エル・グレコ読んだり見たり
20130128
出張のついでに東京で話題の美術展を観てきました。圧倒されました。
エル・グレコ。スペインで活躍したギリシャ人画家の名作を、幸いに私はこれまでいくつも観る機会に恵まれました。画家が愛した古都トレドの教会にある「オルガス伯爵の埋葬」「聖衣剥奪」や、プラド美術館を飾る大作の数々、「聖三位一体」「受胎告知」「羊飼いの礼拝」などなど。
グレコの非常に特徴ある画風は、見る人に強烈な印象を与えます。極端に上下に引き伸ばされた人物のプロポーション。黒や濃い青をベースにした重苦しい背景。登場する人物は対照的に、赤や緑、黄色の鮮やかな衣服をまといます。衣服のひだを描く光と陰影のコントラストの強調。天使たちからにょっきりと伸びるたくましい脚。…
今回展示されている作品は50点。そのほとんどが人物画で、さらにその多くは宗教画です。それぞれのちょっと見ると無表情ともとれる、感情をつかみにくいような不思議な顔つき(何考えてるの)が印象的です。しかしその目、眼光が表情に微妙な揺らぎを与えています。それにしても、悩ましく斜め上を見上げるポーズの多いこと。
特徴ある色使い、中でもわずかに紫がかった赤が目を引きます。ワインでいうとルビー色、葡萄品種ではピノ・ノワールの色ですね。グレコはこの色が大変好きだったと見えて、会場にある多くの画がこの色を使っています。また聖人の衣装に使われる黄色い刺繍の質感もすごい。
今回のグレコ展の最大の見所ともいえる「無原罪の御宿り」は最後に登場します。高さ347幅174㌢の大作です。人物はほとんど等身大サイズです。この画に限りませんが、教会の祭壇に掲げられることを想定し、見る人の視線を計算して彼の数々の画は上下に引き伸ばされているのだといわれます。
雲とも光ともつかない妖しい輝きが画全体を覆う中、マリアを中心に何人もの天使たちが見せる身体をくねらせ浮遊するポーズが魅力的です。そして天使の翼の躍動感、ピノノワールと黄色の鮮やかさ。有無を言わせぬ説得力と異様な迫力に満ちた、ずっしりと重い素晴しい画でありました。
4月7日まで、上野の東京都美術館にて。
関連リンク: エル・グレコ主要作品の解説 (サルヴァスタイル美術館)
ゼロからトースターを作ってみた読んだり見たり
20121208
手作りの限界に挑む!
この秋出版された本ですが、ユニークな内容がちょっとした話題になりました。最近ようやく読んだので、ご紹介など。
著者はイギリス人で、デザインを学ぶ学生です。彼は卒業制作の題材を探すうち、ポップアップ(焼き上がったパンがガチャンと出てくる)トースターをゼロから自分の手で作ってみようと思い立ちます。
モデルにした普及品のトースターは3ポンド94ペンス(521円)。安い。でもこの安さって、便利さに比べて幾らなんでも安すぎるんじゃないの?こんな疑問が彼の発想のスタートでした。
「ゼロから作る」という言葉はこの場合、何を意味するのかというと…
たとえば部品を作る鉄。地中から鉄鉱石を掘り出すところから始め、自分の手で精錬し、叩いて伸ばし、部品として加工する。以下、プラスチック、断熱材となるマイカ(雲母)、銅、ニッケルなどの材料をすべて自力で調達・製造するところから始めようとする、「普通考えないだろう、アホじゃないか」ともいえそうなプロジェクトです。
その方法(試行錯誤)がいかにも非専門の学生らしくて笑えます。鉄鉱石を精錬するのに、高温の炉が必要になります。著者はまずコンクリのパイプ、ゴミ箱や書棚の板などを使った溶鉱炉?を作りますが、できた「鉄」は不純物を取り除けず、ハンマーの一撃で敢え無くバラバラ。次には母親の電子レンジを借用し、読者の期待通り見事レンジをオシャカにしてしまいます。
2台目の電子レンジの内部に断熱のセラミックウールを敷き詰め、ようやく苦難の末に加工可能な「鉄」を作り出すことに成功します。
かと思うと、プラスチックを作るために、ブリティッシュ・ペトロリアム社に電凸し原油を少々分けてもらおうとしますが、ハナから相手にもされず撃沈。最初はかなり厳しいルールを自分に課しているのですが、いよいよ無理っぽいとなると結構ヘナヘナと妥協してしまうところが、学生らしいというか。
著者は結局9ヶ月、約15万円をかけ、トースターらしきものを完成させます。表紙写真のドロドロしたやつがそれです。さて、このトースターをコンセントに繋いで、実際にパンが焼けたでしょうか?
消費社会に対する批評の書だなんていう人もいますが、そんなこともチラっと念頭に置きながらノリを楽しむくらい本だと思います。けれども日頃私たちが当たり前のように使っている機械がどれほどの蓄積から出来ているのか、たまには考えてみるのもいいかもしれません。
アイアンシェフ読んだり見たり
20121028
昔、毎週面白く観ていたTV番組「料理の鉄人」がリニューアル再開されると聞き、楽しみにチャンネルを合わせてみました。。
当初は日曜夜の30分ものでしたが、人気が出たために金曜夜11時からの45分番組へと格上げ。ご存知鹿賀丈史の大仰な芝居、豪華なセット、名だたる挑戦者たちに彩られて名物番組となりました。映画「バックドラフト」からそっくり持ってきた音楽も、オリジナルのようなはまり様。もちろん3人(のち4人)の鉄人は圧倒的に強いのですが、たまに鉄人を打ち負かす挑戦者が出るとワクワクしたものです。
神田川軍団の殴りこみだとか、山本益博や見田盛夫推薦の挑戦者だとか、ドラマ性もうまく盛り込みながら番組を作っていたと思います。私の印象に残っている名勝負のベスト3は、
×陳健一 vs 崔玉芬○ (白菜対決)
○道場六三郎 vs 城悦男×(ブロッコリー対決)
×陳健一 vs 小林幸司○ (カボチャ対決)
といったところでしょうか。あれ?3つとも野菜ですね。
しかし番組が長く続くに従ってマンネリ感も出てきて、終わりの3年間程は観たりみなかったり、テレビの前で寝てしまうことも実際のところたびたびでした。
さて、新しい番組を観ての感想ですが、一番は若返った鉄人たちの個性の無さ。中華の脇屋友詞氏はまだともかく、他の二人がこれからどう存在感を出していくのか、不安を感じます。
以前との中途半端な違い。「料理の鉄人」でなく「アイアンシェフ」、「挑戦者」でなく「ノミニー」だという不思議なこだわり、鉄人登場シーンのCGの安っぽさ、レポーター宮川大輔の浮きまくりの関西弁(この人選は完全に失敗だと思う)、などなど。
何といっても、料理の紹介だけで試食シーンがないってどういうことか。これじゃ審査員にどんなゲストを呼んでも意味ないじゃん。ところが、これについてはとんでもない実情があったことに後で気が付きました。
番組冒頭、気になるテロップがありました。「番組の内容を一部変更してお送りします」?何のこと?よく分からないまま番組を観終えますが、翌朝になって妻が新聞を片付けながら言うのです。「あれ?昨日の鉄人って2時間番組だったの?」
新聞を見ると、TV欄の広告には確かに「よる7時から2時間スペシャル」と書いてある。しかし番組表では1時間枠しかない。どういうことか。そうです、中継局の長野放送が勝手に番組を1時間短縮して放送したのです。試食場面もこうしてカットされたに違いない。後から聞けば、初回の挑戦者は二人いたというじゃないですか。長野じゃ一人しか放送されてない。陳健一の息子は、無かったことにされてしまいましたぞ。
こんなのってありですか?欠陥商品をしゃあしゃあと放送しておいて知らん顔ってこと?ちなみに7時から57分間、キー局の看板番組を半分にして長野放送で流れたのは「スマイルこれダネッ全国のオモロうまい道の駅グランプリ」でした。
冗談じゃないぜっ!
テルマエ・ロマエ読んだり見たり
20120508
いまちょうど映画が公開中で、TVや新聞雑誌で盛んにパブリシティが行われています。阿部寛主演の映画は観ていませんが、その前から大変評判だった原作(ヤマザキ マリ)のコミックは読みました。2010年度のマンガ大賞を受賞し、現在4巻が刊行されています。
主人公ルシウスは、古代ローマの浴場設計技師。入浴中にたびたび、現代日本の風呂場へタイムスリップしてしまいます。そこは銭湯、露天風呂、家庭の浴室、システムバスのショールーム、スパーランドなどありとあらゆる風呂という風呂。そこで彼が見たものは、信じられないような快適で機能的なお風呂や周辺グッズの数々でした…
ルシウスは言葉も通じない異次元空間の日本で、フルーツ牛乳や温泉玉子の美味さ、露天風呂の心地よさ、ハンドシャワーや布アカスリ、シャンプーハットなど、見るもの触るものすべてに驚嘆します。(古代ローマでは、金属製のヘラでアカスリをしていたんだそうな)我々ローマ人は世界を制覇した偉大な民族であるはずなのに、卑俗な隷民にすぎない平たい顔族(日本人のことを彼はそう呼んでいる)たちの持っている風呂文化の、何と素晴しいことよ!
1回当たりのタイムスリップの時間はそう長くありません。元の世界に帰ったルシウスはその都度、日本で見聞したさまざまな風呂文明を古代ローマに持ち込み(模倣し)大評判を取り、皇帝ハドリアヌスお抱えの浴場技師へと出世していきます。仕事熱心なあまり妻と不仲になったり、政権抗争に巻き込まれたり。
ルシウスと現代人のとんちんかんなコミュケーションの可笑しさ。そして誇り高いローマ人のルシウスが、我々「平たい顔族」にとってはごくありふれた大衆文化を前にして敗北感に打ちひしがれる様子は、私たちの内なる優越感をくすぐります。
日本人の風呂好きは世界に冠たるものだそうですが…温泉に行ってもカラスの行水で、すぐに浴場から出てしまう私には、その魅力は正直よくわからないのです。風呂上りのフルーツ牛乳は、もう何年も飲んでいませんが、おいしいと思いますけどね。
中国嫁日記読んだり見たり
20120409
ちいさな異文化の可愛い衝突を描いて大評判のブログ漫画。毎日数万人がアクセスし、コミック本としてもベストセラーになっているそうです。
自称オタク漫画家、井上純一氏(40代)が、若く美しい中国人妻(20代)と結婚し、共に生活する中で沸き起こるさまざまな珍騒動。「○△人と結婚しました」と国際結婚をレポートしたエッセイはそれこそ山のようにありますが、この漫画はそのホンワカぶりと、主人公である妻、月(ゆえ)さんのキャラクターの可愛らしさが際立っており、オタクの本領発揮というところでしょうか。
最初は月さんに隠れてこっそり公開していたブログですが、途中で妻にバレてしまった。その時は憤慨した妻ですが、でもたくさんの読者が楽しんでくれるならと気前良く公認してくれて、現在に至っているそうです。
実際のところ、日本文化を知らない外国人の奇想天外なリアクションの部分だけをとってみれば、コミカルでこそありますが、本当はそれほど面白いわけでもないのです。それを見ての井上氏の反応もオーバーかつワンパターンですし。
でも、いろいろな場面で困惑しながらも可愛い妻をいとおしく思う井上氏の気持ちがいい味を出しています。読んでいて後味がとても良い。3.11大震災のとき、池袋の自宅にいた井上氏と日暮里の日本語学校にいた月さんが、お互い必死の思いで連絡を取ろうとし、無事に再会し一緒に歩いて帰宅する連作なんてシンプルだけどいいですね。
先日、テレビ出演した作者の井上氏を見ましたが、私の身内と風貌が酷似していて笑ってしまいました。漫画ではほとんど幼児みたいに見える月さん、実物はだいぶ印象が違うそうで、どんな方だかぜひ見てみたいと思います。
関連リンク: 中国嫁日記
ヒロインは豪傑読んだり見たり
20120220
そろそろ話も終盤へと移りつつあるNHK朝ドラ「カーネーション」。前作とはまったく対照的なこのドラマはなかなか面白く、最初の二週間ほどを除けば欠かさず録画して観ています。
ご存知、ファッションデザイナー・コシノ三姉妹の母をモデルにしており、主人公の小原糸子役は尾野真千子が演じています。この女優を私は本作まで知りませんでしたが、好演です。とてもいい味を出してますね。
糸子は小さい頃から父(小林薫)にそれは厳しく育てられます。この親父がまあ、娘に平手打ちは見舞うは卓袱台はひっくり返すは、「星一徹」みたいな頑固オヤジで。父親に物凄い反発を抱きながら家業の裁縫屋で仕事を始める糸子なのです。
その父が亡くなり、夫も戦死します。当時まだまだ珍しかった洋裁の仕事をしながら3人の娘たちを育ててゆくのですが、どんどん親父そっくりの頑固母になっていくのが面白い。台詞もモノローグも、まるで男です。おろおろしながら父をなだめていた母(麻生祐未)が、今では娘を叱る糸子を同じようになだめたりして。
家族の夕餉に、女主人が燗酒で毎日晩酌し、そのまま居間の畳に寝転んで眠ってしまうなんて映像、ドラマで見たことありますか?飲兵衛の父の血を受け継いだそうで、初めはお猪口で飲んでいたのが、この前はコップ酒になっていました。
脚本は非常にテンポが良く、いやむしろあっさりしすぎて拍子抜けするような時もあります。糸子の夫なんて、いつの間にか結婚しいつの間にかいなくなってしまったみたいな。「おひさま」の一週間分を1日で放映しているようなスピード感です。
三人の娘たちが大人になってから、ドラマの重点は彼女たちに置かれ、糸子は少し引っ込んだような印象があります。ちょっと淋しい気がしますが、その分、二女役の川崎亜沙美の存在がすごい。女子プロレスラー(!)と女優の二足のわらじの人だそうですが、もうコシノジュンコ氏に瓜二つ。物語の舞台、大阪岸和田の出身でもあるそうで、よくこんな人を見つけてきたと感心します。
朝ドラでは一週間通しのサブタイトルがつけられていますが、このドラマではそれがみな「花言葉」になっています。先週の「あなたを守りたい」はエンゼルランプ、今週の「鮮やかな態度」はルドベキアだそうです(どんな花だか聞いたことがありませんが)。
そういえば何でこのドラマのタイトルが「カーネーション」なのか、知りませんが、あるいは「母」と関係があるのかな。花言葉は「真実の愛」「情熱」だそうです。
横一列での食事読んだり見たり
20111222
映画監督の森田芳光氏が61歳の若さで亡くなりました。追悼文を書けるほど彼の作品を何本も観ていませんが、代表作「家族ゲーム」は、実に刺激的な快作でした。
(ネタバレ満載です)
この映画の象徴は、皆さんご存知の横一列に並んだ食事のシーンです。主人公・松田優作が家庭教師として通う家では、いつも家族が互いに目を合わせることなく、写真のような形で食事をとっています。ダビンチの「最後の晩餐」みたいに。
家族4人だと間隔がちょうど良いのですが、松田優作が割り込むことでぎゅうぎゅう詰めになります。押しくら万十みたいな食事がおかしい。大皿に載った料理は、手前に見えるワゴンを左右に行ったり来たりさせて取り分けています。
父・伊丹十三、母・由紀さおりは、受験生なのに全く勉強に身が入らない次男・宮川一朗太を松田優作に預けます。二人とも子供にきちんと向き合うことができず叱ることもできず、次男もそれをいいことに生活がだらけきっています。
松田優作は初日から船に乗って登場する型破り。ふてぶてしい次男をそれ以上にふてぶてしい態度で威圧し、時に暴力も振いながら徐々に成績を上げることに成功します。それをずっと横から見ていた優等生の長男は、せっかく入った進学校に馴染むことができず、気力を失っていきます。
次男がついに志望校に合格し、お祝いの食事会。乾杯し、宴が進むにつれて優作が料理を手でつかんでは投げ始める。咎める家族たちに頭突きやパンチを浴びせ、テーブルをひっくり返してニコリともせず家を後にする優作。家族の見せ掛けの団欒の象徴である横一列の食事、その場限りのいい子ぶりっ子ゲームを破壊しつくした、クライマックスの場面です。ワンカットの長回しで撮られています。
この映画は公開後、何度か民放TVの映画劇場でオンエアされていますが、肝心な食事会の場面がその都度丸々カットされていたのに驚きました。いくら何でも…この映画にこの場面がないなんて、討ち入りのない忠臣蔵、心中のないロミオとジュリエット、沈没しないタイタニックみたいなものでしょう?
映画館でなくこの当時のテレビ放送だけでこの映画を観た人は、残念ながら不完全品をご覧になったことになります。森田監督がTV放送枠に合わせて映画をカットさせられることに腹を立て、一番大事な場面をカットすることで抵抗したそうですが…誰か評論家が「抵抗したい気持ちはわかるが、森田氏は自分の作品が可愛くないのだろうか」と書いていました。
団地にヘリコプターの爆音が鳴り響く中、二人の息子が泥のように眠っているのを見て、母も睡魔に襲われうたた寝を始める場面で、この映画は終わります。このはぐらかされたようなラストの意味するものは?
ネットを見ると、息子による父親殺害説、母による息子殺害説、戸川純の家の棺おけ搬出説、いろいろ出てきますね。文字通り「最後の晩餐」になってしまった、ということでしょうか。(でも母の息子殺害だったら、この時点でヘリが飛ぶことはないはず)
あるいはそんな深読みせずに「漠然とした不安」と思えばいいのかな。
松田優作、伊丹十三が既にこの世を去り、監督の森田氏も若くして亡くなりました。もう一人の主役、由紀さおりが時の人となり、大ブーム?となっているのも何だか不思議な気がします。
追悼 どくとるマンボウ読んだり見たり
20111027
作家、北杜夫氏が亡くなりました。私の少年時代に読書の楽しさを教えてくれた人がまた一人、世を去りました。
星新一、遠藤周作、そして北杜夫の3人はあの頃の中高生に本当によく読まれていました。今の子たちはどうだろう、殆ど知らんだろうな。
私は中学生の頃この人の本と出会い、むさぼるように読み、学校の自由研究では彼の作品論?に挑んだほどの大ファンでした。この頃までの主な作品は、中学時代に大体読んでいます。
処女作「幽霊」、芥川賞受賞作「夜と霧の隅で」などいくつかの短編集、ユーモア小説「高みの見物」「奇病連盟」「さびしい王様」、そして長編「楡家の人びと」「白きたおやかな峰」、数々のエッセイ、対談、等々。
彼自身のニックネームともなった「どくとるマンボウ」シリーズは、もっとも多くの人に愛されました。中でも特に有名な「航海記」「昆虫記」「青春記」は、それぞれユーモアあふれる軽妙な筆致の中に、青年の一途な心や情熱が(控えめに)ちりばめられ、他にない独特の魅力を備えています。
出世作となった「航海記」では、今では考えられないほど遠かった憧れの海外へ、船医となって渡る著者のさまざまな見聞が初々しい。多くの読者は、同時期に発表されたシリアスな「夜と霧の隅で」と「航海記」のあまりのテイストの違いに戸惑ったそうです。私もそうでした。
幼い頃から熱心な昆虫ファンでもあった彼は「昆虫記」で、さまざまな虫たちをめぐる楽しい物語を紡ぎます。病気がちだった少年を慰めてくれたのは、布団の中で飽きずに眺めた昆虫図鑑でした。ある時、ふと飛んできた虫の名(ビロウドツリアブ)を自分が知っていることに気づいた喜びを、極めて抑えた筆致で書いています。とても印象に残っています。
そして名作「青春記」では、終戦前後の混乱の時代、旧制松本高校から東北大学医学部へと進む疾風怒濤、破天荒の学生生活を描きました。どれだけ多くの学生がこれを読んで旧制高校のバンカラ気風に憧れたことでしょうか。ここで生まれた信州とのつながりは生涯続きました。
余談ですが、青春記に登場する松高の名物教師「ヒルさん」こと蛭川幸茂さんには、私の大叔父もかつて教えを受け、我が家へお越しいただいたこともあったと聞いています。
彼の書くユーモア(彼が若い頃から心酔したドイツ文学で言う「フモール」というやつですな)は、ハチャメチャなようですが、含羞を感じます。物事の本質はこれだ!と声高らかに唱えるのでなく、笑いの陰からそっと現れる真実に心の優しさが垣間見え、とても魅力的です。たまにTVなどで見せた姿も、その通りのお人柄だったように思いますね。
躁鬱病に苦しみながらも、自分を精神科医としての眼で客観視しながら物語のネタにし、笑いで包んで人々を楽しませたサービス精神にも頭が下がります。
株やギャンブルで有り金を使い果たしたり(これはとても洒落にならなかったようですが)若い頃親しんだ登山が嵩じて標高7000mを越えるカラコルム山脈への登山隊に医師として参加したり、なりふり構わぬ熱狂的な阪神ファンであったり、さまざまな姿を持った人でした。
心からご冥福をお祈りします。
冷食捜査官読んだり見たり
20111011
ユッケの記事を書いていて思い出しました。何だかこれに良く似たお話のコミックがありました。
「冷食捜査官(1)」 とり・みき作
講談社 モーニングKC
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時は近未来。安全無害の合成食料の完成により、食料統制が始まった。雑菌だらけで汚染された自然食品は製造・飲食が禁止となり、冷凍食品も所持することすら禁止された。それでも食料統制以前に作られ地下の貯蔵庫に眠っていた大量の冷凍食品がブラックマーケットで取引されている。巨額の金と血を賭してまで“冷食” を求める連中は後をたたない。冷食シンジケートが暗躍する中、我らが農林水産省・冷食捜査官が立ち上がる!
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この時代の人々は日々合成食料にどっぷり浸かっており、冷食を食べても実は身体が受け付けず、食中毒を起こしてしまいます。各所に秘蔵されている冷食がとっくに賞味期限切れを迎えていることもあり、故に冷食を食べること、供すること、所持することは固く禁じられているのです。
それでも「懐かしいあの味」を切望する人たちがおり、ギョーザ、ピザ、ポテトフライ、マグロの寿司、冷凍ミカンなどをめぐって命がけのバトルが繰り広げられます。
主人公は冷食の密売を取締るハードボイルド風の捜査官ですが、そこまでして冷食に魅せられる人たちから現れる人間味、愚かさと哀しさに、立場を越えて揺れ動きます。
少々マニアックなコミックなので、小欄の読者にはほとんど知られていないと思います。言うまでもなくギャグ漫画です。数年前の作で、1巻とありますが、2巻以降がさて、出るのでしょうか?
とり・みきは昔、今はなき平凡パンチに「愛のさかあがり」を連載していました。これは面白かった。単行本まで買ってしまいました。本作の主人公も、愛のさかあがりの登場人物を模しています。
リアルの世界では、今月から飲食店を舞台に「生肉捜査官」が活動を始めるのでしょうか。これは、ギャグではありません。
おひさま人気の謎読んだり見たり
20110908
NHK朝のドラマ、なかなかの人気のようです。今朝の朝日新聞では「社説」にまで取り上げられていました。
物語の舞台となっている安曇野や松本は、おひさま人気で観光客が大層な勢いだとお聞きしますし、だいぶ離れたこの地域でもタイアップ商品が何種類も店頭に並んでいます。(どのくらい売れてるかはわかりませんが)新聞の投書などでも、放送開始から日が経つにつれて人気が高まっている様子が読み取れます。
私もご当地ドラマということ、そして主役の井上真央が好きだという理由で、第1回からずっと(途中一度だけ見逃しましたが)観てきました。本当はもう少し早くこの記事を書こうと思っていたのですが、人気上昇中と聞いて何だか書きづらくなってきましてね。
正直、私にはこのドラマ、どこがいいのかわかりません。全くつまらない。
そもそも全体を若尾文子の回想にしたところが意味不明。彼女の説明過剰なナレーションが、どれだけドラマをぶち壊してきたかと思います。普通に見ていれば子供にもわかるような状況や主人公の気持ちを、いちいち「◎■△×…だと、思 っ た わ」なんて言葉にしてもらわなくても結構です。
話が戦後になって少しナレーションが引っ込んだ(きっと苦情があったのでしょう)と思ったら、今度は家族のだらだらした会話でまあ引っ張ること!一つの場面に5分も7分もかけて、その場の登場人物すべての発言を順繰りに引き出し、話はほとんど進まない。最近は、もう毎回家族会議状態です。いくら何でも、このテンポの遅さにはついていけません。
セットやロケ地の季節感の欠如。特に安曇野の冬の寒さが画面から全く感じられない。木々の葉っぱはいつも青々としているし、家の窓は開け放ってある。蕎麦屋「丸庵」の店内や客の様子なんかまったく現代的で、これが戦後わずか数年の様子にはとても見えません。相手役高良健吾の大根ぶりも、相当なものですよ。
そんなに悪口を言うくらいなら、見なけりゃいいようなものですが…井上真央の可愛さに負けて、ついつい見てしまいます。彼女が酔っ払って逆プロポーズの告白をする場面、これだけは実に良かったなあ。この回のみ録画を保存してあります。
白基調のタイトルバックもいいですね。ただ土曜日だけ平原綾香のボーカルが入るのですが、平日のインストルメンタル版とキイがあさってほど違うのは、いかがなものでしょうか。
朝ドラなんてどうせこんなもの?いや、そんなことないでしょう。毎日毎日笑わせ、泣かせてくれた空前絶後の傑作「ちりとてちん」は記憶に新しいですし「ふたりっ子」も面白かった。ひねりや伏線がなければ連続ドラマでないとまでは言いませんが、もう少しきちんと作って欲しいなあ。
そうは言っても信州の貴重な観光資源となったドラマですし、いずれにせよここまで続けて観てきたのですから、結局最後まで文句をいいつつ妻と二人で観るだろうとは思います。蕎麦畑や清流など絵葉書としては綺麗に撮れていますから、たぶん観光客の皆様の期待を裏切ることはないでしょう。