市内の桜処、馬見塚(まみづか)公園です。観光客が多く訪れるわけではないですが、ずっと市民に愛されている桜です。


ここでは、紫のつつじも多く植えられ、桜とつつじのハーモニーを楽しむことができます。今日の様子では、桜は七分咲き、つつじは三分咲きといったところでしょうか。シートを広げているお花見のグループも見られました。


明日の日曜日は、気分を変えて、お近くの桜を見にいきませんか?


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高校生に日々雑記

20110407



昨日は、長男の高校入学式に行ってきました。。


私の卒業した、同じ高校に入学することになりました。何となく嬉しいですね。親子で同じ校歌や応援歌を歌える(ようになる)というのは、いいものだと思います。


母校の校舎には、昨年の30周年同窓会やら何やらで、何度も来ていますので、特別懐かしいってことはありません。体育館なんて、私たちの頃と全然変わりなくボロボロで…体育の授業にはいいでしょうが、式典を行うには、ちょっと気が引けるような感じも無きにしもあらず。


長男も、今まで狭いコミュニティの中で守られながら穏やかな日々を過ごしてきたと思いますが、高校生ともなれば他所の中学校から来た皆様に揉まれ、いろいろとショックやギャップを感じる場面もこれから出てくるでしょう。大いに結構、どんどん刺激を受けてもらいたいです。


昔なら十五で元服していたのですから、親があれこれと構ってやるのも、そろそろこの辺で打ち止めですね。どうやって過ごしても同じ3年間です。今しかできないことだらけのはず、いい3年間だったと後になって思えるようにして欲しいものですな。


写真がボケているのは、別に肖像権に配慮したのではなく、単に暗くてうまく撮れなかっただけです。何でこんな真っ暗な中でやったのかな?


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総力戦日々雑記

20110321



震災から十日がたちました。原発については、放水の成功や電源の接続など、少し先が明るくなるような知らせが続いています。最悪の時は過ぎた、と言っていいのでしょうか?


警察、自衛隊、消防、炉内の温度を下げるために、あの手この手でさまざまな手段が試みられました。消防の特殊車両の登場でようやく水が入りましたが、もっと早くこれを使っていたら、と思います。


先週、先輩たちと一杯飲む会がありましたが、何だか二百三高地みたいだなあ、と皆で嘆くことしきり。兵力を小出しにして、膨大な死傷者を出した戦いに、似ているような。


一刻も早く温度を下げ、吐き出される放射能を封じることが最優先のミッションです。が、一つ試してはダメ、それから次の手を考えて翌日試す、てなことでは、なかなか解決しない。考えられる策をすべて用意して、片端から矢継ぎ早に投入することを、多くの人は期待していたのでは。(さまざまな事情はありましょう)


特殊消防車出動のとき「ついに総力戦」という新聞の見出しがありました。それまでは総力戦でなかった、ということですか。何で最初から総力戦でなかったの。


四日市の会社で保有しているお化けのような放水車がそろそろ現場に到着する、とニュースで言っていました。社長さんはこの車を提供したい、と数日前から東電と連絡を取ろうとしていたのですが、なかなか伝わらなかったようです。


原発被害と恐怖感は深刻です。ああ、早く、この車が活躍してくれますように!


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携帯電話を買う日々雑記

20110320



息子の高校入学を機に、携帯を買い与えることになりました…。。


今どきのことですから、田舎の中学生だって持っている人は多いのでしょう。中学へ入るときにも、妻がどこからか聞いてきて「中学生になると、部活の連絡も何も、みんな携帯なんだって」


そんなアホな、と思って持たせてきませんでしたし、必要な場面も無かったようです。持ってないのはウチだけってわけでもなかったようですしね。(ゲーム機はついに中学卒業まで買いませんでした。これは、ウチだけみたいです)


しかし高校ともなると、そうもいきますまい。息子とお店へ行って、ああでもないこうでもない、と1時間。友達にはスマートフォンを使う人もいるそうですが、俺だって持っていないのに、もちろん却下。


私自身はこうしたものはsimple is bestと思っていますが、子供には子供の趣味や考えがあるでしょうから、予算だけ伝えて選ばせました。


いろいろな場面で親の趣味を子供にも、とついつい思ってしまいます。これって子離れしていない証拠でしょうか。もうそろそろ、親の方が卒業していかなくてはならないようです。



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救援を待つ人日々雑記

20110317

こんなときにどんな記事を書いたらいいものか、本当に迷います。。


避難している人たちのもとへ物資が届かない。極めて深刻、かつ緊急を要します。現地にモノがないわけではない。どこがボトルネックになっているのか。まず、燃料がなくて物流がストップしている状況を最優先で解消しなくては。


高速道の通行規制が厳しすぎて物資輸送車が入れないといいます。ただでさえ使えるトラックは激減しているでしょうし、燃料を満載した車をどんどん送り込むことからすべては始まるんじゃないでしょうか。


昨夜のニュースで、南相馬市の老人介護施設にモノが届かないといっていました。原発30キロ内の屋内退避地域です。食料も燃料も医薬品も、危険地域だとして届けてくれない、自分たちで外まで取りに来いと言われていると。


言葉がありません。


そこで必死で働いている人たちがいるんですよ。これでは見殺しに等しいではありませんか…責任と使命感にあふれた人たちを、何とか後押しし、助けてあげられないのか。


福島原発の状況は、予断を許しません。これに関して、私たちに今できる事はなく、国と東電を信じるしかない。しかし現時点で、必要以上にパニックになることは、まずいだろうと思う。冷静な判断が今こそ求められています。


世界が、このような激甚災害の中での日本人の落ち着きと我慢強さを賞賛しているそうです。私たちも誇りに思います。どうか、その忍耐に応えてあげたい。痛切に思います。


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猛威日々雑記

20110312



自然の猛威の前に、人間はなんと無力だろうかと思います。。


地震発生時、車で高森町の国道を走っていました。聴いていたラジオから突然耳障りなアルベジオ。緊急地震情報です。えっ、と身構えますが、走っている車内では揺れは体感しませんでした。


その後ラジオから切迫した声で伝えられる震度、大津波警報。3m、6mとの第一報を聞いて、これは大惨事になるに違いないと覚悟しました。


1時間後点けたテレビでは、津波で名取川が逆流しています。その映像に見入っていると、カメラが向きを変えて、そこには田畑、家、車、すべてをゆっくり飲み込みながら容赦なく進んでいく真っ黒な津波と瓦礫。逃げようとするたくさんの車。あふれ出して川へ落ちてゆく家屋。これまでに見た、想像したどんな映像よりもすさまじかった。


体が震えました。


帰宅してから、夜中までテレビに釘付けでした。気仙沼の火災も衝撃的でした。


暖かい布団で寝られる幸せを後ろめたく思いました。


夜中に何度も緊急地震情報で起こされました。実際にはほとんど揺れはありませんでしたが…朝になって、栄村が震度6だったことを知りました。幸い当社周辺では、被害は聞いていません。


これを書いている今なお余震は続いており、大津波警報も出たままです。実際、朝になっても何度目かの津波が押し寄せているようです。1人でも多くの命が救われることを祈ります。


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人の強さって日々雑記

20110227



ニュージーランド地震の被災者の方々。なかなか救出の報に接することがなく、やきもきしています。日本での報道を見ていると、例の英会話スクールの入っている建物がピンポイントで直撃されたかのような気もするくらい、同じ市内でも被害がかなり偏在しているようです。


最初に地震のニュースを聞いたとき、NZにも地震なんてあるの?と思いましたが、子供が見せてくれた地図帳によれば、まさに世界の地震多発ラインの真上に位置しています。地震のないオーストラリアとは近くではあっても、全く環境が違うのですね。


被災者の殆ど(九割以上でしょう)が女性だったことは、驚きです。現代の女性パワーはいろんな場面で男性を凌いで発揮されていますが、こうして意欲に燃えて語学習得に渡っている人たちが、少なくともこの場所では圧倒的に女性だったのを知って、男は何をしてるんだよ!とも正直思いました。


そんな中、救出された19歳の男子学生がTVで報道されました。見た目ではごく自然で、ベッドの上で語る様子も平常と変らないように見えましたが、救出されたときに足を切断しました、とさりげなく言うのを聞いて、言葉がありませんでした。


まだ被災して何日もたっていないし、もちろん彼の内心が平気である筈がないのですが、無理をして気丈に振る舞っているという風ではないのです。足と引替えに命を取り留めた自分の状況を受け入れた上で、これからの新たな未来に立ち向かっていこうとする心の強さが、自然体の中から伝わってきました。凄い若者だと思います。


携帯電話による日本への第一報も、彼からのものだったとか。
彼のこれからに、どうか幸い多からんことを。そして、被災した人たちが一日も早く見つかることを願います。



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丸光の思い出日々雑記

20110221



昔の思い出を残したお店が、この週末、幕を閉じました。。


昭和40年開業以来、諏訪丸光は上諏訪駅前に堂々たる店舗を構え、地域のシンボル百貨店として名を馳せました。しかし時代と共にその光は色あせ、2004年に一度倒産。その後経営母体を変え「まるみつ百貨店」として再出発しましたが、結局立ち行かず昨日ついに閉店となりました。


何といっても有名だったのは、5階にあった温泉。店内で温泉に入浴できるデパートなんて、もちろん他に無かったでしょう。湯のまち諏訪ならではのユニークな施設でした。


私は小学校1年生のとき、家族で丸光に出かけた時のことを覚えています。当時クルマを持っていなかった我が家ですから、電車で往復しました。


学校の作文(絵日記)にその日のことを書いて、そう5枚くらい書いたでしょうか。よっぽど楽しかったんだな。飯田線から中央本線に入って、大きな駅がいくつも続いて驚いたこととか。


玩具か何かを買ってもらったはずだと思いますが、それが何だったかは忘れてしまいました。温泉に入って、大食堂で一番おいしそうだった「スペシャルプリンアラモード」を食べてご機嫌でした。


それがどんな形をしていたかも、大体覚えていますよ。品が運ばれてから、母の注文した「プリンアラモード」の方がおいしそうに思えて「こっちがいい」と駄々をこね、呆れられたことも。


家族でデパートに行くことがこれほどの楽しみだった良き時代。思い出の場所がなくなってしまうことを、残念に思います。

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