王滝村へ (4)音楽ばなし
20170630
ファミリーコンサートも、いよいよ終盤です。。
1~3、これは伊那フィルならではの大サービスだと思いますが、休憩時間に「楽器体験コーナー」を行っています。私たちの命より大事な楽器を子供たちに触らせてあげる、まことに勇気ある(学校の教頭先生が終わりの挨拶で言っていました)企画です。
こうしたコンサートでは毎回やっており、行った学校によって子供たちの反応がいろいろですが、王滝の子たちは積極的でどんどん入ってきていました。こうした体験が心に残って、将来オーケストラをやりたい!なんて思ってもらえるといいですね。
4、子供たちと。結局、配置を変えて子供たちを前に出し、歌声がよく聞こえるようにしました。はるか彼方にいるオケは指揮がよく見えず、やりづらかったことでしょうが、音優先ということで。
私が1曲、王滝の音楽の先生が1曲、そして中学生の女の子(ヴァイオリンを習っているそうな)は校歌を指揮し、最後アンコールに定番「ふるさと」を私の指揮で会場の皆さんと一緒に歌ってお開きとなりました。
5、楽器と会場を片付け、トラック(みんなはバス)に乗って伊那に帰ります…
ファミリーコンサートはどこで開いても、子供たちの反応がストレートでいいです。こちらの予想通りノッてくれると「やったね!」という気持ちになります。
王滝は人口800人に満たない過疎の村で、村議会を廃止して直接民主制をとることさえ考えられ始めているようです。地震の被害が少なくて良かったと今にして思います。豊かな自然の中でのびのび育つ子供たちと一緒に過ごした、実に気持ちの良い一日でした。
ラッキーヱビス 飲みもの、お酒
20170628
右と左のビール瓶。よく見ると、ちょっと違う。
左のラベルでは、恵比寿様の魚籠から鯛の尻尾が見えています。
昨夜ある会で飲んでいて、飲食店経営者のMさんが気が付きました。
通常のヱビスビールのラベルは右。左のバージョンは「ラッキーヱビス」と呼ばれ、数百本に1本しかめぐり会うことがないのだそうな。以前どこかで聞いたことがありましたが、忘れていました。
お菓子の世界では、このようなレアアイテムを使ったお遊びがいろいろあるようです。「コアラのマーチ」とか「おっとっと」とか。
その気で探さなければ恐らく見逃してしまうラッキーヱビスに遭遇できて、何かおめでたいことがあるといいですね。
関連リンク: 実在する都市伝説!ラッキーヱビスの正体を徹底追求
王滝村へ (3)音楽ばなし
20170626
地震はお二人の軽傷者が出て、余震もあるものの、大きな被害がなかったようでひと安心です。コンサートの一日、続きです。
1、リハが終わって昼食タイム。腹が減っては演奏できぬ。お弁当は、ふだんの定期演奏会などでもそうですが、各自調達です。私は以前はコンサートの前には殆ど食べないようにしていた時期もありましたが、今は普通に(やや軽く)食べています。
2、時間があったので校内をちょっと見せてもらいました。木曽は林業の地ですから、多くの学校で校舎に木材をふんだんに使っています。これは正面玄関に鎮座する校歌のモニュメントで、巨大な一枚板でできています。この校歌は信州が生んだ作曲家で数多くの管弦楽曲も残している、小山清茂氏の作曲によるもの。
3、生徒玄関にも木がたくさん。
4、本日のプログラム。第一部は伊那フィル単独、第二部は小中学校児童生徒の単独ステージ。第三部は特別ゲストの地元声楽家、村上和歌子さんとの共演、そして子供たちとの共演。
5、本番が始まりました。客席は、子供たちも含めて100人くらいかな。音楽教室には必須の「オーケストラの楽器紹介」もやりました。写真は地元木曽から長駆参加しているメンバーK君が、ヴァイオリンの紹介をしているところ。K君の使っている楽器は、木曽にゆかりのあるヴァイオリン製作者、陳 昌鉉氏の手によるものだそうです。東洋のストラディバリとも称される人だそうで、お恥ずかしいが今まで知りませんでした。
6、村上和歌子さんと。木曽で子育てをしながら二期会に参加し本格的な演奏活動もしている方で、これまで何度か伊那フィルと共演しています。美声で、表現も素晴らしいです。
王滝村へ (2)音楽ばなし
20170625
ついつい忙しくて、ブログの続きを更新できていませんでした。今日は王滝コンサートの続きを書こうと思っていた日曜朝、その王滝で「震度5強」の速報。地震発生から2時間ほどたった今のところ、停電・断水・落石などはあるものの大きな被害が出ている情報はありませんが、大丈夫でしょうか?
1984年9月に起こった「長野県西部地震」は王滝村直下を震源とする震度6の地震で、地震による直接の被害というよりも前日までの雨で地盤が緩んでいたために大規模な土石流が起き、死者行方不明29人という惨事になりました。
梅雨入りしたとはいうものの最近は大した雨も降っていませんでしたから、そちらの心配はあまりないようにも思えますが。
また様子を見て記事の続きを書きましょう。なお駒ヶ根では、大した揺れはありませんでした(震度2)。
王滝村へ (1)音楽ばなし
20170619
伊那フィルでは何年かおきに、小学校などを訪れてファミリーコンサート(音楽教室)を催しています。。今年はいつも練習の拠点となっている地元の「富県小学校」、そしてちょっと足を伸ばして、木曽の「王滝小中学校」(子供の人数が少ないため小中が一緒になっている学校です)で二度の演奏会を行いました。
2003年にも王滝でコンサートを行ったことがあるのです。当時私は伊那フィルを休団中で参加していませんが、とても心温まる歓迎をしていただいたとの話は聞いています。
王滝村での一日を追ってみたいと思います。
1~2、王滝には駒ヶ根からクルマで約1時間半かけて行きます。私は楽器のトラックに同乗。学校のすぐ近くまで山で囲まれています。写真2の里山のすぐ向こうに、2014年に噴火した御嶽山がありますが、学校からは見えません。
3、9:00学校到着。数人の先発隊が既に椅子を並べてくれています。楽器を降ろし、セッティングをしているうちに他のメンバーもチラホラと集合していきます。本体のバスが着いたのは9:30頃。(写真3)
4、軽く音出ししたあと、10:00からリハーサルを始めます。コンサートマスターが中心になってチューニング(音合わせ)をしているところ。
5、リハーサル。時間がたっぷりあるわけではないので、確認程度です。
6、学校の子供たちの歌と一緒のリハーサル。王滝小中学校は全校生徒・児童37人です。「翼をください」、嵐の「ふるさと」、校歌などを共演しました。ちょっと子供たち、緊張しているのか声が出てこない。朝ごはん食べてきたか~?と聞いたりしてなごませようとしますが、元気ないですね。どうしよう。
続きます。
関東大震災のときしごと
20170616
日経新聞の連載小説「琥珀の夢」(伊集院静)、なかなか面白い小説です。。サントリーの創業者、鳥井信治郎の伝記で、子供の頃の丁稚奉公から独立してめきめきと才覚を表し、「赤玉ポートワイン」を苦労の末に開発して大ヒット、今度は国産初のウイスキー製造を目指しています。これがすなわち、琥珀の夢。
今週の連載で信治郎は、関東大震災で壊滅的な被害を受けた東京へ船をチャーターして救援物資を運び、大得意先「国分商店」(今も食品卸業の雄として、一兆八千億円の年商を誇る)を訪れて納品伝票の束を破り捨て、売掛金をチャラにする男気を見せます。
これを読んで、当社の昔のエピソードをご紹介したくなりました。
当社創業者、春日喜一の残した日記があります。和紙に筆書きで私にはすぐには読めない部分が多いのですが、数十年に渡って会社創業からの業務や家族の記録がつけられております。亡き父が元気であれば、これを読みやすく改めて、社史を編纂してくれたことでしょう。
当時の諸届の写しや行事に用意したものなど、大変貴重な記録だと思うのですが、その中の一節に、関東大震災のことが書かれています。
…東京が大被害となったことを受けて、喜一は東京の仕入先に買掛金を急いで支払わせるべく、二代目となる息子、恒雄(私の祖父)に現金を持たせ使いに出し、一方で自らは大阪へ飛び急場の品不足をしのぐための砂糖の買い付けに動いた。
さらっと書いてありますが、大正時代のこと、東京や大阪へ赴くのもひと仕事であったことでしょう。商売でお世話になっているお取引先のためにできることを考え、同時に自らの商売が途切れてお得意先に迷惑をかけぬための危機管理をしたご先祖様のことを思うと、気持ちが引き締まります。
羽島のれんこん食べもの
20170613
当社の商売の柱になっている業務用珍味。その大事な仕入先「ジーエフシー」さんが初めて本格的な展示会を行うということで、岐阜県笠松町の同社本社へ行ってきました。
展示会の内容はまた商売を通じてお客様にお見せできると思います。多くのメーカーさんが集まり、新しい企画ものや、日頃取り扱ってはいても実際に味をみることの少ない商品をいろいろと試食することができました。とても良い機会をいただいたと思います。
さて出張に行くからにはどこかでお昼を食べるわけですが、岐阜のこのあたりで特色ある食べ物って何だろう?探してみますと…岐阜羽島の「れんこん」が名物らしい(羽島市と笠松町はすぐお隣です)。名産地なのだそうです。れんこん料理を食べさせるという「竹扇」というお店に行ってみました。
食べたのは当店人気の「れんこんの蒲焼」「れんこんカツ」が両方入ったお弁当。蒲焼は、すりおろしたれんこんを海苔に塗り付けて、タレをつけて焼いたもの。れんこんカツは、輪切りにしたれんこんに薄切りの豚肉を巻いて揚げています。これは普通のとんかつに結構近い味わいがありますね。
あと箸休めにれんこんの酢漬けもついています。お昼ですからボリューム的にはこの位のものでしょうか。どちらもおいしくいただきましたが、ちょっとお値段は高めかも。
できればもっといろいろ、れんこん尽しといえるくらい食べてみたいですね。私はきんぴらも好きだし、煮しめに入ったれんこんもいいし、熊本名物の辛子蓮根は見かけるとついつい買ってしまいますし、れんこんの天ぷらならお腹いっぱいになるまで食べたいです。はっきり言って大好き。れんこん自体はローカロリーでヘルシーな印象がありますから、いくら食べてもいいんじゃないでしょうか?(ホントかな)
こうしたポピュラーな素材で名物を作るのには難しさもあるかと思いますが、れんこんのアイデア料理コンテストを開くとか、いろいろ工夫できるかもしれませんね。
連敗どこまで続く日々雑記
20170609
どこまで負けるか巨人軍。昨日で13連敗となり、球団ワースト記録を更新しました。相手の西武は13安打で13得点という徹底ぶりです。
プロ野球にそう興味は持たないが、しいて言えばアンチ巨人、という程度のスタンスでいる私です。こんな私でさえも心配になってしまうくらい、ジャイアンツは勝てません。
一昨日や昨日のスポーツニュースを見ていても、みんな元気ないな。ここまで来たらヤケクソでもいいから振り回しゃいいのに、投手も打者も、やることなすことすべて裏目。沈んだベンチ、高橋由伸監督のうつろな目を見るのも何だかつらい(いちおう後輩だし)。いい奴だと思うのですがね、休養とかの声もそろそろ出てくるのでしょうか。
不思議なのはこれだけ負けていて、まだ最下位になっていないということです。現在の最下位ヤクルトもまた、引き分けを挟んで8連敗中なのですね、付き合いのいいチームです。どっちに先に陽が射すのか見ものです。
比べては気の毒ですが、楽天の則本、8試合連続二ケタ奪三振、お見事、凄い。7試合目の巨人戦は(私にしては珍しく)TV観戦しましたよ。まさに快刀乱麻。力がありますねえ。勢いに乗っている選手というのは、ホント目の色が違う。
ここまで来たら巨人も則本も、どこまで続くか、見ものです。G党の方にはたいへん失礼しました。
竹の花が咲く日々雑記
20170607
120年に一度だそうですが、このへんでもこんなことが起っているのでしょうか?。。
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(読売新聞)約120年周期とされてきた竹の一種「ハチク(淡竹)」の開花が各地で相次いで確認されている。
これまで明治末期に開花したとの記録が残るだけで、開花は今後、全国に広がる可能性がある。専門家は「謎が多かった生態を解明する好機」と期待する一方、開花後に竹自体が枯れて土砂崩れを引き起こす恐れも指摘している。
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竹の種類によって開花周期は異なり、孟宗竹は67年、マダケは120年であるようです。なぜ66年でも68年でもなく、67年なのか(セミの出現みたいに素数と関係あるのかな?)。凶事の前兆だとされ、昔からしばしば物語になっていますよね。竹の花が咲いたあと実がつき、それを食べる野鼠が大繁殖。竹を食い尽くしたあとは農産物を食い荒らし、大凶作になる…
開高健の出世作「パニック」がこのストーリーを基に、お役人組織の中の処世を皮肉っぽく描いています。ネズミは出てきませんが、昔の特撮ドラマ「ウルトラQ」では「虹の卵」の回で、やはり竹の花が禍を招く伝説を取り上げています(よく覚えているもんです)。
当地ではどこにでもある、うっそうと繁る竹林。1本1本の竹は地中の根でみんなつながっており、竹林全体が一つの株なのだ、と聞いたことがあります。竹は花が咲いたときが寿命の尽きるときで、実をつけてそのまま枯死してしまいます。すべての竹が一斉に開花し一斉に枯れてしまうのを見て、伝染病だと思われていた時期もあったのだとか。
記事にある通り竹林が枯れると地盤が緩み、崖崩れの原因になったりすることがあるそうで、こうしたことから凶事と結び付けられているのかもしれません。
竹といえばやっぱり筍ですが、長野県下では竹の分布が南北でかなりはっきりしており、南は太い孟宗竹、北は細いネマガリダケ(じつは笹の一種)。直径10㌢になるようなここいらの太い筍を見たことがない方が北信には多いそうで、これを聞いたときは大変驚きました。ネマガリダケと鯖缶の煮物は北信の郷土食として有名です。北信地域での鯖缶の売れ行きは、缶詰メーカーさんによれば全国的にも極めて特異なものだそうですよ。
恐るべき子供たち日々雑記
20170602
“enfant terrible”が次々と活躍しています。。
将棋の14歳、藤井聡太四段は公式戦デビュー以来の連勝を19に伸ばし、どこまで続くか日本中の注目を集めています。一方で昨日は、世界卓球で13歳の張本智和選手が日本のエース水谷隼を破ったというニュース。いやはや恐るべき子供たちです。
こういう子たちを見るにつけ、どうやって育ったのだろうと思いますね。
張本選手は中国の卓球選手だった両親から英才教育を受け(張本選手自身は3年前に帰化し日本国籍)、頭角を現したらしい。卓球って、卓球台から頭だけ出していた幼いころの福原愛ちゃんのように、身長のハンデとかそんなに関係なく訓練を積めるのですかね。
今回の相手水谷隼は、世界を照準に頂点を目指す、脂の乗り切った第一人者です。もちろんスポーツ競技は、強い者がいつでも必ず勝つというものではないですが、ちょっと前まで雲の上の人だったであろう先輩に大舞台で勝った自信は、張本選手をさらに一段成長させる大きなきっかけになることでしょう。
藤井四段の家族は特別に将棋一家というわけではない、ごく普通の家庭だとのこと。5歳のときにお祖母さんが与えた「スタディ将棋」なる玩具に強い興味を示し、飽かずに遊んだそうです。小さい子でも駒の動かし方を覚えられるようなものらしいですが、親戚の子たちは特に興味を示すことがなかったとか。
彼が持っていた天賦の将棋の才を、それべしの小さい頃に引き出すことができたからこそ今の姿がある訳で、やはり原石を見つけ出す偶然とタイミングが大事なのだなあ、と思いますね。
そうは言っても藤井四段はまだ、プロの中での本当の強豪(羽生義治とか佐藤天彦とか渡辺明とか、いわゆるA級棋士たち)を連破しているわけではありません。プロとしては若手同士の対戦の結果の連勝です。これからぶつかっていく猛者たちに叩きのめされる場面は必ずあるでしょうが、それでも若武者の活躍は楽しみです。
恐るべき子供たちがさまざまな分野で登場するのは、嬉しいことです。なお私のヘボ将棋は、せいぜい5手詰めレベルくらいのものですので、その辺は差し引いて下さい…