震災から10年日々雑記
20210311
そうですか、10年ですか…。あっという間に10年もたってしまった、と思います。
あの時私は、車を運転して飯田から駒ヶ根に戻ってくる途中で、FMラジオで「気ままにクラシック」という楽しいトークと音楽の番組を聴いていました。高森町のアピタ前で突然、耳障りな緊急地震速報の信号が入り(初めて聞きました)番組は中断しました。走っている車中では揺れなどの異常を感じなかったので、そのまま運転しながらラジオに耳を傾けました。
大津波警報も気になりましたが、駒ヶ根に着いて予定していた市役所での用事を済ませ、自宅に寄ってようやくTVを点けますと…皆さんもご存じの映像、あのビニールハウスを飲み込む真っ黒い津波を見て、立ちすくみました。「これまでに見た、想像したどんな映像よりもすさまじかった。体が震えました」と翌日の本欄で書いております。
ヘリコプターからその時カメラを回していた取材陣の記録が最近ネットに上がりました。津波を撮影したのは鉾井喬さんという人で、リンク先には緊迫した当時の様子や心持ちが書かれています。放送を観ていて、大混乱の中で人の姿がほとんど映り込まなかったのをほっとする一方で不思議に思ったのですが、やはり意識して映さなかったのですね。
もう一人のカメラマン、小嶋陽輔さんは翌12日にヘリに乗り、建物の屋上で助けを求める人たちを大勢目撃します。「ごめんなさい 救助のヘリじゃなくてごめんなさい」 と心の中で唱えながら撮影を続けたそうです。(取材用のヘリで人を救助することは構造上できません)
二人とも、空という安全地帯から凄まじい地上の様子を見てしまったという負い目を強く感じ、十字架を背負ったとまで言っています。鉾井さんは2年後NHKを辞め美術作家になり、小嶋さんは東京転勤した今も毎年必ず被災地の取材を続けているそうです。
私にとってあの津波の映像は、心の中に深く突き刺さって離れません。津波の数日後に朝日新聞に掲載された、瓦礫を背にして座り込みさめざめと泣く女性の写真にも、強く心を揺さぶられました。今もです。この女性、どうしていらっしゃるのでしょうか。
もちろん私自身も、結果的に安全だったところから被害を見ていたひとりです。負い目を感じないわけではありません。今なお記憶に新しい大災害を受けて10年の間に何ができたのか、できなかったのか、いろいろなことを考えますよね。積み残されているものは、多いです。
関連リンク: 「ごめんなさい 救助のヘリじゃなくてごめんなさい」