92年前のメダリスト (1)日々雑記
20240730
パリ五輪が始まっています。競技が日本時間でことごとく深夜や未明に行われ時差を呪うしかありませんが、開幕早々から次々と活躍する日本選手たちに胸のすく思いをしています。
その中でも、総合馬術団体で大岩、戸本、北島、田中の4選手が銅メダルを獲得したという快挙。馬術競技を見る機会はついぞなく、彼らが事前にどれだけの期待を受けていたのかまったくわかりませんが、馬術の日本選手として実に92年ぶりのメダル獲得というから素晴らしいではありませんか。
92年前のメダリストといえば、西竹一に違いないとすぐに思いました。調べるとまさにその通り。ロサンゼルス五輪で金メダルを獲り、太平洋戦争で終戦間際に硫黄島で戦死した西中佐。子供の頃読んだ戦記で印象深く、映画「硫黄島からの手紙」では伊原剛志が演じて準主役級の扱いとなっています。
西竹一は外務大臣や枢密顧問官を務めた父のもと、男爵家に生まれました。軍人を目指し騎兵学校に進み馬術の基礎を叩き込まれ、めきめきと腕をあげました。大変な資産家で性格は至って鷹揚、天真爛漫、サッパリして明るかったと生前に交流のあった人たちはみな証言しています。
愛馬ウラヌス号との出会いは、馬術の恩師である上官がイタリアで出会ったという、誰も乗りこなせない大きな暴れ馬の噂を聞き、早速イタリアへ飛んで一目ぼれしたといいます。当時500ドル≒2000円という高額にも関わらずポンと自費で購入し、そのままヨーロッパ各地の競技会で好成績を残し日本へ連れ帰ったもの。家一軒15円で借りられた時代だそうです。
ロス五輪では11選手中完走したのが僅か5人という屈指の難コースでした。西とウラヌスは難しい障害を見事に次々と飛び越し、堂々の金メダルに輝きました。馬術の大障害は当時オリンピックの花形競技で、西はロス市長から名誉市民の称号を受けるほどの歓待を受けました。
貴族制度のないアメリカ人にとって、男爵baronの称号を持ち英語を流暢に話す西は大人気。ハリウッド俳優ダグラス・フェアバンクス夫妻をはじめ数々の著名人とも交遊を深めることになりました。当時の日本人としては考えられない豪快なカネ使いと社交性でアメリカでの日本人観を変えたともいわれます。
軍人ながら髪型はお洒落、軍服はヨーロッパ仕立ての特別製、馬具やブーツはすべてエルメス製であったとのことです。優勝記念パーティーには参加した日本の馬術チーム全員のタキシードを自費で誂えたのだとか。
ウナギ完全養殖 実用化近づくうな丼の未来
20240724
土用丑の日。嬉しいニュースをご紹介しておきましょう。
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(日経MJ)ニホンウナギの完全養殖技術が実用化に一歩近づいた。水産研究・教育機構(横浜市)を中心とする研究グループが、5つの突破口で人工稚魚の生産コストを8年前の22分の1に下げた。自治体の試験場や企業にノウハウを提供し、商業レベルの技術確立を促す。
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現在各地で行われている「ウナギの養殖」は、卵を孵化させることではなく、ウナギの稚魚(いわゆるシラスウナギ)を河口などから採取し養鰻池で育てることを指します。乱獲や生息環境の悪化によって稚魚の採取量が減少したことが、近年のウナギ生産量の低下につながっています。
稚魚が水面下で闇取引として高額で売買され、乱獲の一因となっています。驚くべきは日本のシラスウナギの4割が出所不明、つまり密漁や密輸入で、反社団体のおいしい資金源になっていると言われますが、なかなか尻尾を捕まえられずにいるようです。
いま研究が進められている「完全養殖」は、卵から育てた親ウナギに次世代の卵を産ませ育てる再生産サイクルのことで、資源保護の救世主として注目されています。しかし完全養殖の技術自体はできているのですが、コストが流通消費に堪えるものになっていないのです。
卵から成魚になるまでに膨大な個体が死んだり、エサをうまく与えられなかったり。(彼らは大変好き嫌いが激しく、サメの卵なら食べるとは分かったものの、もっとコストの安い餌がなかなか見つからなかった)2016年までの生産コストは、一尾4万円以上かかっていたといいます。
それが近年の研究により、母ウナギに与える栄養の工夫から始まって身近な原料による餌の開発、大型水槽を使った量産化、自動給餌システムで人件費を減らすなど、さまざまな問題解決でコストダウンが可能になりました。今では生産コストは1800円まで下がり、天然稚魚との差がだいぶ縮まってきたのです。(それでもまだ3倍くらいの差はある)
味は現在流通しているウナギと遜色ないといいますから、いよいよ実用化も見えてきたと言っていいでしょう。ウナギの価格が高騰しておいそれと口に入らなくなったのはあくまでも結果であり、もっと大事なのは持続可能な資源利用です。ウナギが絶滅し、いくらカネを積んでも食べることができなくなる前に、何とかこのサイクルを技術的にも経済的にも成功させてほしいと切望します。
喫煙飲酒の罪日々雑記
20240721
体操選手でパリ五輪代表の宮田笙子選手が、19歳にもかかわらず喫煙飲酒をしたとして、出場辞退となりました。団体でメダルを目標にしていた女子体操チーム、激震です。
この処分が妥当なのかどうか、ネットでは真っ二つに意見が分かれています。私の目に入る発言の数で言えば、妥当という人の方がだいぶ多いでしょうか?
私は、やったことに対して罰が重すぎると思います。五輪への出場を辞退させるほどの重罪を犯したとは考えられない。厳重注意なり、大会後の社会奉仕なり、強い反省を促す方法は他にある。体操競技で活躍できる年齢を考慮すれば、今回の処分は再起不能を意味するといっても過言ではありません。
明白な法律違反、スポーツ選手はルールを守るのが当たり前、とか言われています。20歳前の飲酒喫煙を禁じる法律には、本人への罰則規定はありません。アルコールやニコチンが体に悪いって、それは悪いのでしょうけれど、対象者を保護するための規定が逆に本人を潰してしまうことの不条理、矛盾を感じます。ドーピングをしたわけじゃない。
そもそも今は18歳から成人として選挙にも行けるのです。喫煙飲酒だけ20歳にならないと許されないことに大した理由はなく、高校教育の場で制御ができなくなるからというご都合ゆえだと私は理解していますが、違いますかね?
かつては高校を卒業すれば、建前はともかく実質的に喫煙飲酒は社会の雰囲気として許容されていたと思います。大学生の新歓コンパでアルコールが出されるのは当たり前、高校卒の新入社員だって同じような状況だったのでは。
時代が違うのだと言われます。その通り。急性アルコール中毒など不幸な事故が時々起こっていたことは事実ですし、こうした悲劇を繰り返させまいという気持ちは大切です。
それはそれとして、一度のやらかしが(一度ではないとも言われていますが真偽不明)即、厳罰につながり多くの人に支持されるというのは、社会の寛容度が低くなっているということでしょうか。他人に被害を与えない程度の軽微な違反行為をすることは、誰にだってきっとあります。それを取り返しのつかないような罪とされるって、暮らしにくくないですか。
強運の主日々雑記
20240719
大統領候補者が銃撃されるという衝撃的な事件が起きました。いろいろなことを思いますね…。
アメリカでは古くはリンカーン、ケネディをはじめ何人もの大統領や大物政治家が暗殺されたり未遂に終わったりしています。日本だって安倍元首相や岸田首相が銃撃されたり爆弾を投げつけられたり。
これは民主主義への憎むべき挑戦です。責任ある立場のリーダーに、生命の危険への覚悟を持たせなければならないことは明らかにおかしいです。そして今回は警備体制に不手際があったらしいことは、報道の通り。
トランプの場合は本人は奇跡的に軽傷で済んだものの、集まった人に死傷者が出てしまいました。まったくお気の毒。犯人がその場で射殺されたことは、犯行の動機が分からなくなったとか言われますが、まあやむを得ないのでは。
撃たれてすぐ、血を流しながら立ち上がり何度も拳を振り上げて「Fight!」と叫んだトランプは、さすがに凄い根性だと思いました。青空と星条旗をバックにボディーガードに守られつつも仁王立ちになった決定的瞬間を捉えた写真も凄い。その場を撮影したカメラマン、前にピュリツァー賞を受賞している人だそうです。
銃社会のアメリカにおいて、銃の所持を認めるか規制するかはずっと前から激しい議論となっています。トランプはガチガチの銃規制反対派ですが、事件後初めて党大会に顔を見せた時には、今までのトランプとちょっと様子が違う(大人しくなった)ように見えました。自分がターゲットになってみて考えが変わるのかどうか。
災いが転じて選挙のための強烈のアピールになってしまったことは、大変な強運だと思います。事件後たまたまコロナに感染してしまったバイデン、あまりにも不運。両者の印象の対比は、有権者には天と地ほどの違いでしょう。「リーダーの運の強さ」はその集団にとってとても重要なことだといいますが、あまり認めたくはないが、どうもトランプが「持っている」ことは確かなようです。
がんばっていきまっしょい(2)読んだり見たり
20240715
松山と周辺の美しい情景が、ボートの動きの美しさとも重なって、えもいわれぬ映像を見せてくれます。思わず見とれてしまう場面の連続です。
ボートを漕ぐ。いや漕ぐという動作以上にボートそのものが、この映画で深く印象に残ります。オールの先端が着水し、水を大きく掻いたのち、再び水面に戻る。この単純な動きに魅せられます。きらめく陽光に水しぶきが飛び散る場面は、僅かな時間ではかなく消えてゆく輝きを表していて、この映画のテーマとシンクロしているようです。
水面を進むボートの何と美しいこと。スクリーン右手からスマートな艇体が音もなくすっと現れ、画面中央に流れてくる。懸命に艇を漕ぐ選手たちの姿とは裏腹に、優雅に滑るボートの姿は実に魅力的です。悦子が冒頭で一目ぼれするのも、わかる気がします。手前と奥のボートをタイミングよく撮影するのはさぞかし大変だったろうと思いますが。
そのバックに流れる主題曲「オギヨディオラ」。リーチェという女性シンガーが英語で歌う、韓国の船漕ぎ歌だそうです。伸びやかで、ナチュラルで、心に響く。サントラのCDを持っていて車内でもよく聴いています。いつもは固く避けているカラオケをどうしても歌わなくてはならないとき、この歌はないかと探しますが、残念ながら曲目リストで見たことがありません。
Sun is rising and down
Moon does all the same dance
Roads tell us how to reach the sky
Sun is rising and down
Moon does all the same dance
Roads in between us become one
Ogiyodiora Ogiyodiora
See the wind blows back and the rain comes close
So, why don't we row the boat again (サビ部分)
コーチが悦子と心を開いたとき、「万灯会(まんとうえ)がとても綺麗なんよ」と話をします。道後温泉近く、石手寺の万灯会。コーチの過去の事情を暗示する言葉。そんなことはつゆ知らず、少女たちは最後の合宿で境内を埋め尽くす灯明を見ながら「寂しいなあ、来年はもうないし」と呟きます。彼女たちもこの美しい時間が、いま限りのものだと感じているのです。
詩情にあふれた素晴らしい映画だと思います。もし観る機会がありましたら、ぜひ。
がんばっていきまっしょい(1)読んだり見たり
20240712
四国松山の道後温泉。5年半かけた改修工事がこのほど完了し、営業再開したということです。私が2年前に訪れたときは工事中で狭いお湯にしか入れず休憩所も使えず、まったく残念でした。
ちょうどタイミングよく?BSで松山を舞台にした映画「がんばっていきまっしょい」(1998、磯村一路監督)を放映してくれたので再見し、改めて魅了されました。道後温泉も少し登場します。
…悦子(田中麗奈)は名門、伊予東高校(松山東高校がモデル)に合格したものの、高校生活での目標を見つけられずにいた。たまたま海でボートの練習をしている人たちの姿を見て「私もやってみたい!」と一念発起し、それまでなかった女子ボート部を作ろうと奔走する。気が進まない友達に「新人戦まででいいから」と頼み込み、ようやくナックルフォアのチームを組める5人の初心者メンバーが揃う。
男子部員に教わりつつ練習を始めるが、自分たちで重いボートを持ち上げ運ぶこともできず、まともにオールも扱えない。それでも見よう見まねで練習を重ねて出場した新人戦、断トツのドベとなってしまう。悔しくて悔しくてたまらない。ここで辞める筈だった仲間たちも、このまま引き下がれるかとボートを続けることにした。
そんなある日、女子ボート部にコーチ(中嶋朋子)がつくことになった。もと日本選手権で活躍した人らしいが全然やる気がなく、生徒たちにロクな指導もしない…
彼女たちは本気でボートに取り組んではいますが、青春スポ根もののような、厳しい練習に耐えて勝利をつかみ取れ!的なテイストは、映画には少ないです。この年代にしかない輝きにあふれた彼女たちの日常にスポットを当て、映画を観る私たちには過去のものになってしまった、あの頃の美しさを思い出させてくれます。
主人公たち、共通一次試験を最初に受けた学年という設定で、私と一つ違うだけなのです。不自然な美少女は登場せず、どこにでもいるような普通の女子高生ばかり。演技力もそうあるとは思えない。田中麗奈はこの映画がデビュー作だったそうですが、目力こそありますが私にはフツーの人ですよ。でもそこがまた、味があっていいんですよね。
長野県産ワイン 飲みもの、お酒
20240708
先月、当社ではワインの試飲会を5年ぶりに開催しました。今頃ですが振り返ってみます。飲食や宿泊のお客様を対象とした関係で、本欄で多くのワイン好きの皆様に告知できなかったこと、申し訳ございません。
駒ヶ根での開催、60店近くのお客様にご来場いただきました。日頃から私共がお世話になっているインポーターの東亜商事さん、日欧商事さん、エノテカさんのブースに加え、今回の目玉としてワイン業界でトレンドになっている長野県産ワインをご紹介しました。
県産ワインは日本のワイン産地の中でめきめきと評価を上げつつあり、サミットや国賓の晩餐会などでも今や当たり前のように供されています。2023年現在でワイナリーの数は75か所と、この10年間で3倍以上になりました。長野県もワイン振興には非常に力を入れていて、「信州ワインバレー構想2.0」を策定し意欲ある生産者を後押ししています。
昨年3月に長野市で、今年2月には松本で開催された県産ワイン試飲会に出向き、さまざまなアイテムを試してみました(長野の試飲会は本欄でも書きました)。これはと思ったワイナリーさんにコンタクトを取り、扱いを始めましたが、本格的にお客様に紹介するのは今回が初めてです。
8つのワイナリーさんに協力いただき27品目を並べました。いずれも南信地域ではあまりお目にかからない銘柄で、プロの飲食店の方も初めて口にされるワインが大部分だったと思います。協力スタッフとしてブースに立ってくれた地元のワインラヴァー、Hさんの的確なアドバイスもあり、大きな反響でした。
来場されたあるイタリアンのご主人は、これまでイタリアワインだけを置いていたが地元の長野県産はと訊かれることも多くなり、品揃えとして必要だとおっしゃっていました。観光地信州でお酒を提供するお店であれば、洋食はもちろん居酒屋でも食堂でも中華でも夜のお店でも、ぜひ良質な長野県産ワインを置いていただきたいと思いますが、そのきっかけは作れたかなあ。
今回の試飲会では長野県産のみならず各輸入商社の商品も含め、予想を大きく上回るご注文をいただきました。5年ぶりの開催ということもあるでしょうが、ワインを取り扱い商品の柱の一つに育てていきたいと思っている私共にとって、大変手ごたえを感じた一日でした。ご協力いただいた方々に感謝申し上げます。
夕鶴、苦労話など(2)音楽ばなし
20240706
オペラは歌がメインであって、歌をかき消してしまう打楽器の大音量は歓迎されません。たいていのオペラでは打楽器の出番はとても少ないのです。でも少ない音の一打一打に深い意味があり、大切です。
夕鶴も例外ではありません。今回、ティンパニの私とその他5種類の打楽器をすべて掛け持ちしたSさんと二人でやりましたが、ちょっと叩いては100小節、ちょっと叩いては200小節と膨大な休みです。以前やった出番だらけの「カルミナ・ブラーナ」とは大違い。
次の出番まで、休みの小節を数えることが大変。曲を覚えていれば全部を数えなくたっていいのですが、こう長いと紛らわしいところも多い。ふだん私たちが手掛ける曲は「ここで打楽器出番だぞ!」と誰もが思うところに音符があるものですが、前述のようにオペラは突然の場面転換も頻繁にあり、ただ予測するだけでは落ちてしまいます。
ちなみにオケ用語で「落ちる」とは、本来音を出すべきところで出られず、音楽に穴をあけてしまうことです。小節や拍子の数え間違い、思考の一瞬の空白など理由はありますが、100%本人の責任なので周りからは白い目で見られ文字通り落ち込みます。(あまり気にしないメンタルの強い人もたまにいますが)
さらにティンパニには途中で太鼓の音程を変える場所があります。他の楽器が演奏している音や調を耳で聴きながら合わせます。どこから音を取るのかはあらかじめ総譜を見て探し、楽譜に書き込んでおきます。演奏中に音替えをする時はどうしても(私の場合)一時的に楽譜のことがお留守になり、その間に拍子が変わったりするともう大変です。
主人公「つう」が、自らの命を懸けて最後の布を織り始めるところ。ハープのグリッサンドと小太鼓、大太鼓が機織りの音を模した音型を演奏します。つうの正体が鶴であると悪党たちにわかってしまい、「決して織っているところを見ない」と固く約束した与ひょうも逡巡の末、好奇心に負けてとうとう機織り部屋を覗いて見てしまいます。夕鶴のクライマックスです。
私は機織りの場面が始まるといつも、破局に向って止めることのできない時計がついに動き出したような思いがし、胸が締め付けられます。きわめて印象的なハープと打楽器の音型は、与ひょうが茫然自失し家を飛び出し、第二部(翌日の夕方)になっても延々と続けられます。その数、180回!
同じような音型を機械的に繰り返すのではなく、感情の高ぶりや弛緩に合わせて(というより、音楽をリードして)演奏する、とてもやりがいのある仕事です。プロのハーピストと共にしっかり布を織り続けたSさん、お疲れ様でした。
夕鶴、苦労話など(1)音楽ばなし
20240703
木下順二の戯曲に團伊玖磨が作曲したオペラ「夕鶴」。上演回数はこれまで国内外で800回以上、日本人によるオペラでは群を抜いた人気を誇る傑作です。私もこれまで実演に二度接し、2011年9月に小規模な公演を観た感想を本欄に書いてもいます。
中学生の頃、演劇クラブで夕鶴公演に加わった(裏方です)ことがあり、この戯曲には昔から馴染んでいます。人間の弱さ、お金への欲望のむなしさ、そのために失ったものへの惜別、分かり合えない価値観など、民話に題材を取ってはいますが現代の私たちにいくつもの問いを投げかけています。
演劇からオペラになって詩情あふれる音楽の素晴らしさが加わり、物語の魅力を倍増させました。このオペラに自分が参加することになるとは想像していませんでしたが、先日ついに伊那フィルで演奏してしまいました。
伊那文化会館主催の「市民オペラ」として、プロの指揮者、歌手、演出、スタッフたちにアマチュアのオケと児童合唱が加わった企画です。(大人の合唱パートはありません。そもそも原作に他の登場人物が存在しない)
長い曲、初練習の時、正味二時間半の練習なのに曲の半分くらいまでしか音を出せなかったことにまず驚きました。これは大変なことになるなあ、と。
オペラですから、まず歌があります。四角四面なテンポではもちろんなく、場面ごとに(瞬間ごとに)歌手たちは節回しで微妙なニュアンスを表現します。それを支えていくのがオケですが、経験から伊那フィルは曲をある程度つかんで体に入ってしまえば柔軟性を発揮できますが、それまでに結構期間が要るのですよねえ。
昨年末から練習が始まりましたが、予想にたがわず6月末の本番直前まで、ホントにこんな曲できるんだろうか、と思う日々でした。劇と一緒に音楽が進んでいくので、会話の中で驚いたり、突然凹んだり狂喜したりするのを音楽で裏打ちしていくのです。交響曲などではまず現れない、オペラ独特の表現。集中力が問われます。
それでも歌のソリスト(皆さん声量も表現も素晴らしい)と合わせの練習があってからオケも急成長しました。やはり具体的にイメージできると違います。本番前は木曜日から4日連続という伊那フィル史上初めてのハードスケジュールに、皆さんよくついてきたなあと思います。