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戦艦武蔵、発見 (1)日々雑記

20150306



あの武蔵が!何だか、胸が躍るようなニュースですね。。

-------毎日新聞---------
 米マイクロソフトの共同創業者で資産家のポール・アレン氏は4日、声明を出し、太平洋戦争で撃沈された戦艦武蔵の船体を「発見した」と発表した。また、海底で撮影した船体の動画を初めて自身のサイトで公表した。
 8年以上前から武蔵の探索を始め、今月1日に船体を確認したという。「父が米軍に従軍しており、子供の頃から大戦史に興味を持っていた。海軍史上、重要な戦艦を探し当てることができ、光栄だ」と述べた。
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私は小学校4年~6年くらいまで、軍艦のプラモデルに熱中していた時期があります。「ウォーターラインシリーズ」という旧日本海軍の艦船を網羅した一連の1/700モデルを友達と競争して集めました。当時、駆逐艦が100円、巡洋艦が250円、普通の戦艦は400円くらいだったと思いますが、大和型(大和、武蔵、信濃)は600円で、艦体の大きさもずば抜けていました。


同時に戦記物にも強い関心を示し、伊藤正徳「連合艦隊の最後」は愛読書の一つでした。今でもとってありますが、小学生がよくこんな難しい本を読んでいたものです。模型を持っていた艦名に鉛筆で丸印がしてあったり。


その中でも武蔵はもっとも愛着を感じていた艦でした。軍艦プラモの代表的存在であった同型艦の大和よりも、武蔵の方が好きでしたね。


歴史をざっとおさらいしますと、太平洋戦争開戦までの世界の海軍の基本的コンセプトは「大鑑巨砲主義」でした。敵艦隊の砲撃が届かない遠距離にいて、自分の砲弾が届くような巨大な砲を持つ艦隊が勝利する。遠くまで届く大砲は、砲身も砲弾も巨大で、搭載する爆薬の量も大きい。砲を運ぶ艦体も巨大なものでなくてはならない。…というものです。


こうした時代の要請によって、大和・武蔵は建造されました。その大きさは排水量約7万㌧、艦の全長は263㍍、主砲は直径46㌢で東京にいて小田原までを射程距離とし、分厚い鋼板を張り巡らし堅牢極まりない防御力を備えた、すべてにおいて世界に類を見ない、まさしく超弩級サイズの戦艦でした。


(巨大さの形容句「超弩(ド)級」という言葉が実は戦艦の名前に由来することは、ご存知ない方が多いと思います。20世紀初頭の英国戦艦「ドレッドノート」を「弩級戦艦」と称し、それよりも大きな戦艦を超弩級と呼んだことから)


とても書ききれない。続きます。

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