追悼 どくとるマンボウ読んだり見たり
20111027
作家、北杜夫氏が亡くなりました。私の少年時代に読書の楽しさを教えてくれた人がまた一人、世を去りました。
星新一、遠藤周作、そして北杜夫の3人はあの頃の中高生に本当によく読まれていました。今の子たちはどうだろう、殆ど知らんだろうな。
私は中学生の頃この人の本と出会い、むさぼるように読み、学校の自由研究では彼の作品論?に挑んだほどの大ファンでした。この頃までの主な作品は、中学時代に大体読んでいます。
処女作「幽霊」、芥川賞受賞作「夜と霧の隅で」などいくつかの短編集、ユーモア小説「高みの見物」「奇病連盟」「さびしい王様」、そして長編「楡家の人びと」「白きたおやかな峰」、数々のエッセイ、対談、等々。
彼自身のニックネームともなった「どくとるマンボウ」シリーズは、もっとも多くの人に愛されました。中でも特に有名な「航海記」「昆虫記」「青春記」は、それぞれユーモアあふれる軽妙な筆致の中に、青年の一途な心や情熱が(控えめに)ちりばめられ、他にない独特の魅力を備えています。
出世作となった「航海記」では、今では考えられないほど遠かった憧れの海外へ、船医となって渡る著者のさまざまな見聞が初々しい。多くの読者は、同時期に発表されたシリアスな「夜と霧の隅で」と「航海記」のあまりのテイストの違いに戸惑ったそうです。私もそうでした。
幼い頃から熱心な昆虫ファンでもあった彼は「昆虫記」で、さまざまな虫たちをめぐる楽しい物語を紡ぎます。病気がちだった少年を慰めてくれたのは、布団の中で飽きずに眺めた昆虫図鑑でした。ある時、ふと飛んできた虫の名(ビロウドツリアブ)を自分が知っていることに気づいた喜びを、極めて抑えた筆致で書いています。とても印象に残っています。
そして名作「青春記」では、終戦前後の混乱の時代、旧制松本高校から東北大学医学部へと進む疾風怒濤、破天荒の学生生活を描きました。どれだけ多くの学生がこれを読んで旧制高校のバンカラ気風に憧れたことでしょうか。ここで生まれた信州とのつながりは生涯続きました。
余談ですが、青春記に登場する松高の名物教師「ヒルさん」こと蛭川幸茂さんには、私の大叔父もかつて教えを受け、我が家へお越しいただいたこともあったと聞いています。
彼の書くユーモア(彼が若い頃から心酔したドイツ文学で言う「フモール」というやつですな)は、ハチャメチャなようですが、含羞を感じます。物事の本質はこれだ!と声高らかに唱えるのでなく、笑いの陰からそっと現れる真実に心の優しさが垣間見え、とても魅力的です。たまにTVなどで見せた姿も、その通りのお人柄だったように思いますね。
躁鬱病に苦しみながらも、自分を精神科医としての眼で客観視しながら物語のネタにし、笑いで包んで人々を楽しませたサービス精神にも頭が下がります。
株やギャンブルで有り金を使い果たしたり(これはとても洒落にならなかったようですが)若い頃親しんだ登山が嵩じて標高7000mを越えるカラコルム山脈への登山隊に医師として参加したり、なりふり構わぬ熱狂的な阪神ファンであったり、さまざまな姿を持った人でした。
心からご冥福をお祈りします。