お坊さんの食事食べもの
20160709
ミャンマーは仏教国。臙脂色の袈裟をまとったお坊さんが常に街を歩いて托鉢し、人々も敬意を絶やしません。お坊さんたちは普段、何を食べているのでしょうか?
バゴーの「チャカッワイン僧院」というところで、その一端を垣間見ることができます。ここは1000人規模の修行僧が暮らすミャンマー最大級のお寺で、彼らの食事を見学することができ、バゴーの著名な観光スポットとなっています。食事は1日2食だそうで、観光客が見られるのは11時からの昼食タイム。
裸足になって石の廊下を歩きます。奥の方に広い厨房があり、数人のお坊さんが料理を作っています。イモや肉の煮物。汁。野菜。同じ部屋の一角では寄進者の女性たちが果物(グァバ)の皮を剥いています。
厨房の向かいに広い食堂があり、数十の丸い卓袱台が並べられています。できた料理が巨大なお盆に乗って運ばれ、テーブルごとに配膳されて僧たちの来場を待ちます。
11時。板木と鐘が打ち鳴らされるのを合図に、僧たちが一列になって入場してきます。それなりのお年の方もいますが、大半は若い人で、中には明らかに小学生くらいの小僧さんもいます。廊下には何人かの寄進者が立ち、通っていく僧たちにお菓子などを配っていましたが、あんまり人数が多いので途中でお菓子が終わってしまいました。全員が入場するのに、15分以上かかったでしょうか。
僧たちは食堂の入口で大釜からご飯を受け取ってから、卓袱台に分かれて座ります。お食事前の長いお祈り、それからようやく食事になります。見るからに食欲旺盛、モリモリとご飯やおかずを口に運んでいました。このあと夜寝るまで食べられないんだものね。
後で知ったのですが、食事はすべて僧たちが托鉢でいただいた寄進によって賄われ、寄進が多ければおかずがさらに何品も増えるのだそうです。これは切実なことですね!この日は、あまりおかずの多い日ではなかったように見えました。そういえば、広い厨房のほんの一部しか使われてなかったですな。
ミャンマーの食事食べもの
20160707
かの「島耕作」氏も現在ミャンマーに滞在中のようですね。モーニング先週号でミャンマー産のワインが登場し「なかなかいける」と言っていました。同じワイン(Aythaya Wine)を私も現地で飲みましたが、暑い中、ガブ呑みにはいいと思いました。赤は「シラーズ+ドルンフェルダー」という聞いたこともないブレンドで、白は「ソーヴィニヨンブラン+シュナンブラン」でした。
私の滞在は2泊3日、食事は一日目の夜、二日目の3食、三日目の朝昼しか食べていません(朝食はホテルのビュッフェ)ので、本当は「ミャンマーの食事」などと偉そうに語る資格もございません。旅行社のアレンジしてくれる食事は「誰でもそれなりに事故なく食べられる」ことが第一でしょうから、似たようなものになりますね。
ミャンマーはお米の国、基本はカレーみたいなものをご飯にかけていただきます。タイのように激辛ではなく、ベトナムのように葉っぱ葉っぱしてもおらず、穏当な味。油が多いです。具は肉、イモ、野菜。魚はお目にかからなかったな。写真1と2はミャンマー郊外の古都バゴーのレストランで出たものですが、ご飯はもちろん長粒米で、たいへんおいしいです。
写真3はホテルの朝食(を私が皿に取ったもの)。カレーの3種盛り。ビュッフェコーナーの半分は純洋食メニュー、半分はオリエンタルなメニューで、フォー(米麺)もありました。奥は豆スープ。
写真4は1200年の歴史を持つバゴーの寺院シュエモードー・バヤーの入り口にあった屋台です。すり身、フランクフルト、野菜などさまざまな材料を串に刺して素揚げにしています。いくら私でも、このようなものを買い食いする勇気はありません。
写真5はヤンゴンで夕食をとったレストラン「ハウス・オブ・メモリーズ」。スーチー女史のお父上、アウンサン将軍の執務屋敷を改装したものだそうです。写真6は将軍のデスクをちょいとお借りして、私が執務をしてみたところです。
あとミャンマーのビールMyanmar Beerは大変おいしい。東南アジアのビールはタイのシンハーやチャーン、ベトナムの333、どれもおいしいですね。あれだけ暑くて湿気も多いのだから、どんなビールでもおいしいとは思いますけど。
関連リンク: ミャンマーワインのHP
ミャンマーの水産現場(2)しごと
20160705
水揚げ場の写真、もう少し。。
1 船からプラスチック容器に一杯に詰まった魚が降ろされます。手前に見えるのは降ろされた魚。次の漁のために空容器を積んでいるところ。
2 タンクはそのまま水揚げ場に運ばれ、コンクリートの床に…
3 ご覧のようにぶちまけられ、選別されていきます。豪快です。ウナギの仲間だと言ってましたが、ウナギとは違いますね。ちょっとグロテスクで獰猛な顔をしていますが、まあ似たようなものかな。
4 マナガツオ、みたいな魚。
5 「クログチ」だそうです。
6 こちらは「アカグチ」だそうです。
この日の魚種はだいたいこれで全部、という感じでした。
ミャンマーの水産現場(1)しごと
20160704
このブログ、これまで一本の記事に1枚しか写真を載せられなかったのですが、今回の一連の記事を書くのを丁度いいきっかけと思い少し手直しをして、複数の写真をつけられるようにしました。引き続きお楽しみください。
現地の食品商社社長さんの案内で、なかなか見ることのできないヤンゴン町はずれの水揚げ場&市場の内部を、特別に見学させていただきました。(もちろん行程はすべて伊那バス)
それほど大規模な水揚げ場ではありません。そんなに大きい船が接岸できるようにもなっていないようです。
周辺海域は水産資源に富んでいるミャンマーですが、まだ養殖技術が普及しておらず、採取の段階で魚種やサイズを揃えることがまだできません。写真2は女性たちが海老を選別しているところです。6つほど並んだカゴに一尾ずつポイポイとじょうずに投げ入れています。海老は見たところバナメイが多いようです。
青いプラスチックの大きな樽に氷と一緒に入ってくる各種の魚介は、船から降ろされ岸壁と接したこの選別スペースに運ばれ、ドバーッと床にあけられて、手作業の選別を受けます。選別係の女性たちはそこそこいい報酬を手にするみたいです。それから同じ敷地内のセリ場で入札を受け(全部ではないと思うが)運ばれていきます。
なかなかおいしそうな海老です(この時点なら鮮度はバッチリでしょう)。そういえば、ミャンマーでの数少ない食事の機会で、海老って食べた記憶がないな(私が忘れただけかも)。お国の人たちは、あまり海老は食べないのでしょうか?
海老を選り分けている女性の顔に白っぽいペーストが塗られているのがおわかりですか?これはミャンマー独特の化粧品で「タナカ」というものです。子供から年配の人まで大多数の女性が、フェイスペインティングのようにつけています。日本の田中さんとは関係なく、thanakaというミカン科の木のエキスで、お肌がつやつやになり、吹き出物ができにくく、日焼け防止効果もあるとか。(頬の一部だけ日焼けを防いでも、むしろ困るのでは?)
ミャンマー女性の肌が美しいのは、このタナカのおかげだそうです。土産物としても売ってますが、買って帰っても差し上げた日本女性たちが、果してつけてくれますかね。
ミャンマー訪問しごと
20160701
機会をいただいて、先日ミャンマーとタイへ数日間行ってきました。大勢の団体ツアーでしたが、快適に過ごすことができました。
私はタイは3度目(前回は2010年6月)ですが、ミャンマーは初めてです。ミャンマーといえば名作「ビルマの竪琴」(おーい、水島、日本に帰ろう!)、長年続いた軍事政権とそれに対抗してきたアウンサン・スー・チー女史の民主化運動、あとは世界に名高いバガンの仏教寺院群くらいしか知識がありませんでした。
ミャンマーで食料品の貿易を手掛けている専門商社の社長さんや現地日本大使館の書記官の方からレクチャーをいただきながら、僅か二泊三日ではありましたが新しく動き始めた国の胎動を感じることができました。
ミャンマーはそもそも、東南アジアでは群を抜く民度と経済力を誇っていたとのこと(今でも国民の識字率はきわめて高い)。古くはアユタヤ王朝の時代から、第二次大戦後までずっとそのポジションを守ってきました。
ところが軍事政権になってから、鎖国的政策をとって国外との交流通商を制限したり、民主化運動を繰り広げる大学生たちを地方に追いやったりして徐々に国力が落ち、タイやベトナムに完全に後れをとってしまったそうです。(カンボジアなどと共通しますね、あれほどひどくはないにしても)
昨年11月の選挙でスーチー派が勝利し、3月に新政権がスタートしたばかりです。日本政府は以前からスーチー派の勝ちを見越して水面下でさまざまな支援策について意見交換を始めていました。ミャンマーは農業国で水産資源も豊富です。しかし栽培・採取したものをきちんと商品化し貿易まで持っていくまでのインフラ整備が大きな課題です。(そもそも電力事情が悪く、日々停電が当たり前のようにおこっています)
車は乗用車もバスもトラックもほぼ100%、日本の中古車です。道は右側通行なのに、どの車も右ハンドルという不思議。かつては宗主国イギリスの影響で?左側通行だったが、軍事政権時代に右側に変更されたのだとか。写真は、現地で3日間乗った我らが「伊那バス」。帰国して伊那バスの社長さんに聞いたら、各国で目撃情報をいただくがミャンマーは初めて、とのことでした。
ミャンマーとタイで見たもの、何回か書いてみましょう。