追悼 エディタ・グルベローヴァ(1)音楽ばなし
20211023
世界最高のコロラトゥーラ。輝く高い声を自由自在に操り人々の心を震わせた歌姫の訃報が伝えられました。スロヴァキア出身のソプラノ歌手、エディタ・グルベローヴァ。全盛期の彼女の生演奏に4度も立ち会えたことは、私の音楽の経験で最も素晴らしいものの一つだったと思います。
クラシックファンでありながら、声楽に強い関心を持っているわけではなく歌い手の名前はそれほど知りません。「音楽の友」誌で評論家や音楽記者が選ぶ「コンサート・ベストテン」というのが毎年あり、80年代後半からグルベローヴァという名前がたびたび上位に登場するようになってこの人の存在を知りました。どんなすごい歌手なんだろうかと想像していました。
CDで彼女のオペラアリアの数々、いわゆる「狂乱の場」を集めたものを聴いて、度肝を抜かれました。「ランメルモールのルチア」「ロミオとジュリエット」「ラクメ」などの超難曲を軽々と歌いのける高度な技術を持ちながら、曲芸に堕することなくしっとりした情感のあふれる歌に魅了され、ぜひ一度生演奏を聴いてみたくなりました。
その最初の機会はミュンヘンで訪れました。一人旅をした89年夏のヨーロッパ、ミュンヘンのオペラ祭でのR.シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」上演に接することができたのです。
このオペラのツェルビネッタ役は「魔笛」の夜の女王とともにグルベローヴァが世界の楽壇に燦然とデビューした役。80年のウィーン国立歌劇場来日公演でも歌い、日本のオペラファンを驚愕させました。その姿を本場ミュンヘンのオペラハウスで観ることができようとは…すごい期待をして会場に向かいました。(海外でオペラを観ること自体、初めても同然でしたしね。このためだけにジャケットなぞ持って行ったのです)
ツェルビネッタは、道化芝居の踊り子です。主人公アリアドネを終始からかうコミカルかつ小悪魔的な役柄で、演技力も求められます。そしてオペラの終盤に有名な「偉大なる王女様」という、15分以上にも及ぶ長大かつ超絶技巧のソロがあるのです。プロ歌手だったら誰でも歌えるといった役柄ではありません。
低いささやくような声から、ある評論家によれば『成層圏のような』超高音までグルベローヴァの声は小鳥のさえずりのようにころがり、駆けめぐり、ホールを揺らし、世界中から集まった(そういうオペラ祭でした)聴衆は固唾を呑み圧倒されていきました。劇場を満たしたすごい緊張を今でも覚えています。ソロが終わったときの爆発するような拍手!世界最高の本物の存在が目の前にあることの感激を味わえました。