追悼 エディタ・グルベローヴァ(2)音楽ばなし
20211024
ミュンヘンで目の当たりにしたグルベローヴァにすっかり魅了され、来日したら絶対に行こうと決めた私。その機会は意外と早く訪れ、90年、93年、95年のソロリサイタルに行くことができました。
90年12月の「コロラトゥーラの芸術/オペラ・アリアの夕べ」の白眉はなんと言ってもドニゼッティ「ルチア」の“狂乱の場”。超絶技巧と深い表現力が問われる難曲です。後半のフルートとの会話、絶妙でした。またドリーブ「ラクメ」“鐘の歌”の軽快さ、トマ「ミニヨン」の“私はティターニアよ”の豪奢な響きも素晴らしい。
93年春の公演ではドニゼッティ「連隊の娘」の堂々たる歌で聴衆を引き込み、バーンスタイン作曲の「キャンディード」のアリア“きらびやかに楽しく”という珍しいレパートリーを披露してくれました。
そして95年春。妻と一緒に訪れた公演はアリアの夕べではなくて「ウィンナー・ガラ」と題し、ヨハン・シュトラウスのオペレッタを中心にしたニューイヤーコンサートのようなプログラム。このとき妻は第一子がお腹にいたのですが、初めて赤ちゃんが動いたと驚いていました。胎児をも感動させる驚異の歌唱力!
きらびやかで楽しいリサイタルでしたが、超絶技巧の歌曲も聴きたかったなあ…と思っていたら、アンコールにコロラトゥーラの名曲「セヴィリアの理髪師」“今の歌声は”を歌ってくれました。もちろん彼女の十八番、前奏が始まったとたんに客席から大拍手。やっぱりみんな、待ってたんですね。最後に粋なサービスでした。
一般にコロラトゥーラソプラノの歌手生命はあまり長くないと言われます。喉にかかる負担の大きな超高音を歌い続けることは難しく、また年齢による声質の変化で歌える役柄が変わってくる(レパートリーを変えていかざるを得なくなる)からです。
ところがグルベローヴァは昨年73歳で引退を表明するまで、驚異的な長期にわたって第一人者として活躍しました。音楽雑誌のインタビューでその秘密を聞かれて「努力の賜物」と答えています。シンプルなお答えですが、そうなんでしょうねえ。天から与えられた美声を保ちさらに磨きをかけていくには、余人には想像もつかない凄まじい努力が必要だったことでしょう。
家にあるCDを順に聴きライブでの幸福な体験を思い出しながら、偲びたいと思います。
関連リンク: 追悼 エディタ・グルベローヴァ(日本舞台芸術振興会)