強制された歓喜 (2)音楽ばなし
20121129
ヴォルコフによる「証言」は、衝撃的な内容で世界の音楽愛好者たちをパニックに陥れましたが、これが本当にショスタコーヴィチ自身の言葉なのかどうか、発表直後から真贋論争となっています。ヴォルコフの捏造であり信用が置けない、という研究者も数多くいます。当時学生だった私も買って読んではみましたが、この頃は彼の曲をまだそんなに知らなかったこともあり、あまりピンとこないものでした。
さて私自身がこの「交響曲第5番」を半年間稽古してきて、解釈をどう捉えるか、なのですが…
それまでの楽章で次々と現れる、凛と張りつめた悲劇の予感と熱狂、グロテスクなまでの皮肉と嘲笑、凍りつくような孤独感と激情あふれる慟哭。問題の終楽章はこれらを受けて、堂々たる行進から始まります。
しかしそれは、常にせきたてられるような焦燥とうらはらであり、中間部で現れる安らぎもどこか落ち着きのない不安が忍び寄っているように聞こえます。純粋な希望(救い)が感じられるのは、中間部最後のわずか8小節、ハープのソロの部分だけではないかと思います。
そして迎える輝かしいはずの終結部。私にはやはり、このフィナーレを開けっぴろげな歓喜と感じることは難しい。堂々としているけれどどこか空虚な、まさしく強制された歓喜とイメージする方がしっくりします。この場面を仕切るティンパニ奏者(私)の役目は、全オーケストラを威圧し、鼓舞し、強制することです。
でも、これはあくまで私自身の持つ印象であり、聴く人によって捉え方はそれぞれでしょう。いちいち小難しい理屈を考えなくても、豪快な迫力とあふれる抒情を楽しむ聴き方ももちろんOK(むしろこの方が一般的かな)。近代史のうねりの中で生まれた20世紀を代表する名曲を、多くの方に聴いていただきたいと思います。
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伊那フィルハーモニー交響楽団
第25回定期演奏会
12月2日(日)午後2時開演
長野県伊那文化会館
チャイコフスキー:「くるみ割り人形」組曲
ショスタコーヴィチ:交響曲第5番
指揮・征矢健之介