「おいしいことなど徒然と」

社長ブログ

強制された歓喜音楽ばなし

20121128

今週末、伊那フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会にティンパニストとして出演します。年1回の定期公演、今回のメイン曲は、ショスタコーヴィチ作曲の「交響曲第5番」です。


ショスタコーヴィチは、ロシア革命後のソビエトで活躍した作曲家です。交響曲第5番は彼のもっとも有名な代表作ですが、いろいろと一筋縄ではいかない「曰く」のある曲でして、完成から80年近くを経て今なお、解釈の分かれている曲なのです。


彼は若くしてスターリン体制の覚えめでたく、将来を嘱望されながら活躍していましたが、1936年に発表したオペラとバレエがそれぞれ「支離滅裂、退廃的、反体制的」だとしてスターリンの意思を受けたプラウダ紙上で酷評されてしまいます。この時代、反社会主義者とのレッテルを貼られることは芸術家生命にかかわるばかりか、強制収容所送りにもなりかねませんでした。事実、彼の友人たちにもこうした悲惨な目に遭った人は多く、彼は人生における大きなピンチを迎えました。


彼が生き残りを賭け起死回生の作品として翌年発表した交響曲第5番は、社会主義的リアリズムを見事に体現したものだとして政権から絶賛されました。シンプルな構成、悲劇的な楽想から歓喜へと進む明快さはまさに革命の勝利を想起させるものでした。こうして彼は危機を乗り切ったのです。


ところが後年、彼の死後しばらくして、音楽学者ヴォルコフによって衝撃的な「証言」が発表されました。作曲者自身による回顧録だとしてソ連国外でだけ出版した「ショスタコーヴィチの証言」です。


「証言」は「私の交響曲は墓碑である」という章の中で交響曲第5番の終楽章に触れており、あの輝かしい勝利の凱歌は「強制された歓喜なのだ」と言っているのです。さあ喜べ、喜べ、社会主義の勝利を栄光を祝うのだ、と背中に銃口を向けられながら必死で手をたたき、万歳をしてみせる人々の様子が目に浮かびます。


この証言が真実ならば、今までこの曲に誰もが抱いていたイメージは、まったく正反対のものだったということになります。彼は本当にスターリンをあざむき、見せ掛けの歓喜の曲を作曲し、心の中で舌を出していたのでしょうか。

続きます。

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