追悼 ドゥドゥ・ニジャエ・ローズ (1)音楽ばなし
20150928
セネガルの生んだアフリカンドラムの巨匠、ドゥドゥ・ニジャエ・ローズ氏が先月逝去されました。享年85歳。
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(CDジャーナルのサイトより) ドゥドゥ・ニジャエ・ローズは1930年、セネガル・ダカールのグリオの家系に生まれ、子どもの頃から民族楽器タム・タムを学び、15歳で独立。その後は伝統的な奏法に新たな試みを加え、ローリング・ストーンズやマイルス・デイヴィスをはじめ、さまざまな音楽家と共演。また、彼の血縁者で結成されているドゥドゥ・ニジャエ・ローズ・パーカッション・オーケストラを率いて多数の来日公演を行ない、各地で開催したワークショップを通じて文化交流にも貢献しました。
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迂闊にもつい最近までこのニュースを知らずにおり、先日偶々ネットで記事を見つけました。青年会議所でドゥドゥとその一族を駒ヶ根に招き、数回のワークショップとコンサートを初めて開いたのは1996年。その後も彼らとの交流は続き、私自身にとっても、それまでと別次元の音楽の世界を教えてくれた人でした。
グリオというのは「語り部」のこと。セネガルではすぐれたグリオはとても尊敬されています。タムタム(セネガルの太鼓の総称)のリズムは彼らの持つ言葉と密接な関係があり、その音楽の土台となっています。アフリカの大地に根差した伝統的なリズムを進化させ、極めて複雑かつ凄まじい迫力を持つパフォーマンスを、息子たちと作り上げました。
初めて駒ヶ根に来たときはすでに65歳でしたが、舞台の上で自ら飛び跳ね、踊りまくり、息子ら15人の打楽器奏者を統率し一糸乱れぬ演奏を披露。私が最後に彼のステージに接した2006年にも、飛び跳ねる高さこそ幾分控えめになっていたものの、その年齢からは想像できない、エネルギッシュなプレーを見せてくれていました。
この小柄な老人のどこにこれほどのパワーが…と思いましたが、彼がステージに出てくるとそのオーラが会場全体に広がり、司祭を思わせるカリスマが一族のみならず観客すべてを飲み込むような独特の力がありました。
彼らとの思い出、そして私とアフリカンドラムの関わりを、何回かにわたって書いてみようと思います。