赤穂義士の墓日々雑記
20101215
当社の所在地住所は、駒ヶ根市赤穂(あかほ)といいます。明治8年、赤須(あかす)村と上穂(うわぶ)村が合併し、両者から一字ずつを取って赤穂村となりました。その後赤穂町となり、昭和29年に周囲の町村と合併して駒ヶ根市となっています。
兵庫県の赤穂(あこう)市とはもちろん、無関係です。言うまでもなく全国的には、あちらの方がはるかに有名ですね。さまざまな形で数限りなく伝えられている赤穂浪士の物語が、大きく寄与していることは間違いないでしょう。
昨日12月14日は、義士祭。赤穂でも泉岳寺でも、それぞれ行われています。2年前のこの日、ちょうど用事があって東京に来ていたものですから、思いついて出かけてみました。
冷たい雨がざあざあと降る中、境内はもう物凄い人、人。せめて義士たちの墓参でもと行列に並んでみましたが、これも大変な列で、途中で諦めました。雨さえ降ってなきゃ、もうちょっと我慢してみたのですが。
義士たちの子孫の人たちの特別受付があり、「吉田忠左衛門末裔○○様」とか、見知った名前をつけた人が何人もいました。「子孫の会」というものがあって、交流をされているようです。この日会ってはいませんが、実は私の大学時代の友人にも、義士の末裔という人がいるのですよ。
今年の春に家族で東京へ行ったとき、泉岳寺を再訪問しました(お祭りではない普通の日曜日)。朝のことでほとんど人気はなく、ゆっくり見ることが出来ました。義士たちの墓が集まる一角には大石内蔵助を別格とし、やや小ぶりの墓石が整然と並んでいます。
(そのとき撮った写真。左は大石内蔵助、右写真手前から奥へ富森助右衛門、近松勘六、堀部弥兵衛、磯貝十郎左衛門、間喜兵衛の墓)
しばし当時の場面に思いを馳せました。